茶箪笥のモリタート

考察は妄言 深読みは趣味

グノーシアのプレイ感想:考察編

はい。



本記事はSF人狼ゲーム「グノーシア」の感想文になります。
ゲーム内容とストーリーについての感想文は以前書いたのですが、その時には書ききれなかった考察などしていこうと思います。
内容は主にループ関連。

未プレイの方からすると頭から爪先まで意味がわからないうえにネタバレというアレな記事ですのでご注意されたし。
もくじから既に若干のネタバレを孕んでいるので……

未プレイでプレイを迷ってる方がもしいらしたら前編の記事をどうぞ!よろしければ!!!


ネタバレはほぼない (はず) のゲームシステムの話とキャラクター紹介↓
3monopera.hatenablog.com


ネタバレバリバリのシナリオ感想・考察↓
3monopera.hatenablog.com


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ちなみに今回は画像添付自粛しました。
ブログを検索すると記事内の画像がヒットしてしまうことを知ったので、画像によるネタバレ防止のためです。
本当にこのゲームだけはネタバレなしで最後までやっていただきたいのです……拙者は……


「銀の鍵」考


以下の考察は話半分に読んでいただければ幸い。
考察・解釈とはいつでも作品の受け手の妄想に過ぎないのだ……

ループの仕様


まずストーリーにおけるまさしく鍵である「銀の鍵」(以下、鍵と呼称)のループについて。
ループと言っても、この鍵が起こすのは同一世界間の時間遡行ではなく平行宇宙間の移動である。

そして、鍵による次元移動は一部例外を除いて宿主の精神のみの移動だろうということをおさえておきたい。
その根拠としては

  1. 宿主の肉体の喪失(グノーシアによる襲撃)や損傷(セツのデブリ衝突など)が起きても、次のループでは五体満足であること
  2. ループ数が増えても、成長や老化などの身体的変化が一切見られないこと
  3. 不可逆のはずのグノーシア化が次元移動によって解消されること


の3点が挙げられる。

③についてはその宇宙によってグノーシアか乗員かという大きな肉体的変化がある以外にも、AC主義という心理的変化が発生するのも注目したい。

突然AC主義になったり戻ったりという心の動きを数日間隔で繰り返すのは、全くあり得ない話ではないかもしれないが人格の一貫性を著しく欠いてると思う。
ゲームだから仕方ないと言えばそれまでだが、これらの原因はその宇宙にいた自分の肉体の情報に依ってしまうからとは考えられないだろうか。
SQの肉体に入ったマナンの精神がその主導権を握れない宇宙がいくつもあったように、結局のところ精神はその肉体に引きずられるものなのだろう。


まあとにかくざっくり言うと、肉体を継続的に使用する場合に見られるはずの変化や一貫性がないじゃん!という話。
これらを踏まえて、肉体はその宇宙の本人のものを使い、鍵は寄生者の精神のみを次元移動させているのだと判断した。


物理的変化は何故起こる


さて、鍵によるループが物理的なものを伴わない移動だとなるとおかしなことがある。

各宇宙で、ループに関連していて且つ自然発生するわけがない物理的な変化が起きているのだ。
それは以下の2つ。

  1. ラキオの所持する鍵の紛失
  2. 主人公の二重存在問題(同一存在が各宇宙に2人存在してしまう矛盾を以下、便宜上「二重存在問題」と呼称する。呼び方が無いと長いし。)


①について、ラキオの鍵はセツの始まりの宇宙にて主人公に譲渡され、セツを宿主にする手続きが行われた。
この1連の行動はセツの始まりの宇宙でしか起きていない。鍵がラキオのものだと判明した周ではラキオ自身が「失くした」とも言っていたし。
自主的に毎回ラキオからセツへ譲渡しているわけではないのだ。

また、②について。
二重存在問題は同じ人間が物理的に2人存在してしまうから発生するのであって、鍵のループが肉体を伴わない移動ならば普通起こり得ない問題である。
だがしかし、数多く行ってきたループの中でたった1回だけ、物理的存在ごと次元移動した例がある。

