一人じゃ行けない所に行こう。
楽と楽しいは違うと思っていたけれど、楽で楽しいに越したことはないと思った。一緒にいて楽な人とは、自然な形で連携プレーが決まる。「こうして」「ああして」などと命令したりされたりする必要がなく、君が運転するなら俺は道を調べるねとか、宿を調べるねとか、連携プレーが決まってハマる。楽で楽しい。楽しむためには楽をしてはいけないと思うと、一緒にいて楽じゃない人を引き寄せる。楽で楽しいのが一番だと思うと、楽で楽しい人物が登場する。
楽で楽しい人とも、険悪な雰囲気になる時はある。私とR様の間にもそれが起きた。たまたま入った店の雰囲気が微妙で、私が微妙感を丸出しにした。それを、R様が「私の何がいけなかったのだろう」と自分を責める形で受け取ってしまい、空気感がギクシャクした。R様が、私のご機嫌を伺うような言動をして、ご機嫌を取られると不機嫌になっちゃうタイプの私はより一層微妙な感じになり、沈黙が我々を襲った。
店を離れ、二人きりになったタイミングで、R様が更に私のご機嫌を伺っててくださった。私は「なぜ、お母さんみたいになるのだ」と突っ込んだら、突っ込み方が厳しかったのか、R様は涙を流した。涙を流しながら「突っ込んでくれてありがとう」と言った。人間関係でも、親子関係でも、この世で一番難しいことは「何もしないで見守ること」だと思う。お母さん最大の特技は世話を焼くことだが、ガキんちょにこれは逆効果である。おせっかいは裏目に出る。
男女関係が微妙になる原因の一つに、どちらかが、どちらかの親になってしまうことがある。男が女をお母さんにさせてしまっているのか、はたまた、問題解決のために女がお母さんになる道を自ら選ぶのか。いずれにせよ、どちらかがどちらかの親になった瞬間に、関係性は対等ではなくなる。R様は「これまでは、自分がお母さんになることでしか場を保たせるやり方を知らなかった。だから、今、こうして話題にあげてくれたことが嬉しい」と言った。涙が出たのは、安心したからだと言った。私は「話せてよかった」と思った。この世で一番やばいことは、コミュニケーションが取れなくなることだと思う。我慢や頑張ることは、幸せから遠い。
楽で楽しい人とは、嫌な目に遭っても「なぜあれが嫌だったのか」を楽しく話せる。楽で楽しい間柄なら、両者の間に我慢はない。我慢をしたらゲームオーバーと言っても過言ではない。その後、R様は本調子を取り戻して「知床に行きたい」と言った。喜び勇んで運転手役を務めた私は、R様を知床に運んだ。知床に沈む夕日を眺めながら、R様は「連れて来てくれてありがとう」と言った。男が女から言われて嬉しい言葉ランキング第一位は、多分これだと思う。一人じゃ行けない所に行こう。すると、一人では得られない言葉を得る。連れて来てくれてありがとうと言われて、嬉しくならない男がいるだろうか。男と女は、敵ではない。チームだと思う。信頼感のあるチームになりたいと思う。
おおまかな予定
9月27日(金)北海道斜里町界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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