落ちぶれて酒に溺れた“伝説のストリッパー”が「大阪市議会選の“推薦人”」になれたワケ

稲垣という「男」

稲垣は44年、大阪市東淀川区に生まれた。歳は一条の7つ下になる。

市立淡路中学時代は陸上部に所属し、1500メートルの選手だった。地元の私立高校を卒業後、調理師になろうと兵庫県西宮市にある栄養調理の専門学校に入る。そこで新聞部の先輩と一緒に、「ドヤ街の食事と栄養」について調査し、結果を発表することになった。これが「寄せ場」と呼ばれる日雇い労働者の街との出会いである。

ドヤとは「宿」の逆さ言葉で、簡易宿泊所を表す隠語である。稲垣は神戸・三宮にあったドヤに寝泊まりしながら3日間、労働者と共に働き、彼らが何を食べているかを調べた。

労働者相手の屋台で食事をとる。自分が食べたのと同じ物を注文してビニール袋に入れて、近くで待っている新聞部の仲間に手渡し、栄養価を分析した。

さらに翌年、今度は小遣いを稼ぐため、釜ケ崎のドヤ「三越」に寝泊まりしながら日雇いのアルバイトをした。

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三越は一階が売春宿、2階が宿泊室で4畳半ほどの部屋に6人が寝泊まりできた。宿泊料は1泊80円。1日働くと800円の賃金がもらえた。稲垣は1週間働き、貯めたカネで動物図鑑と植物図鑑を買った。

66年に専門学校を卒業し、いったん東京で労働運動に参加しながら、69年暮れごろから共産主義の大衆組織「労働者解放戦線」に加わった。大阪に戻り給食サービス大手「一富士」に入社したのが70年である。

稲垣はそこで労働組合を作ろうとした。すると会社は就業規則に違反したとして彼を解雇する。彼は裁判で解雇の不当を訴えるとともに、東京で安保闘争に加わる。70年6月には東京で逮捕、9ヵ月間拘留された。

『50代になってもなお「モテ期」は健在!?…酒と男から足を洗えない《伝説のストリッパー》の望みとは』へ続く