これはプレイ済みの方ならご存じ、「次元の扉」のこと。
扉を開いて別の次元に行ってしまったセツとループしていない方の主人公は、その宇宙から存在がまるごと消失した。物理的に別の宇宙に移動しているのだ。
作中最大の問題であった主人公の二重存在問題はこの「扉」による移動で解決し、そして同時にここで発生したのだろう。ストーリー的にもそんな感じだった。


この2つの物理変化は、たった1度、1箇所の宇宙でのみ起きた変化でありながら、主人公たちのループするすべての宇宙に適用されている。
完全なる憶測になってしまうが、状況から考えるに銀の鍵によって起こった物理的な変化はそのまま他の宇宙にも適用されるということなんだと思う。



ちなみにこの二重存在問題、主人公以外にも発生している。
ご存じSQちゃんのママことマナンちゃんことククルシカ。

作品の裏のキーパーソンとなる彼女は、身体が人形という違いこそあれど、主人公と同じく各宇宙にループして来た存在(inマナン)とその宇宙に元いた存在(本来の自立型ドール)が同時に存在していた。


作中で解決に奔走した「凍らせたククルシカが何故動く?」のアンサーが「2体いたから」と明かされた時はノックスの十戒!!*1と思わずつっこんでしまったけど、振り返って見るとこここそがノックスの十戒における「双子の存在の開示」だったのだなあと気付いて膝を打つしかなかった。
ククルシカも鍵の所持者だという重大な情報の布石を直接的な関係はない謎の答えの中に隠すという巧妙さよ。グノーシアは本当にシナリオ構成が丁寧だし上手いなあと思う。


話が逸れた。

とにかく、ククルシカでも二重存在問題が起きている以上、鍵による物理変化は一箇所で起きたらすべての場所で適用されるという解釈でいいんじゃないかなと思う。


上記がこの節の結論で、ここからはただの誇大妄想 。

すべての平行宇宙でこの物理変化が発生していると考えるよりは、それが起きる「可能性」が各宇宙に生まれたと考えるほうが自然な気がする。
あくまで上記の物理変化が起きるのはセツと主人公(とククルシカ)がたどり着いた宇宙だけなんじゃなかろうかと。

各宇宙には事象が起きる「可能性」が等しく存在していて、それの対象(ここでは主人公、セツ、ククルシカ)が特定の宇宙を観測した時点で、その宇宙での事象の有無が決定するみたいな?
あるいは世界を構成する選択肢の中に「主人公が2人いる」「ククルシカが2体ある」「ラキオの鍵がセツのものになる」が加わって、ループして来た時点でその選択肢が選ばれるみたいな?

なんかあの量子物理学でそんな感じの考え方があったように思う……コペンハーゲンとかシュレディンガーとか……いやこれらの原理からして解釈がズレてるかもしれないけれど……
これは文系の愚かな妄言だと哀れんでください……許してください……


イレギュラーは誰なのか


気を取り直して作中のループの話に戻ります。
じつは上の物理変化の話で1つ問題が増えてしまった。

次元の扉をくぐったから二重存在問題が起きたというロジックならば、それはセツにも適用されるのでは?という問題である。
しかし、セツに二重存在問題は起きていない。
主人公とククルシカに起きた事象がセツにだけ起きていないこのイレギュラーは何事か、というのが本節。



しかしまずもってこの問題、人数比で言えばたしかに少数派はセツであるが、イレギュラーはセツではない

仮にセツがイレギュラーだとすれば何某かの要因があるはずだと思うのだが、扉をくぐる時のことを考えても、ククルシカと主人公にあってセツにないその「何某か」が見当たらないのだ。


そもそも根本的な話になるが、鍵によって扉を開いたら確定で二重存在問題が起こるのはシンプルにヤバすぎる。
なんてったって宇宙崩壊の危機だ。情報を求めて周辺宇宙をさまよう鍵が餌場を積極的に壊すような真似をするわけは無いように思う。
それに、ストーリー内で鍵は宇宙崩壊する条件(グノーシアがいない=主人公が2人存在する)を移動先から自動的に除外していた。
鍵が移動先の条件をそれなりに細かく絞り込めることはゲームをプレイしていればよくわかる。それなのにわざわざそんな宇宙崩壊してしまうところに扉を開けることはまずあり得ないのではないか。


