間話「新たなる剣王の誕生」
剣の聖地。
当座の間。
そこには三人の剣聖が片膝を付いていた。
ニナ・ファリオン。
ジノ・ブリッツ。
エリス・グレイラット。
彼らの前に、剣神ガル・ファリオンの姿があった。
剣神はゆるりとした立ち姿で腰の剣に手をかけつつ、三人を睥睨する。
ゆっくりと口を開いた。
「お前らの剣技は、すでに剣聖の域にない」
その言葉にジノの肩が微かに震えた。
「そろそろ、ギレーヌに続く二人目の剣王を決めようと思う」
ジノの目が見開かれた。
拳がギュっと握られ、わなわなと震えた。
歓喜の感情が体を支配しているのだ。
彼は飛び上がって喜びたい気持ちを、ただひたすら抑えつけている。
しかし、剣神の話はまだ続いている。
「その前に質問だ」
「……」
「お前らは、剣聖と、剣王と、剣帝の違いは何かわかるか?」
「……強さですか?」
ぽつりと答えたのはニナだった。
そんなもの、強さ以外に何があるのか、と全員の目が語っている。
だが同時に彼らは理解していた。
剣神が聞きたいのはその先。
強さの元となるものであろうと。
剣神はニナには応えず、逆に質問を返した。
「ニナよ。『光の太刀』を習得する前、お前の師匠はなんと言っていた?」
ニナの師匠は剣神ガル・ファリオンではない。
彼女に直接剣を教えたのはジノの父、剣帝ティモシー・ブリッツである。
ニナは師の教えを思い出し、言葉を絞り出した。
「『お前は右利きであるがゆえ、左手を鍛えろ』と。左手一本で完璧に剣を操作出来るまでは、光の太刀は放てないと」
「そうだ。『光の太刀』は利き腕とは逆の腕が重要だ。なぜか分かるか?」
「利き腕に力が入れば、剣先が横にブレるからです」
「そう。全ての闘気をそこにつぎ込み、まっすぐ斬る。単純だが、これが『光の太刀』の極意だ」
剣術というものは、動く相手を斬るものである。
馬鹿正直に真正面から斬りかかっても、簡単に回避されるだけである。
故に下から、横から、斜めからと、剣士は斬るための工夫として、様々な形で斬撃を放つ。
しかし、初代剣神は違った。
彼にそんなものは不要だった。
ただ最速で剣を振り、あらゆるものを両断した。
「この極意ってやつには、剣神流の歴史が詰まっている」
コンと、剣神が剣の柄を爪で叩いた。
「初代様がなんとなしにやってた事を、歴代の剣神が少しずつ解明して、ようやく行き着いたのが、今の剣神流だ。
『光の太刀』の極意の解明、原理、その練習方法。
行き着いてしまえば簡単な事だ。
ちょっとでも才能のあるやつなら、誰にでも使えるようになった。
剣神流が最強と呼ばれる時代の始まりだ。
俺様たちは初代様と、初代様の技を解明した歴代剣神のお陰で、でかい顔が出来る」
剣神は、コンと、もう一度、剣柄を指で叩いた。
「『光の太刀』は剣神流最高の技、他流派で言う所の『奥義』だ。
その極意を習得したのに、優劣が出やがる。
剣聖、剣王、剣帝、剣神……おかしな話だなぁ。同じ事をしてるだけなのに、強ぇ奴と弱ぇ奴がいやがるのはよぉ」
剣神はそこで、ジノへと顔を向けた。
「その違いはなんだと思う? ジノ、答えてみろ」
問われ、ジノは顔を上げる。
その顔には不安が張り付いている。
問いの答えがわからない。
しかし、早く答えなければという焦燥が、彼に口を開かせた。
「ご、合理的に考えて、技以外の、足運びの巧みさや筋力、あるいは……ぶ、武器の優劣、でしょうか」
「武器だぁ!? お前、何年修行してんだ! 初級からやり直した方がいいんじゃねえのか!?」
「も、申し訳ありません!」
剣神の怒鳴り声に、ジノは真っ青になって俯いた。
ジノは「才能」と答えたかった。
だが、剣神がその答えを望んでいない事は、ジノも重々に理解していた。
そんな簡単な言葉で片付けてはいい話ではないはずだ。
なにせ、才能の中身についての話をしているのだ。
そんな事を言えば、本当にこの場から追い出されかねない。
「お前はまだガキだからわからねえか?
まあいい。わからなくても強ぇ奴は強ぇからな。
よし、じゃあ、ニナ、答えてみろ」
「…………」
問われ、ニナは熟考する。
今聞かれていることが、恐らく剣神と剣帝、そして剣王。
自分たちと上との違いを指すのだ。
彼らにあって、自分には足りないもの。
そういえば、剣神と剣帝は全員、すでに伴侶がいる。
自分が欲しいもの。彼氏? 夫?
