袴田巌さん再審

捜査当局情報に傾斜 袴田さん 毎日新聞報道検証

 静岡県でみそ製造会社の専務一家が殺害された事件当時、袴田巌さん(88)を巡る報道は過熱した。1966年の逮捕から起訴までは捜査当局の視点に偏った記事が目立ち、袴田さんを犯人視する表現もあった。本紙(静岡県版を含む)の当時の記事を検証した。

 毎日新聞は7月4日夕刊で有力な容疑者として袴田さんのイニシャルを使い「従業員『H』浮かぶ」とする記事を掲載。逮捕を伝える8月19日朝刊では、袴田さんが容疑を否認していることを掲載する一方で「刑事たちの執念と苦しさに耐えたねばりが功を奏して(中略)逮捕にまでたどりついた」と表現した。

 袴田さんが「自白」に転じたことを伝えた9月7日朝刊も「全力捜査がついに犯罪史上まれな残忍な袴田をくだしたわけで、慎重なねばり捜査の勝利だった」と、捜査当局と一体化したような書きぶりだった。自白に重きを置きすぎた報道とも言える。

 袴田さんはその後、公判で起訴内容を否認。1審判決は時に1日16時間にも及んだ取り調べの手法を批判し、自白調書45通のうち44通を採用しなかった。

 取り調べについては「調べ室の袴田は、朝部屋に入ってから一歩も外に姿を見せなかった。昼食、夕食も監視の警官が留置場から運び、小便用の便器まで調べ室に持ち込む有(り)様」(9月10日朝刊)と書いた記事もある。記者が実態をある程度把握していたことがうかがえるものの、捜査手法に疑問の目を向けたものではなかった。

 検察側は当初、袴田さんの「自白」に基づいて事件当時の着衣をパジャマとしたが、初公判から9カ月以上たった67年8月に勤務先のみそタンクから血痕の付いた「5点の衣類」が見つかると、着衣の主張を変える異例の展開をたどった。

 5点の衣類は、今回の再審無罪判決では捜査機関が捏造(ねつぞう)したとまで指摘された。しかし、1審公判当時は発見に至る経緯や、「自白」の信用性が揺らいだ点について追及した記事はなかった。

 当時の静岡支局長は起訴後の署名記事で「『科学捜査』の勝ちどき」と題して捜査をたたえる一方、袴田さんの人格を否定した。支局長は1審判決後は「『袴田判決』の教えるもの」として取り調べの手法を批判する姿勢に転じているだけに、当初の書きぶりの問題が際立っている。


人権侵害、おわびします 編集局長・坂口佳代

 袴田さんが逮捕された1966年当時の紙面を振り返ると、袴田さんを「犯人」とする捜査当局の見立てを疑わずに報道していたと言わざるを得ません。発生から1年2カ月後に発見された「5点の衣類」が犯行時の着衣とされた点についても立ち止まって取材し、紙面で検証することはありませんでした。

 なぜ、このような報道を続けたのか。事件から半世紀が経過し、当時の編集局幹部に確認することはできませんが、時代背景が異なっていたこともあり、逮捕された容疑者の人権に配慮する意識が希薄でした。名前も呼び捨てにしていました。更に捜査当局への社会的信頼が厚く、捜査に問題があるかどうかを疑う視点が欠けていました。

 袴田さんが逮捕された際に犯人視するような報道を続けた結果、袴田さんとご家族、関係者の名誉を傷つけ、人権を侵害しました。また、読者に誤った印象を与え、新聞に対する信頼を裏切ることにもなりました。真摯(しんし)に反省するとともに、袴田さんとご家族、関係者、読者におわびします。

 毎日新聞は94年に発生した「松本サリン事件」でも、被害者の河野義行さんが事件に関わったとする誤った報道をしました。95年6月に検証記事を掲載し、河野さんに謝罪しました。

 過去の反省に基づき、2009年に運用を始めた事件報道のガイドラインでは、容疑者について「無罪推定」が刑事司法の原則であることを確認し、「犯人」と決めつける表現は避けると規定しました。これに先立つ00年には、第三者機関「開かれた新聞委員会」を設置し、外部の目で報道をチェックする仕組みも作っています。

 事件報道の問題に共通するのは、捜査当局の見方を確定した事実であるかのように報道してしまう恐れがあることです。当局による情報隠しが行われていないかを監視し、証拠の開示など適正な刑事手続きが行われているかをチェックすることがますます重要になっています。袴田さんの再審無罪判決を受け、報道による人権侵害を二度と繰り返さないことを改めて肝に銘じ、記者教育を徹底し、読者の信頼に応える報道をしていきます。

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