と、いうことを踏まえてもう一度ククルシカと主人公の二重存在問題を振り返ってみると、存在の二重化が宇宙崩壊の因子になるという重大な問題を抱えているのは主人公だけということに思い至る。

そして主人公の場合、扉をくぐった時にセツとククルシカにあって主人公になかった「何某か」がある。
それは意識だ。
自分の意思で次元の扉をくぐり向こう側から鍵を閉めたセツとククルシカに対し、主人公は意識のないままセツに伴われて扉をくぐっているわけだ。


上記から、やはりストーリーで指摘されている通り主人公こそがイレギュラーの方が筋が通っているように思う。
そして考えるべきは何故セツには二重問題が発生せず、主人公には発生したのかである。


ここで一旦グノーシアのいない世界で宇宙がぶっ壊れた時のことを思い出してみる。
セツと主人公でグノーシアのいない平和な船をしばらく満喫した後、2人は医務室の医療カプセルを恐る恐る開く。そこに眠っていたのは自分こと主人公。そしてその目がゆっくりと開き……目が合おうとした瞬間、宇宙が崩壊した。

ここから、二重存在の矛盾から対消滅が起きるタイミングは同一存在双方の「意識がある」時だということがわかる。
つまり問題は同じ人間の肉体が2つあることよりも精神が2つ存在することにあったのだ。
だからこそ、人形は2体でも精神は1つだけのククルシカでは主人公のような事故が起きなかったと考えられる。


そして鍵について。
鍵は1個につき1人用であり、もとより扉で2人移動することは想定されていないはずである。
それに扉を開いて閉じることも意識のある人間でなければ行えない動作だ。
そう考えると、扉をくぐる人間が2人いるとか、ましてや意識不明の人間を引き連れてくるなんて、鍵さんサイドとしては全くの想定外だったんじゃないかな……という気がしてくる。


そんなわけで。

  • 同一存在双方に精神(意識)があると宇宙崩壊→精神(意識)が無いものはノーカン?
  • 鍵は1つ1人用のため、開く扉も1人用想定?


という2点を考慮し、筆者は以下のような顛末だったのではないかと考えた。


鍵は扉による次元移動で二重存在問題が発生することが無いよう、移動者・セツのいない宇宙に条件を設定する。一方、セツに伴われて扉をくぐった意識不明の主人公は鍵にも宇宙にも認識されず、条件の絞り込みが適用されなかった。
そして不運にも移動先が「セツはいないが主人公はいる宇宙」だった。その船に本来いた主人公がグノーシアに消されて宇宙崩壊は免れたものの「主人公が2人いる」状態となり、他の宇宙にも二重存在問題が適用されることとなった。


みたいな。
ククルシカの場合はそもそも二重存在による宇宙崩壊が起らないからそのような条件を絞る必要がなかったのだろう。



ここまでの考察、個人的にはけっこう筋は通ってると思うのだが
「その宇宙にいた主人公がグノーシアに消される世界に移動してるんだから鍵は意識不明の主人公も認識してるんじゃ?」
「根拠がすべて想像の域」
「結論ありきの暴論すぎる」
「そもそも条件の違う3例を比較する時点でアレ 」
とか言われたら土下座するしかなくなる。


なんにせよ扉をくぐったのが

  1. 普通の人間
  2. 意識のない人間
  3. 人形

という見事に前提条件の異なる3例しかないためハッキリとしたことは何もわからない。
しかも普通の人間ですら意識のない人間を伴って扉をくぐってるので凡例らしい凡例がない。
イレギュラーは誰なのかというこの節の問いかけ、ぶっちゃけこの3人まるごとイレギュラーと言っても過言じゃないのでは?という答えが正しい気がする。

