渡瀬康英を生き返らせたい。遺族という棍棒。

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そもそもこの問題は以前から神戸新聞などでずっと話題になっていた。渡瀬康英は2024年7月7日に自殺するまで実名であるし、百条委員会にも証人として登場する予定であった。はっきり言えば、パワハラで自殺したのではなく、百条委員会に怖気づいての自殺なのである。世間の99%以上の人間は、7月7日以降にこの出来事をはじめて知っているから、渡瀬康英が匿名化されたことに違和感を抱いていない。元から名前が知られていたなら、(自殺という死因はぼかすとしても)名前は匿名化されない。地方紙から全国紙に移動したことで、死んだ人の輪郭がわからなくなった。それでいて、一億総遺族というか、遺族という言葉は棍棒として使いやすいから、渡瀬康英を聖者として、愚民の狂乱が繰り広げられている。もし、願いが叶うなら、渡瀬康英を生き返らせたい。そうすれば、まったく正義がない初老の男性が誕生する。生きていたら、これほどみっともない人間はいない。定年退職寸前まで勤め上げて怪文書をばらまくしかやることがなかった。県庁内部の政治以外になにをやったのか。3年前の知事選で落選した金沢和夫(当時の副知事)の取り巻きでしかないし、斎藤知事のデマを流しただけ。百条委員会では偽証罪もあるから、色んな意味で、生きているとまずかったのである。だから楽な道として死を選んだ。本当に百条委員会が必要だったのか、そこが問題として問われる。もし渡瀬康英が生きていて、その生きた状態で百条委員会に出ていれば、さらし者になっていた。このあたりは、クーデター勢力の間で、戦略的な呼吸が合わなかったのかもしれない。金沢和夫はもう副知事ではないし、知事選でも落選したのだから、ただの人である。政局を裏で操るほどの権力を持っていたかというと(実際はわからないが)たぶんなかったのだろう。結局のところ渡瀬康英は落ち武者の一人として、「斎藤知事に殺された」みたいなニュアンスで自殺するしかなかったのである。それによって斎藤知事を追い詰めたのだから、成功といえば成功だが、まあそれだけの話である。生きていたらおそろしくみっともない奴ということだけは認識しておきたい。
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