―習い事に通うというのも経済的に難しそうですね。
小学生のときにみんなは習い事に行ってるけど僕は行けないとか。ゲームとかもそうかな。一回も買ってもらったことないです。
休み時間とかはよく音楽室にいました。ピアノを弾くのが好きだったので。こういう学校の活用の仕方があるんだってことをちゃんと理解してたのかもしれないです。
当時は塾に行きたいと言って母とよく喧嘩してましたね。中2、中3くらいからみんなも塾に行き始めて。でもうちでは全然無理だったので、高校受験は自分の力で乗り切ったって感じです。塾の費用はやっぱりすごい高いので。
私立の高校に行きたいとかって思ったこともあったし。私立は本当に贅沢というイメージでしたけど。
―部活には入っていましたか。
中学では部活もしてなかったです。中3ぐらいまでは喘息で体育もほとんど参加できないくらいで。年に3回参加できたらいいかな。それ以外は休んでました。
高校生になって、吹奏楽部に入ったというか、ピアノ弾いてただけなんですけど。結局お金がかけられないので、別の学校と合同練習したりとか、コンサートとか、どこかに遠征に行くというのは、僕は行けない。そもそも吹奏楽では、ピアノは目立つ仕事ではなくて。
楽器は高くて買えないので、学校にあるピアノで。無料でできるようなところしかやってないです。トランペットとかもやってみたかったですけどね。それこそクラシックが好きだったので、オーケストラにある楽器は全部好きですし。
陸上部にも籍を置いて短距離をやってました。これも、試合に出るとかはしないで練習だけですけど。あとは、部員がいないところから何人か集めて科学部の部長をやってました。興味は広いんだと思います。一つでは飽き足らないというか。
―お金の制約が大きくある中で、色々やってみたいことをやってきたんですね。弟さんや妹さんはどうでしたか。
自分と違って、二人ともあまり欲みたいなものを持たないですね。お兄ちゃんが「あれがほしい」「これがしたい」と言って親と喧嘩してるのを見て何も言わなくなったのかもしれないです。僕が勝手にそう思ってるだけですけど。
―その後、大人になって、働くようになって。
今も余裕はないんですけど、5人家族の家計の半分くらいは僕が支えています。僕が20歳くらいのときに、家族全員で生活保護もやめました。車も今はあります。
人生で最初の大きな買い物は、成人してから買ったピアノですかね。電子ピアノなんですけど、グランドピアノに近い音質を出せるやつで。やっと買うことができて。
高校生のときより腕は落ちてますけど、毎日仕事に行く前に弾くようにしています。
子どもたちから何が奪われているのか
子どもの頃に家庭が貧困に陥り、体験格差の渦中に身を置かざるを得なかった松本さんは、それでも自分の興味関心を追い求めることをあきらめなかった。
彼は強い。同じ境遇に置かれた子どもたちの多くは、彼と同じようにはふるまえないだろう。それは誰にも責められないはずだ。だからこそ、子ども時代の彼のがんばりや姿勢に学びつつ、そのエピソードを一つの美談として消費するだけではいけないと思う。
改めて子ども自身の目線から「体験格差」を考えると、親の努力の大小にかかわらず、自分では変えられない「生まれ」に子どもたちが放置されているという社会的な構図が、より一層クリアに見えてくる。そして、その放置は世代を超えて繰り返されている。今の親たちも、かつてはみな子どもだったのだ。
では、松本さんのように、「体験」への十分な機会が得られなかった子どもたちからは、そうでない子どもたちに比べて、相対的に何が奪われていると言えるだろうか。
「体験」から得られるその時々の楽しさの格差、ほかの子どもたちにできていることが自分にはできないという相対的な剝奪感に加えて、子どもたちの将来、中長期的な成長に関わる様々な影響が予想される。
まず指摘したいのが、「体験」の有無による、子どもたちが社会情動的スキル(Social andEmotional Skills)を伸ばす機会への影響だ。認知能力(スキル)との対比で非認知能力(スキル)とも呼ばれる社会情動的スキルは、例えば忍耐力、自尊心、社交性などを含み、池迫浩子(いけさこ・ひろこ)氏と宮本晃司(みやもと・こうじ)氏によるOECDのワーキングペーパーでは次のように定義されている。
(a)一貫した思考・感情・行動のパターンに発現し、(b)学校教育またはインフォーマルな学習によって発達させることができ、(c)個人の一生を通じて社会・経済的成果に重要な影響を与えるような個人の能力