その上で、主人公が意識不明の状態で扉をくぐったために宇宙が崩壊するタイプの二重存在問題が発生したのでは、というお話でした。


始点の理由


最後に主人公の始点について考える。

上の節で語った「扉の移動先は対象者のいない宇宙」という考えは根拠のない妄言だけど、そうした場合に辻褄が合うことがある。
それはセツが何十何百と繰り返してきたループの中で、この宇宙にだけはたどり着けなかった理由だ。


主人公が連続するループの1つとしてセツの始まりの宇宙にたどり着いたのに対し、セツが主人公の始まりの宇宙に行くのは最後の最後。
しかも物理的な移動の必要な次元の扉を開いた先だった。

これってつまり、鍵によるループができない宇宙だったということなのではないだろうか。そして先の考察の通り、扉の移動先は二重存在問題の発生しない、対象者がいない世界だとすれば。
セツ本人がこの宇宙に存在せず、鍵による精神のみの移動の叶わない宇宙だったため、主人公のように繰り返すループの中で不意に到達することがなかったのではないだろうか。

そうならば、これらはセツが最後まで主人公の始まりの宇宙にたどり着かなかった理由の根拠になるんじゃないかな、と考えた次第。


まあでも、そもそも主人公のループが始まった時点でセツと主人公の結末は決まっていたわけで、主人公が終点にたどり着かないとセツも始まりの宇宙に行けないのは当然と言えば当然である。
これはもうニワトリが先かタマゴが先かの水かけ論なので深堀りしないのが吉。


あとこれはこじつけだけど、この始点の宇宙にはセツと主人公を含めて5人しか乗員がいないのでこの宇宙はセツがいないためにルゥアンでの犠牲者が多い宇宙だったのかなあと考えられなくもない。
ただし次のループも同条件だし一応鍵で選べる最低人数でもあるのでそこがなんとも言えないところ。


話は変わるが、この宇宙でループを閉じる場合、セツはもう1人の主人公に鍵を渡さないことになる。
しかし主人公はループを経験しているのでセツから鍵を受け取っている。
つまり主人公の始点の宇宙には「鍵を渡すセツ」「ループを終えるセツ」の2人が重複して存在したことになる。同一宇宙に2通りの可能性が発生したというわけだ。これもある意味二重存在と呼べるんじゃないかな、とふと思ったのだった。


でも意識のみとはいえ不可逆のはずの一度経験した宇宙に主人公が再度移動した以上、真エンドの宇宙は始点とはまた別の宇宙なのかもしれない。その場合始点で会ったあのセツは救えていないことになり……?……アレ?


深く考えないのが吉!!!!

後半になるにつれグダグダになってしまったけれど、ループの考察は以上になります。
考察とは自分が納得するためのこじつけだと見つけたり……

その他考えたことなど

以下、考察までは行かないけど諸々思いついたことの殴り書き。

乗員問題


上で少し触れたけれど、ループの中で登場しないキャラクターはどういう扱いなのだろうか。

序盤で主人公が話し合いの中にいない夕里子はどこにいるのか尋ねたら「誰?」と返されているし、船に居ないことは確定。
真エンドでは登場しないにもかかわらずジョナス、ステラの名前が出てきたため存在自体はある。
以上を踏まえて、そのループで登場しない面々はルゥアンのグノーシア騒動で消滅したということなのだろう。

登場人物たちは割とゆるっとドライに船の中で話し合いにいそしんでいるけれど、生きるか死ぬかを乗り越えた直後に消えるか凍るかの瀬戸際に立たされているのだと思うとゾッとしちゃいますね。避難が叶ったというのに船内にグノーシアがいるとわかったら私なら取り乱す。
ゲーム進行の都合とはいえ、乗員たちの達観具合には感心する。


ループ始点のできごと


初日にラキオが吊られ、最初のグノーシアの襲撃が起きた際のこと。
あの周だけやたらセツが焦って主人公の安否を確認に来た理由が、通常エンドを見たあとだとなんとなく察せるのが面白かった。

あの時点ではまだ主人公に鍵を渡してない状態なんだからそりゃ焦るよね。
ループの因果を繋げるために覚悟を決めてこの主人公を連れてきたのに、鍵を渡す前に主人公が消えちゃったら取り返しがつかないもんね。
ラキオのコールドスリープを見届けた後、主人公の部屋に行ったもののSQと話し込んでいたから何も出来なかったのだろうか。
なんだかんだでツメの甘いところのあるセツがかわいくて好き。


