佐賀のがばいばあちゃん

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がばいばあちゃん

「ばあちゃん、英語なんてさっぱり分からん」

「じゃあ、答案用紙に『わたしは日本人です』って書いとけ」

「漢字も苦手で・・・・」

「『僕はひらがなとカタカナでいきていきます』って書いとけ」

「歴史も嫌いでなぁ」

「『歴史もできんと?『過去にはこだわりません』って書いとけ」


                               佐賀のがばおばあちゃんより



漫才師・島田洋七さんのエッセイ「佐賀のがばいばあちゃん」が話題になっている。


8歳で佐賀に住むばあちゃんに預けられた著者の小学校から中学校卒業までを描いた痛快青春ストーリーであるが、主人公は明治33年(1900年)生まれのウメばあちゃんである。明治33年というと、20世紀の幕開けの年であり、まさに、このウメばあちゃんの人生は20世紀の日本そのものである。したがって、この著者にとっての青春ストーリーは、ばあちゃんの生活を通して見た20世紀の記録でもある。


今や単行本は20万部以上を売り上げ、さらにドラマ、映画化もされていることから、世代を越えて多くの人が支持しているが分かる。僕も読んだのだが、1ページ目をめくってから一気に、最後のページまで読み進んでしまった。何しろ時代は違えども、この本の舞台は僕の青春時代とも重なる。僕も生まれ育ったのは佐賀である。


この本の中で、彼が住んでいた場所は僕の通学路であった。また、彼が通っていた小学校、中学校はまさしく僕の出身校の隣で、そして、ばあちゃんがスーパーマーケットと読んでいた上流に市場があり、野菜が流れてくる川の場所もだいたい見当がつく。だから、著者とは四半世紀の年齢差があっても、なんだか人事だとは思えず、思わず嬉しくなって一気に読み終えてしまった。


しかし、一方で少し憂鬱な気分にもなった。それは、この本が多くの世代に支持される訳は、それだけ、この日本が変わり果てた姿になっているということだ。そんなこと分かりきっているかも知れないが、かえってそのことを実感してしまった。では、ばあちゃんの時代から何が変わったのだろう。何を得て何を捨てたのだろう。


前者はモノに代表される「経済的な豊かさ」で、後者はばあちゃんに代表される「精神の豊かさ」だと思う。じゃあ、この精神の豊かさの正体とは何なのかだが、僕は一言で言うと生活の中の明るさであり、もっと広い意味でいうと将来への希望だと思う。モノは溢れかえって豊かになったのに、そうでない過去が新鮮に見えてしまう。気がつくと古き良き時代を想い、行き先の見えない現代をさまよう僕ら。


この本は、がばいばあちゃんから病める現代人へ「希望」という名前の処方箋のような気がした。


追記


とっても読みやすく元気になります。ただいま映画化も進んでいるとか。

以下、映画化される「佐賀のがばいばあちゃん」の紹介ページです。


http://www.gabai-baachan.com/











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