長い前書き

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ひと夏かけてめぐってきた地球一周の船旅。その後遺症からやっと立ち直れそうだ。この半年、自分の周りにいた人々がいなくなり、代わりに、数千件を越す未読メールの処理と、漠然とやらねばならない手付かずの仕事が目の前に山積みである。


考えてみると、今回のクルーズも本当に楽しかった。その理由はこのブログで随時発信して行こうと思うが、何度、乗ってもピースボートは面白い。自分で船を出しておいて手前味噌な話だが事実なので仕方がない。決して楽なことばかりではないのだが、僕はこのピースボートの船を出す作業、まさに、その関わりの中で、少しはまともな人間になることが出来てきた。それは、これまでもそうであり、これからもそうだと思う。


高校もろくに行かず、九州・博多のネオン街に入り浸りながら、僕よりも、二周り、三回りも歳が上のおっちゃんらと同じ生活をしていた。ただただ、早く大人社会の仲間入りを果たしたかった。それだけで飲めない酒を飲み、吸えないセブンスターを吹かしていた。金と寝る場所はあったので、同い年の若者らから見ると、羨ましくなるような生活をしていた。自由だった。好きなことだけをして生きていた。


そんな、僕が上京したのが10年前。新宿西口のガード下でもらった一枚のビラ。薄黄色いざら紙に印刷された、「旅がしたい」のキャッチコピーは、仕事にまみれて生活していた当時、言い出したくても、言い出せなかった自分の心境を代弁していてくれた。

よし、これだ。すぐに電話した。大都会の高層ビル群、携帯片手に見上げた新宿の空は今も忘れない。


「そうですねぇ、早く申しこまないと席がなくなります。何時いつの説明会に来てください」


指示されるがままに飯田橋・シニアアークという会場に向かった。いまでこそ、旅行説明会には多くの方が足を運んで下さっているが、その当時、僕が踏み入れた会場は、ただただ広く閑散としていた。スタッフの数の方が明らかに多く、説明会と銘打っていながら来訪者は僕のほかに一人。しかも、その一人は会の途中に逃げるように会場を跡にした。説明が終わり、僕が席を立とうとすると、スタッフのTさんが近寄ってきて、蚊の泣くような小さな声で「楽しいですよ」。声をかけて下さった。僕は仕方なく申込書を書いた。そのTさんは今も一緒に仕事をしている。


ここから先の数々のエピソードはそのうちに。ただ、そんな一枚のビラから僕のピースボート生活はスタートした。国際問題のこの字も知らなかった僕が、イギリスの首都がパリだと信じて疑わなかった僕が、NGOやボランティアなど胡散臭いとレッテルを貼っていた僕が、今ではクルーズの責任者である。全くの無学ながら、これほどまでに自分にあった仕事は他にない。今のところそう考えて毎日を生きている。楽しくて仕方がない。


長い前書きになったが、そんな僕のNGO的日常をこのブログで報告して行こう。そう思っている。飽きない程度にお付き合いしていただいて、皆さんの数ある選択肢のひとつとして、日常を旅する事に疲れたり、立ち止まったときに重宝していただければ幸いです。






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