あと2周目以降のセーブデータについて、プレイヤーが真エンドに行く選択肢を選ばない場合はまた初めからループが始まるの、主人公がセツと別れたくなくて自分も再度ループの円の中に入っていく無限ループオチになるなあなんてことを思った。

身を張ってくれたセツに申し訳が立たないからやりたくないけど、2周目以降のデータは日数ロードが出来てイベント回収に死ぬほど便利なんだ……水そうめんとか……
ごめんよセツ……


精神と肉体とグノーシア


SQちゃんとマナンの人格分離でグノーシアも分離するもんなのか?というのがちょっと疑問だった。
が、ステラがグノーシアに汚染されていてもLeVi自体は正常に機能していた例もある。
グノース自体も魂(精神)の集合体なわけだし、グノーシア汚染は人格毎に発生するって解釈で良さそうだなと納得したのだった。

それにしても、肉体に人格が宿ったSQやステラ、人間の体を求めたオトメと猫の体を求めたシピ、肉体の性別を排したセツとラキオなど、精神と肉体に関連する問題 (問題って言い方もアレだけど……) を抱えた登場人物たちが多く登場しているのはテーマに拠るものなのかなあと思った。
グノーシアと鍵が求めるのは精神 (情報) のみというのも対立構造っぽくて面白い。
元ネタなんだから当然っちゃ当然だけどまさしくグノーシス主義的というか。


そんなグノーシス主義もといグノーシアによって肉体が排除される一方で、グノーシア化したSQちゃん(マナン)は気に入った人間を手元に置こうとし、消すという行為に移らないパターンが複数あった。

グノーシアの本能が人間を消すことだというのはプレイしていく中で幾度も聞くことになる。時折ジナのように理性と良心でその本能とは違う行動を起こす者もいたけれど、それは非常に珍しい例だった。
一方のマナンは疑いようもなく本能のまま動く快楽主義者でありながら、グノーシアの本能には傾かずあくまで人間の頃からの本能で動いていたのは面白いなあと思った。

ストーリーの最後の切り札にしてワイルドカードだったマナンはまず作中の立ち位置からして特異な存在だった、というのは妙に説得力があって好き。
とはいえ人格移植でゴリゴリ人間性が削られると流石にどうしようもないらしく、ククルシカまで行くとグノーシアの本能が優勢らしい。


主人公記憶喪失問題


筆者は感想前編で主人公のことを「自分のことすら覚えていない記憶喪失」と紹介した。
しかし振り返ってみると主人公、雑談のときに初恋とか子供の頃の怖い体験の話しているんですよね。
き、記憶喪失とは……?

というわけで、主人公の記憶喪失についてすこし考えてみる。


そもそも主人公自身は誰にも記憶喪失を自称していないし、他の人たちも深堀りしないので主人公の記憶喪失がどの程度の話なのかもはっきりしていないのだ。

それどころか、記憶喪失は主人公の始まりの宇宙でしか言及されていない。

つまりこの記憶喪失というのは意識不明で別の次元に連れてこられた主人公の状態を誤魔化すためにセツが考えた方便の可能性すらある。というかむしろこの説が有力かもしれない。
あるいは記憶喪失ではなく大怪我によって記憶混濁状態になっていたとか。ルゥアン騒ぎで自分が大怪我を負っていた事は知らなかったようだし。


しかし一方で、主人公はあの世界の宇宙や宇宙船の様相に全く明るくない様子が作中で描写されている。

娯楽室で何を遊びたいか聞かれた時のLeviとの応酬からしてあの世界のゲームについて詳しくないようだし、あの世界の常識らしい電脳化のことを知らないし、レムナンが50年同じ仕事をしていたことにもかなり驚いていたし。
不老と長命はわりとスタンダードっぽいのに。

上に挙げた場面を見ると、やっぱり記憶喪失は記憶喪失なんじゃなかろうかとも思えてくる。
あの世界の住人でありながら一般常識を知らない理由付けとして記憶喪失より適したものはないだろうし。メタ的な話、主人公とプレイヤーの作中世界の知識量を合わせるという都合があるんだからやっぱり記憶はないんじゃないかね?


