旅する感性

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若者の旅離れが進んでいると読売新聞が報じた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070805-00000403-yom-bus_all


旅行業界に身を置いている私は、数年前からこの現象を肌で感じはじめていた。最近、世界の街角で、めっきり日本人バックパッカーを見かけなくなったからである。私がはじめてのアジア旅行をした際、どこに行ってもバックパックを背負った日本の若者に遭遇した。それが、少し憂鬱でもあり、同時になんだか同じ地図を持ち、同じ目的地に向かっている同志のようで頼もしくもあった。


90年代後半、折りしもテレビ企画で猿岩石がユーラシア大陸を走破したり、高橋歩著「毎日が冒険」がヒットしたり、若者にとってカルチャーとしての旅が黄金時代を迎えていた。そもそも、私の旅の原点はもう少し古く沢木耕太郎の「深夜特急」だった。「ホンコン」「マカオ」「シンガポール」アジア各地の都市名が日常から脱出するためのパスワードのように思え、その韻を繰り返しているだけでも気分はもう海外だった。


私が旅というものから学んだことは、「今日を生きたようにしか、明日はやってこない」当たり前だがその一言だった。自分の感性をたよりに何もかも勝手の違う異世界を旅することは、想像よりも苦難の連続だった。今考えると些細なことだが、わずか数十ドルぼられたことに喪失感を喰らったし、アフリカでは戦争で手足をなくした人々に囲まれ「難民を受け入れない国から何をしに来た」と迫られたこともあった。世界は優しいだけでなく、不条理に満ちていることを実感した。


しかし、旅には退屈な日常をさまよい、埋没しようとしている私に適度な処方箋を与えてくれた。ちょうど時代は世界規模で進む競争社会の助走段階にあり、社会では「勝ち組」「負け組」といった言葉が生まれかけようとしていた。がんばっても、何に向かってがんばっていいのかわからない。メディアは「がんばる若者」は賞賛したが、「がんばれない若者」は見捨てた。社会が急激に閉塞感で覆われようとしていた。そんな、退屈でどうでもいい世界からの逃避に旅はぴったりだった。


そんな中、旅で養われた感性は、私にピースボートという職場を与えてくれた。ここには、私が旅先で出会った感覚がそのまま日常の中で続いているような場所だ。それは、旅をするように日常を生きる連続といってもよかった。日々、新しい発見と葛藤、なにより新しい何かを作り出そうという「空気」と「熱気」に包まれており、それは10年たった現在も続いている。


今、若者の旅離れは、セカンドライフやミクシーなどに代表される次世代ウェブの発達のためか。それとも、9.11、SARSといった世界情勢がそうしているのか。いずれも分からないが、私は10代後半から20代、世界各地を旅したことが、今そしてこれからの自分をデザインする原動力になっている。


旅をしない若者らが作る未来。

そう考えると、僕らと彼らの間にひとつの時代が横たわっていることを感じずにはいられない。







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