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第一回:うまれた~幼稚園~小学校1年生

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-うまれた-

私は1998年、生まれました。
5月11日。生まれたときの記憶ないです。

でも今生きてるんだから、きっとあの日、生まれました。

-幼女-

私は、アンパンマン大好き純幼女だった。
ままが録画してくれたアンパンマン(ままありがと)ずっとずっと繰り返し見てた。アンパンマンの好きなところは、もちろんアンパンマンボイス。

私は昔から声フェチだったんだ。私は多分だけど聴く力になんらか障害がある(周りのにんげんと比べてそー思ったんだ)。だから人がしゃべってること、あんまり上手に聴きとれない。(でもその代わり、人の感情にはすごく敏感で、なにしゃべってるか分からなくても、何を伝えたいかは結構すぐわかるよ。)

アンパンマン先パイは、私のそんなボケ張力にもすごく分かりやすく、ゆっくりぬっとりあったかい一定のボイスでしゃべってくれたんだ。幼女の私にも、アンパンマン先パイの偽りのない優しさがすごく伝わってきて、大好きだった。

他のテレビは何しゃべってるか分かんなかったし、ゴチャゴチャしてきらい。がんばったら3ちゃんねる(当時のNHKは3ちゃんだった)は見れた。でもパンマン先パイは別格、私はままに「一生のお願い」を利用して、アンパンマン号のおもちゃも買ってもらった。(ままありがとう)

私は1人で遊ぶのが好き。アンパンマン号があったら1日中それで1人で遊べる“1人遊びスペシャリスト”。今書いてて思ったけど、私には1つ上のお姉ちゃんがいたのに2人で遊ぶなんてこと、ずーっと無かったな。

ちなみにアンパンマン号の中身を心ゆくまで見て堪能することができた。さらにパンマン先パイや、じゃむ(おじさん)とかの愉快な仲間たちをボタンでしゃべらせることもできた。

あんなに素晴らしいおもちゃ、あれ以来出会ってない。私はパンマン先パイが自分の顔面を自らひきちぎって、人(ウサギやゾウ)にあげちゃう所も、なんだかムゴくて好きだった。

私はカバオがなんとなく嫌いだったから、カバオがパンマン先パイの顔面を食い散らかすシーンはけっこー許せなかった。

-幼稚園-

私はアトピーがひどくて入院してたから、幼稚園にエントリーするのが少し遅かった。

5歳の途中(年中さん)から幼稚園にエントリー開始したけど、それまでずっとままと一緒にいて、アンパンマンライフをエンジョイしてた私は幼稚園に行くことが死ぬ程イヤだった。

私は幼稚園に行くことを、毎日全力拒否した。私の通っていた幼稚園は、朝、幼稚園に向かうとき、バス組とヨチヨチ歩き組の2つに分かれていた。

私のお家は幼稚園から近いところにあったから、私はヨチヨチ歩き組だった。ヨチヨチ組は、指定された待ち合わせ場所に立って待ち、遠くからやってきたヨチヨチ組と合流して幼稚園に向かう。

私は朝、待ち合わせ場所に到着した瞬間から、ままの片足にからみつき、しがみつき、「絶対、ままから、離れない」アピールをした。

ヨチヨチ組が向こうからやってきて、ままから離れなきゃいけない時が来ると、私は5歳児とは思えないほどの声量デスボイスで「や゛―――!!!」とギャン泣きをかましてみんなを困らせた。

そんな迷惑系幼児を、先生や他の無垢幼児達が「がんばれー!」と応援してくれて、なんとか毎日べそかきながら登園できる感じだった。

そんな、くそ迷惑児な私も、5歳になって年長さんになる頃には、涙1つも流さず「ばいばーい!」とままに言って登園できるくらいまで成長した。幼稚園のことは、だんだん好きになれた。

みんなまだ純粋ぴかぴかのガキんちょで、脳みそ腐ったような大人なんかいなかった。
みんなが素直で、損得勘定も虚栄心も無くって、みんな泥だんごピカピカにするのが好きだった。(まいはボーっとしてるのが好きだったたよ)

私は聞くのも話すのも不得意だったから友達はできなかった。でも幼稚園ではごはん食べるのも、お外で遊ぶのも「みんなで一緒」が基本だったから、さみしくなかった。

まいは幼稚園でクッキー作らせてもらえるのが、すっごい好きだった。(今も作ってるのかなあ?食べたいな)私は、幼稚園にエントリーして最初の頃、A先生がこわくて苦手だった。A先生が現れたら他の子を盾にして隠れた。A先生は、いつもみんなに「がんばる、ふんばる」ことを大きな声で教えてくれてた。(まいは大きな声=怒ってる、だと思ってて、A先生を恐れていた)

私がかけっこで転んで「わ、ァ…」って泣いちゃっても、A先生は助けの手なんか差しのべず「ほら!!泣かない!!立ち上がる!!」と気合の精神を私に教えてくれた。

うんてい(棒にぶら下がって、どんどん前の棒を掴んで進んでいく遊具)をみんなでするときも、A先生は、痛くて疲れてすぐ諦めちゃう子達に「だめー!!」と根性をたたきこんでいた。