まあどちらにせよこの問題は結論が出ません!

考察しようにも判断要素が少なすぎる。
情報がない以上、記憶喪失以外にも辺境の地で育った箱入りや数日前に起動したばかりのサイボーグや過去から来たタイムトラベラー、みたいな可能性すら等しく存在するので……

思い返すになんの情報もないなこのプレイヤーキャラ。
情報の少なさで言うと間違いなく主人公とセツがツートップですぜ。


そんなこんなで考察関連は以上!


セツと主人公とイベントと


好きなイベントをピックアップして語ろうと思っていたのですが、誇張でなく「全て」語ってしまいそうな勢いだったので泣く泣く削減した結果、だいたい本筋のイベントに行き着いた。
ついでなのでセツと主人公の関係性についてまたくだを巻くことにしました。オタクは関係性の話になると途端に饒舌になります。


ちなみにここで取り上げられなかったけど一番印象深いイベントは夕里子さまお着換えイベント「混沌」です。
ゲームの一枚絵を見ただけなのに目で捉えた情報を上手く処理できず脳みそがフリーズする貴重な経験ができました。怖かったです。


  • 始点

ゲーム開始がセツの顔のドアップっていうのがかなり鮮烈だったし、2日目の話し合いの何もわからないのに決定権をこちらに委ねられる居心地の悪さはなかなか味わえない緊張感があって楽しかった。あの段階だとセツもSQもめちゃくちゃ怪しいもんね……
この2点のおかげでいい没入感を味わえたと思う。

良心的にはセツを信じるルート一択だけど、己のせいへきに正直になるとセツコールドスリープルートの方が好みだったりする。
未来から来た一方がこれから起きることを案じながらもきっと大丈夫だから、と伝えるシチュエーションが死ぬほど好きなんです。同じ理由で、「セツの始まり」の主人公がただセツを抱きしめたシーンも好き。

それと、コールドスリープ室で「また会おう、ね」と複雑な笑みを見せるこのセツはもう主人公と会うことはないセツなんだよなあと思うと味わい深い。
ちなみに信じるルートだと柔らかい笑顔で「これからよろしくね」と微笑んでくれる。

どちらにせよもう二度と会えない相手に対しての、嘘を含んだセツの挨拶なわけだけど、最後に主人公に信じてもらえたか否かの心理的な余裕が表情の差になったのだろうか。


  • 一緒に遊ぼう

おててをつないで無防備に眠るセツもニッコニコでオトメ釣りするセツも愛おしい。選べない。
セツの様々な表情や反応を見られる貴重なループ。主人公のファインプレーが光る。

セツの年相応?素?の表情が見れるのが本当にうれしくて大好きなんですよ……
別のループの話だけど始点の2日目朝に主人公の部屋の前で取り乱して言う「ねえ、大丈夫!?」とか、沙明呼び出しの同行を拒否り続けた際の「もう、いいからついて来て!」とか、いつもの理性的な口調が剝がれたシーンが超好き。パーソナルデータの少ないセツの数少ない人間性が見られる気がして。

閑話休題
この何十周も後になる例のタイミングで主人公がこのループの話題をいきなり振るわけだが、セツもそれにすぐ反応するあたり両者にとってこれが大事な思い出になってるんだなあとしみじみした。
普通の友人のような時間を過ごせた唯一の宇宙だもんな。


しかしここでの出来事をセツが「借り」と言うあたりに双方のディスコミュニケーションを感じる。
ちゃんと対話せえや!と思うものの、コミュニケーション取ろうにも両者の時系列がバラバラな時点で取れるもんも取れないんだよなあ〜〜〜〜!!!!と頭を抱えてしまう。
2人が対等な友人になるには時間の足並みを揃えないといけないし、その足並みが揃う日がくることはないよ……


