ごきげんよう!さわこです

8月1日の通読箇所は、列王記18章19章。
その時のデボーションノートから。

モーセの造った青銅の蛇はいつまで残っていたか?
このことに気づいたのは、去年の通読のときだった。
それまで、まったく気づかなかったということは、如何にいいかげんに通読を10年以上繰り返してきていたかという証拠となる。
一行一句に心を留めて通読することの困難さを思う。
けれども、そんないいかげんで不十分な読み方であっても、とにかく、めげることなく、続けさせていただいていることに、神様の諦めないまでの愛の深さを思う。

こんな読み方しかできていないのならば、「通読○○回目です!」なんて恥ずかしくて公言できない。
だまって、こっそり、密やかに、「左の手のしていることを右手に教えるな」とばかりにコツコツと読み続けていたら良いのだ。
そうしたら、このような恥ずかしい思いなどは人に知られなくて済むのだから。

しかし、私は周りの教会員たちに
「通読しましょうよ。この通読表はとってもいいのよ。それはね、ユダヤの祭りに焦点を合わせて作られているから。ユダヤの祭りとは、イエス様の十字架の贖いの予型だから、イエス様に焦点を合わせつつ読めるから。しかも、旧約聖書が与えられている意味、根拠がよくわかるから。イエス様のおっしゃったこと、パウロたちが言っていること、それらは旧約聖書そのものだと分かるようになるから。」と勧めているのだ。


通読のきっかけとなったのは、知人である小学校の校長先生に「あなたはクリスチャンだと聞いていますが、聖書は全部読みましたか」と尋ねられたことだった。
クリスチャンとなって二年目くらいだったかしら。
そのときにはお気に入りの箇所は、何回も読んでいたし、あちこちと部分読みはしていたが、最初から終わりまで通して読んだことのないことに気づかされたのだった。

これではハズカシイと思った。
何としても一度は通読をしておかなくては、次にこの質問をされたときには「はい」と答えたい。
相手が小学校の校長先生だったから、小学生に戻ったような素直さが湧いてきた(笑)


そして、義務感から始めた通読だったが、それは手ごわいものだった。
つまらない箇所も気持ちの悪い箇所も、残忍なところも、女性週刊誌顔負けの色恋沙汰満載のところも、あるではないか。

通読はなんども挫折を繰り返したあげく”義務感“でようやく1回目を読み終えた時にはクリスチャンとなって10年を過ぎていた。

これでクリスチャンとしての責任は果たしたような気分になるところだった。
『周りの人にも、いいえ、クリスチャンと言っても知らないことばかりよ』と、
無知を謙遜もどきでアピールできれば、しめたものと、罪びとらしくズルいことを考えたりもした。
しかし、神様は、そういう私の狡さを放ってはおかれなかった。


私が聖書通読に夢中になる「通読表」に出会わしてくださったのだった。
この通読表を使うようになって、旧約の中に隠されているイエス様をみつける喜びがじわじわと湧いてきた。
通読の喜びやお恵みを語らないではいられなくなってきた。

しかし、それは、私がこのような不十分ないいかげんな読み方しかできてないってことを、知られる結果もついて回ってくることになった。
そればかりか「自慢」や「高慢」「ひけらかしている」とも受け止められることもあるという悲しみもついてくる。
こうして、私の心はズタズタに傷ついていくというお恵みがついて来ることになった(笑)
でも、ケチなプライドなんか傷ついて崩れていくことが大事。
それこそが私にとって自分の十字架を担いでイエス様の後をついて行くということにつながっていく。

今日のような記事は、“わたしの恥さらし“であります。
タイトルは「わたしの恥さらし」とした方が適切かもしれないね(笑)


さて長い前置きになりましたが・・・

列王記下18章3-4節には、このようなことが書かれている。
ヒゼキヤはBC714年に25歳でユダヤの王となり、先祖ダビデと同じように、主の目にかなうことを行った。偶像礼拝のための祭壇を壊し、アシュラの像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を砕いてしまった。これはネフシュタインと呼ばれて、人々はこれに香をたいて祈っていたからであった。

モーセが荒れ野で青銅の蛇を作ったのはいつか?
引照付の聖書ならば、こうしたときにとても便利だ。

民数記21:4-9に、主がモーセに青銅の蛇を造るように指示したいきさつが記されている。
民たちは「荒れ野で死なせるために、エジプトを脱出してきたのか。パンも水もない粗末な食事では気力も失せてしまう」と文句をモーセに言ったので、主は炎の蛇を民に向かって送り、多くの死者が出てしまった。そこで民たちは主とモーセを非難して罪を犯したことを認めて、蛇を取り除いてくれるようにとモーセに願い出る。モーセは民のために主に祈ったので、主は「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」そしてそのようにすると、蛇にかまれた人も青銅の蛇を仰ぐと命を得ることになったと書かれている。

青銅の蛇が造られた年がいつであるのかは、よくわからないが、モーセの兄アロンがホル山で死んでから後のようである。
モーセがシナイ山で十戒を授かったのがBC1445年。ヒゼキヤが王位についたのがBC715年。
ざっと計算しても700年は過ぎていただろう。
700年も青銅の蛇を保管していたことになる。
そしてその蛇はネフシュタンと呼ばれてこれに香をたいていたということは、偶像化していたと見なされるのだ。
だから、ヒゼキヤ王はアシュラ像とともに壊してしまったのだ。

重要文化財、重要記念物、国宝的な価値は高いことを思うと、うーん、残念!この時代に博物館があれば、ガラス張りの中に鎮座まして人々が詰めかけて、入場料は国家の運営資金となっていたことだろう。あるいは王の宝物庫の中に片づけて保管しておいてもよかったのではないかしらなどと、思ってしまった私(笑)

どうでもいいようなことに想像力をふくらませてしまったのだが、ともあれ、青銅の蛇が700年もの間、保管されていたことにも驚いたし、イエス様の十字架を仰ぎ見るための象徴が、「青銅の蛇」というのも、エデンの園での出来事に重なってくる。見えない神の恵みの業が、一時的であれ物質で象徴されると、象徴物が偶像化してしまうこともありがちなことだと思う。

さて、「モーセ荒れ野で掲げた青銅の蛇はその後どうなったか」という聖書クイズの種の一つになりますね。


マラナ・タ

こういうことも、聖書通読の楽しみ方の一例となります。
AD