私も、うんていキライですぐ諦めちゃうガキだったから、A先生に叱られていつも泣いてた。

でもある日、A先生の前で、がんばっていつもより1個奥の棒を掴んで進めた時(A先生が見てたから進めたのかも)A先生は、そんな私をめちゃ褒めてくれた。

あの時はめちゃうれしかったし、A先生のことがめちゃ好きになった(チョロい)

私はまだ年中さんだったとき、ずっと毎日ぐずって泣いちゃう日々が続いた頃があった。そんな私を見て、クラスの先生が「まいちゃんのままにお手紙かこっか」って言ってくれた。
まいはそれがすごいうれしかった。まいはその手紙に「ままにだっこしてほしい」ってことを書いた。

あと幼児の絵、特有の胴体から腕が生えているままの絵も描いた気がする。

まいはその手紙をその日の夜、ままに渡したら「(だっこ)いつもしてるじゃん」と言われて、その日はだっこしてくれなくて悲しいと思った。

まい的に、いつもされてると思わなかったんだもん。

してくれたのかもしれないけど、欲張りで、あの頃からメンヘラ予備軍だったんだ。もっともっとだっこして、まいのこと見てほしかったんだと思う。

友達もいなくて、自分のこと話せる相手、まましかいないよ、ままにもっと、まいのこと聞いてほしかった。

まいにはまましかいなかった。

まいは、幼稚園の頃、うまれて初めて心に傷がついた。

それは朝、幼稚園に向かうときのヨチヨチ歩き組で、あった出来事。

ヨチヨチ歩き組には、みんなで登園するにあたって、3つのルールがあった。

1つ目は先生の言うことを聞いて先生についていくこと。
2つ目は横断歩道は手を挙げて渡ること。
3つ目は、みんなで2列になって隣の子と手をつなぐこと。

私はその日、しげるくん(仮名)と隣になった。私がしげるくんと手をつなごうと、「はいっ」と手を差し伸べたら、しげるくんは私の手を見て、小声で「うわっ」と言ってすごいイヤな顔をされた。まいはあの日、自分は「気持ち悪い人間」なことに気づいた。

まいの手とか腕は、アトピーだらけで(服で隠れてる部分も)赤くてえぐれた傷があったり、ガサガサしていて、普通の肌をもって生まれた人からしたら圧倒的に「気持ち悪い」のだ。

私は生まれて初めてあの日、人に「気持ち悪い」という反応をされて、耳がキーーンとなって意識が一瞬宇宙まで飛んだ。私のキモい肌を見て、素直キモいと反応するしげるくんを見て、悲しいとかよりも先に、“ごめんなさい”と感じた。

その後、先生が「ちゃんと手つないでー」というから、しげるくんはイヤイヤ私と手をつないでくれた。
早く手を離してあげたいと思った。
ごめんなさいと思った。

あの日から、人と手をつなぐのが、まま以外怖くなった。

すごく勇気のいる行為になった。

手を重ねることは、私にとって特別なことになって、それはしげるくんがキモがってくれたおかげだから、ありがとうって思ってる。

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-小学1年生-

幼稚園を卒園して、流されるまま小学生になった。

ランドセル(赤)はお姉ちゃんのお下がりだったけど、お道具箱とかは、ままが新しいの買ってくれた(ままありがとう)。

私のアンパンマンブームは過ぎ去っていて、特に好きなキャラクターがいない私は、なんとなくシナモロールのお道具箱を選んだ気がする。

ふで箱も多分シナモ。
新しい鉛筆、消しゴム、ノート。

新しいものはなんでこんなにも心をキラめかせてくれるんだろう。

とワクワクした。

私は相変わらずおしゃべりができなくてお友達もできなかった。
楽しそうにポンポンと会話を交わす子達を見てうらやましいと感じたし、どうしてそんな風におしゃべりができるのか不思議で仕方なかった。

私が今になって分かるのは、おしゃべり上手な子たちはみんな、お家にいる時の会話が盛んで、会話慣れしてるのかな、と思った。
私の家族は、犬以外みんな無口だったし、会話らしい会話をすることが、めったに無かったと思う。

そして、ままもぱぱも、社交的じゃない。まいは人と交流する大切さを教わらなかったし、ままもぱぱも、人と交流してるところを私に見せなかったから学ぶものがなかった。

ままに関しては、ある日、ままとわたしとおねえちゃんでおひるごはんを食べにファミレスへ行った時、6人ぐらいでキャッキャお話ししながらご飯食べてるママ友集団を見て、「まま、ああやってかたまるのキラーイ」と言っていた。

まいはまま信者だから「まいもー!!」と応えたけど、正直みんなでわきあいあいとおしゃべりできてるそのママ友集団は、まいはちょっといいなあって思ってた。

7才。


何故かどんどんアトピーが悪化した。

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