  • 最終問題

ラキオバグイベ。セツは絡まないイベントだけど、ここの種明かしが本当に大好きで大好きでどうしても取り上げたかった。

どちらと答えても正解であり誤りである問題を出してこの状況そのものが矛盾していることを示すラキオのトークスキルがめちゃくちゃお洒落だし真似したいと思った。
人狼の0日目のフレーバーテキスト*2やバグという設定をストーリーに組み込んでいたその情報開示が一気に押し寄せてきて脳汁がすごかった。まさしく盲点を突かれたというか、あそこまで視界が一気にクリアになる感じはなかなか味わえない経験だったと思う。


  • セツの始まり

ループを抜け出したくて苦しんでるセツを知っているから解放したい、けれど死なせたくない、という自分のエゴで結果的にセツに鍵を渡すことになった主人公好き。いいキャラしてるなと思う。これ以降罪悪感に苛まれながらセツと接する主人公を思うとニコニコしてしまう。
そしてセツはこのあとどんな気持ちでループに巻き込まれて行くんだろうな。セツ視点のループも見てみたい。
最終的に主人公と共に経験した宇宙を「無かったことにしたくない」と思えるほどになったのは知っているけれど、そう受けとめるまでの心の動きもちょっと気になる。
プレイヤー及び主人公にはその苦悩がないので……

それと自分が消されても凍らされても問題ないように鍵を目につく場所に準備しておいたラキオはかなり人が良いと思う。だってセツと主人公がループしようがしまいがラキオには関係がないし、放っておいたって良かったのだ。事の顛末を予見して準備しておいた点よりもそこに感心してしまった。
ラキオはけっこう面倒見がいいし人の心の機微に敏いし慮ることができる。
若いのに偉いね。


  • 再び狭間にて&通常エンド

ここは話も続いているのでワンセットにした。


セツの最後の「これから、君が生きていく世界を──私の大切な、君に」って台詞が最高にエモくて……
その後湿った顔(コメット談)でパーティ会場に戻った主人公が乗員たちと会話を交わし、セツがくれた宇宙はその後も続いていくんだとわかる流れも含めてすごく綺麗なエンディングだと思う。

「グノーシア」のエンディングの良いところって、通常エンドと真エンドのどちらか一方のエンディングしか選べない選択式じゃなくて両方が同時に成立するところだと思う。
主人公もセツも、ちゃんと両方ループから抜けられるエンディングが用意されている優しさというか……なんて言ったらいいんだろ……


閑話休題
主人公はセツの始まりの宇宙を経験してからずっと「セツをループに巻き込んでしまった」と思っていた一方、セツは主人公から与えられた宇宙という借りを「返さなければならない」と思っていた。
無論セツは義務感だけではなく、ここまで共に経験したループをなかったことにしたくないという思いや、自分に生きる宇宙をくれた主人公への感謝も相まってこの行動を覚悟したわけだけど。

「一緒に遊ぼう」や「セツの始まり」でも少し語った、この双方の負い目のようなものがようやく解消されるのは2人の時間の足並みが揃った主人公の終点だった。
そしてようやく心理的隔たりがなくなったかに見えた瞬間に物理的隔たりが発生するんだからままならないもんですなあ。

すれ違いが物語をドラマチックにするのは古来からの常なので致し方なし。私の中の離別フェチも大喜びしてるし……
セツとの別れについては「グノーシアのプレイ感想:後編」でも語っているのでこのくらいにしておく。


  • 真エンド

今まで集めてきた情報の点が線になって収束していくカタルシスと言ったらなかった。

意識だけ入り込んだ主人公が再会するのは遠い昔に出会った始まりのセツでもあり、今までずっと一緒にいたセツでもあるのだと思うとなんか……こう、“イイ”よね……
大昔に会った、と、ずっと一緒にいた、が矛盾せずに同居するなんとも不思議な関係性が主人公とセツなんだなあということをこの周で改めて感じることになった。


