「結核患者を寺で預かってくれ」…大阪・釜ヶ崎の労働者と向き合う“覚悟”が試された僧侶の“決断”

実践者の覚悟

戸次は母、妻と一緒に稲垣から説明を聞いた。預かるのは結核を患った日雇い労働者である。家族は「うーん」と考え込むばかりで、断りたがっているのがひしひしと伝わってくる。泉大津は保守的な町である。檀家に知られたら反対されるのは目に見えている。戸次は自問自答する。

「寺はこんなことに利用する場所ではないやろ」

「寺だからこそ、困っている人たちに開放すべきや」

彼の頭には、断る理由とそれを打ち消す意見が交互に浮かんでくる。

普段、反差別の側に立ち、労働者と寄り添うふうを装いながら、心底では、困っている人を救うのを躊躇しているのか。援助を求めてきた人を門前払いした場合、背中に五寸釘を刺された感覚を味わうはずだ。そして、その傷は一生ついて回る。迷った彼はとりあえず一週間程度、本堂を提供すると決めた。

病院は患者が外に出ないよう、病棟にカギをかけていた。それを開けて患者たちが逃げ出したのが3月8日深夜だった。当初約30人が脱出する計画だったが、病院側の警戒が厳しく、抜け出せたのは7人にとどまっている。

本堂でそれぞれ簡単に自己紹介した後、患者は眠りに就き、翌朝7時半からの勤行にはそろって参加した。

その後、府医療対策課や地元保健所から担当者が寺に来て、病院での実態を聞き取った。見慣れぬ男性たちがいることに不信を抱いた住民のなかには、「連合赤軍に寺が占領された」と考えた者もいたらしい。

ほどなく7人は別の施設に移っていった。南溟寺での滞在は6泊7日になった。これをきっかけに戸次は釜ケ崎の労働者たちの信頼を得る。そして、身寄りのない人が釜ケ崎で亡くなると、葬式で経をあげてきた。彼は釜ケ崎の人々についてこんな感想を持っている。

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「あそこの人を、人生の敗残者のように見るのは一面的ですね。生きやすいので、あそこで暮らしている人が多い。自分たちのやっていることは文化的で、あそこで生きている人は肉体労働しかできない落ちこぼれと考えるのは、実態を知らない者による偏見であり、差別意識の表れです。

人にはそれぞれ、自分に合った生き方があると釜ケ崎は教えてくれる。人の生き方や考え方は同じではない。あそこの人たちと交流するとそれを認識できます」

「宗教弾圧だ!」...仏教界騒然!″過激派集団”の拠点として寺を捜索してきた検察に住職がした″復讐”とは』へ続く