落ちぶれて酒に溺れた“伝説のストリッパー”が「大阪市議会選の“推薦人”」になれたワケ
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。
「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。
『踊る菩薩』連載第101回
『世間がバブル景気に沸く一方で「家賃800円」の激安宿暮らし…時代に置き去りにされた《伝説のストリッパー》がたどった悲惨な末路』より続く
一条と稲垣の出会い
一条さゆりは毎日のように、釜ケ崎の屋台で飲んでいた。稲垣浩に出会ったのも屋台だった。
彼は1975(昭和50)年12月10日から毎日、大阪・釜ケ崎で労働者やホームレスの人々に「炊き出し」の支援をしている。晩年の一条を助けた一人だ。彼女との出会いを覚えていた。
「(あいりん総合)センターの前に『きくちゃん』という屋台があってね。連れと2人でそこにいたとき、一条さんが飲んでいたんやな。連れが『あれが、有名な一条さゆりや』と教えてくれた」
稲垣は釜ケ崎で労働者を支援するようになってから、酒を断っている。
釜ケ崎では、労働者を支援する稲垣たちと、暴力団や暴力手配師、そして警察の間に争いが絶えなかった。彼自身、いつ殺されてもおかしくないような激しい日々を送っていた。どうせ殺されるなら、酔ったまま死ぬのは嫌だ。殴られ、踏みつけられるときの痛さを酒で紛らわせてなるものかと思っていた。
労働者からはしばしば、支援要請や相談が入る。酒で足がふらついていては、突然の要請に応じられない。だから飲まなくなったのだ。