それにしても主人公の再会第一声が昔あった出来事のお説教だったのが絶妙だと思う。
通常エンドのセツの覚悟と優しさを否定したくはないし、そもそもああしないとループは終わらなかったし、かといって1人犠牲になることを黙って決めて去っていったことには恨み言のひとつくらい言いたいし。となって昔経験した事のお説教に繋がったのかなと。ちょっと穿ち過ぎだろうか……
もちろん1番は二人にとっての共通の楽しい思い出だからなのだろうけど、なんとなく主人公の複雑な心境が伺えるようで、この目覚めの第一声はかなり好きな台詞。



ラストの会話はセツの表情と言葉が本当に素晴らしくていまだに見返すたびに胸が苦しくなる。
私と君がそこにいる、それだけで充分なんだ、という台詞最高ですよね。
セツと主人公の絆は単純接触効果*3に近いものだとは思うけど、それでもやっぱりその時その状況でその場にいたということが何よりも得難いものなのだと思う。セツのこの台詞の通り。


それと、きっと今度こそ本当にお別れだ、と言うセツの表情が全セツの表情の中でいちばん好き。最後までこの今生の別れについて悲しいとも寂しいとも言わないが、その表情が心情をすべて物語っていた。
「グノーシア」はゲーム性もシナリオも最高だけれど、このイラストが更にいい味を出していて素晴らしいと思う。すべてが完璧に噛み合っていて、いいゲームに出会えて良かったと心から思える最高のラストシーンだった。


おわりに ~グノーシア感想文振り返り~

まず、今回や以前の記事で考察どうたらを偉そうに講釈垂れてたけれど、初めて真エンドを見た時はセツとのお別れに関して一切理解が至ってなかったことをここに懺悔します。

とにかくまたセツに会えた嬉しさとセツがループから脱せた喜びとすべての点が繋がって最善の道が開けた気持ちよさで、主人公とセツが今生の別れということが都合よく頭からすっぽ抜けていた。
スタート画面にセツが収まって大ハッピーエンドじゃ〜〜ん!とニッコニコだった。


ニッコニコで2周目に入り、情報を整理しながらプレイして、アレってそういう意味か……が積み重なり、真エンドでセツがこれで本当にお別れだねと行った意味を徐々に察し、ニコニコ顔から一転、受け入れられない別れに1人暴れ倒したのだった。
アラサー社会人としての威厳なんてないよ。

人間、浮かれてる時ほど重大な情報を取りこぼしがち。
また1つ人生の教訓を得たのだった。


ブログにてたびたび離別フェチだとやかましく言っている筆者ではあるが、仲の良い人たちが別々の道を進む所を見るのが悲しくないわけはないのだ……
離別のほろ苦エンドから抽出されるエモーションに中毒症状起こしてはいるけれど、悲しみは悲しみとして存在してるので……


まあそれはそれとして。
感想文を書くにあたって何度もゲームプレイに勤しんだけれど、グノーシアは本当によくできたゲームだなあと何度も感じた。
シナリオの練られ具合と余白の残し方や、登場人物たちの個性と魅力を同居させるバランス感覚や、UIやSEといったゲーム部分も疎かにせずこだわっていたり。
細かいところまで丁寧に作られた作品をプレイできるのはこちらとしても嬉しい。

年内にはSteam版も出るという話だし、これからまた多くの人があの感動を味わうのかと思うとニコニコしちゃいますね。


長くなりましたが、グノーシア感想文は以上となります。
ここまでお付き合いくだすった方におかれましては、誠にありがとうございました。

次の記事は雑記になるか最近遊んだゲーム等のプレイ感想になるかは定かではないけれど、とりあえず待て、次回!

*1:有名?な推理小説のルール十か条。その中に双子、あるいは二人一役の存在はあらかじめ開示されなくてはならないという項目がある。暗黙のお約束って程の禁止事項でもないけれど一読者としてはコレを守っておいたほうが推理小説としては誠実じゃないかなと思う。

*2:汝は人狼なりや?」は0日目に無残な死体が発見されるところからゲームがスタートする。が、フレーバーテキストなので省くことも多い。ちなみに初日の無残な死体はゲームマスターのこと

*3:前回の記事を書くときにこの話がしたかったのにこの言葉がどうしても出てこなくて参った。ストックホルム症候群?違うな……とずっと悩んでいたのだった。