同ワーキングペーパーは、社会情動的スキルに「目標を達成する力」「他者と協働する力」「情動を制御する力」が含まれるとし、部活動や放課後プログラムなどの課外活動、地域でのボランティア活動や野外冒険プログラムへの参加が、これらのスキルを伸ばすのに有益であると示す国際的なエビデンスも列挙している。例えば、
米国における研究は、音楽のレッスン、ダンスのレッスン、舞台芸術活動、芸術のレッスン、スポーツ、放課後のクラブに参加する小学生は、こうした活動に参加していない者に比べ、より高い注意力、秩序、柔軟性、課題に対する粘り強さ、学習における自主性、学習に対する意欲を見せることを示している。
日本国内については相対的に研究の蓄積が少ない。文部科学省による調査があり、小学生の頃に自然体験や文化的体験などを多くしている子どものほうが、そうでない子どもに比べて、中学生や高校生になった時点での自尊感情が高い傾向が示されているが、必ずしも因果関係を示したものではない点に留意が必要だ。
こうした社会情動的スキルへの影響に加えて、様々な「体験」の有無を含めた子どもたちを取り巻く環境は、かれら自身の将来に対する意欲や価値観のあり方をもいつの間にか規定していく可能性がある。
本がたくさんある家庭で育った子どもが本好きになりやすいこと、音楽を聴くことや楽器の演奏が好きな家庭で育った子どもが音楽を身近に感じやすいこと、こうした形での親から子どもに対する有形・無形の影響を「文化資本」の相続と捉える見方があるが、こうした点にも「体験」の有無は関わっているだろう。
親世代から子世代へと「体験」の格差が連鎖している可能性については、全国調査の分析においても、インタビューの中でもたびたび触れてきた。
最後に、「体験」の場が家庭や学校での関係性だけではない、色々な他者とのつながりを育む機会であるという点にも注目したい。
近しい年齢の子どもたち、少し年上のお姉さんやお兄さん、あるいは大人のコーチや先生たち。こうした他者とのつながりの豊かさに、例えば習い事の月謝が払えるか否かが影響を与えてしまっている。インタビューの中でも、親たち、子どもたちの社会的な孤立がたびたび見え隠れしていた。
かつて子ども時代に支援活動を通じて出会い、今は社会人として働いているある青年は、サッカーのコーチに「サッカーのスキルだけじゃなくて、人として成長させてもらいました」と語っていた。彼は幼少期に父親を亡くし、母子家庭で育っていたが、母親が色々な我慢をしながら、サッカーにだけは小学生の頃からずっと通わせてくれていた。逆に言えば、そうさせてあげられない親たちも、たくさんいるはずだ。
あるスポーツの指導者から、一人の不登校状態の子どもが、地域のスポーツチームにだけは必ず参加しているという話を聞いたこともある。「体験」の場は、社会とつながることに困難を抱える子どもにとっての大切な居場所となる可能性があるし、実際になっている。
ただし、保護者がそのお金を払えるのならば。これが現実だ。社会の中での様々な他者とのつながりは「社会関係資本」とも言われ、子どもの教育や健康、ウェルビーイングに関わるとされる。こうした格差の構造を繰り返さないためにも、低所得家庭の子どもたちがアクセスしづらい「体験」の機会を広く提供することが重要ではないか。
子ども時代に「体験」の機会が少ないことの意味について見てきた。社会情動的スキル、将来に対する意欲や価値観、色々な他者とのつながり。「体験」とそれらの関係を想像し、理解することは、すべての子どもたちにとっての「体験」の重要性、そして体験格差を放置すべきでない理由を確認することにつながっていくだろう。
そのうえで最後に考えるべきは、体験格差に抗う社会をどうつくっていくかだ。
今回紹介したのはこちら!
『体験格差』
今井 悠介 (著)/ 講談社
習い事や家族旅行は贅沢?
子どもたちから何が奪われているのか?
この社会で連鎖する「もうひとつの貧困」の実態とは?
日本初の全国調査が明かす「体験ゼロ」の衝撃!
〈著者プロフィール〉今井 悠介
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事。1986年生まれ。兵庫県出身。小学生のときに阪神・淡路大震災を経験。学生時代、NPO法人ブレーンヒューマニティーで不登校の子どもの支援や体験活動に携わる。公文教育研究会を経て、東日本大震災を契機に2011年チャンス・フォー・チルドレン設立。6000人以上の生活困窮家庭の子どもの学びを支援。2021年より体験格差解消を目指し「子どもの体験奨学金事業」を立ち上げ、全国展開。本書が初の単著となる。