ジノの方をちらりとみる。
彼は俯いている。
その表情は実に悔しそうだ。
ここ最近、ニナは年下の彼のことが気になって仕方がない。
と、そこで剣神がよく口にする単語を思い出した。
「……『欲望』ですか?」
「ハッ、お前、最近なんか色気づいてきたな。さすが俺様の娘だ」
剣神は、ニナの心の奥底を覗きこむように笑った。
ニナは動じない。
動じないような訓練を、続けてきた。
「『欲望』それも間違っちゃいねえ。けどじゃあ、お前の欲望ってなぁ、どこまで耐えられる?」
「耐える、ですか……?」
「例えばだ。ジノと結婚するのと、剣王になるのと、どっちか選べと言われたら、どっちを選ぶ?」
結婚と言われ、ジノとニナの目線が絡んだ。
ニナの頬に若干の紅がさした。
「……剣王を選びます」
ジノとの結婚と剣王なら、自分は剣王を選ぶだろう。
つまり、自分の欲望とは、その程度のものだ。
ニナは自分が言葉を間違えた事に気付いた。
「相変わらず甘っちょろいな。じゃあエリス、お前はどうだ」
「覚悟よ」
エリスは即答であった。
何ら考える事なく、即答した。
「『覚悟』。そいつは違うな」
剣神は、それを笑って否定する。
だが、エリスは剣神を睨みつけるように、もう一度答えた。
「違わないわ。『覚悟』よ」
この時、エリスの脳裏には、かつての光景がありありと浮かんでいた。
オルステッドに胸を刺し貫かれる、ルーデウスの姿。
無力を嘆く自分、崩れ落ちるルーデウス。
あの時より、自分は強くなった。
パワーもスピードも、数年前に比べれば段違いだ。
しかし、オルステッドには勝てまい。
この数年の修行で、エリスも自分の限界が見えた。
恐らく、これからどれだけ修行しても、オルステッドの領域にはたどり着けまい。
だが、ルーデウスと一緒なら。
彼と一緒ならば、手は届くはずだ。
魔術師と、剣士、二人でやるのだ。
もし、私が刺し違えてでもオルステッドの足を止めれば、ルーデウスはやってくれる。
ルーデウスが勝てれば、勝ちだ。
もちろん、自分が死ぬが、ルーデウスは生き残る。
そうすれば、きっとルーデウスと共に生きる未来はなくなる。
だが、それでもいい。
未来を考慮すれば腰が引ける。
腰が引ければ剣が鈍る。
剣が鈍れば、自分もルーデウスも、二人とも死ぬ。
なら、死ぬのは自分だ。
エリスは覚悟をしていた。
「じゃあ、剣王にはなれなくてもいいな?」
「別にどうでもいいわ」
「強くなりたいんじゃねえのか?」
「ええ。なりたいわ。でも呼び名なんてどうだっていいでしょ?」
剣神は嬉しそうに呟いた。
「よし、エリスにニナ。お前たちの内、勝った方を剣王とする!」
その言葉に、最年少のジノは静かに肩を落とした。
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エリスとニナ。
二人は向かい合って立つ。
「……」
互いの手に握られるのは木剣である。
しかし、剣聖同士の技を持ってすれば、相手を絶命させるに容易い。
「初めて来た時の事を思い出すわね」
「そうね」
二人の脳裏に浮かぶのは、数年前。
エリスがギレーヌに連れられてやってきた時の事だ。
魔獣のようなこの女に、ニナは屈辱を植え付けられた。
他の剣聖や、ジノの見ている前で、無様に失禁させられたのだ。
今思い出しても、顔を覆って転げまわりたくなる。
だが、エリスに対する憎悪は無い。
彼女のおかげで、自分は強くなれた。
慢心をなくし、ひたむきに修行に打ち込めた。
そう思えば、あの屈辱も糧となったと、そう自信を持って答えられる。
「今日は、私が勝つから」
ニナがそう宣言した瞬間、エリスから殺気がほとばしった。
だが、ニナはたじろぎもしない。
悟りきった修行僧のような玲瓏たる表情にて、エリスを見つめる。
「…………ふん」
次の瞬間、エリスの殺気がみるみるうちに消えていった。
そして、ニナとは対照的な表情がエリスの顔に張り付く。
笑みである。
ニマニマと、気持ち悪い笑みが、エリスの顔に張り付いた。
猛獣の笑みである。
ニナはこの笑みに本能的な恐怖を覚えている。
水王イゾルテとの鍛錬中、エリスとは何度も打ち合った。
そして、負けた。
無論、勝てる時もあった。
だが敗北の記憶だけが、やけに頭に残っている。
「……」
エリスは動かない。
野獣の笑みを浮かべたまま、静止している。
常に先手を取ろうとする彼女にしては、珍しいことに。
ニナの脳裏に、カウンターの文字が思い浮かんだ。
イゾルテとの戦いで何度ももらった、あのカウンターだ。
エリスは、水神流の技を使えない。
だが、北神流にもカウンターの技術はある。
エリスは恐らく、それを狙っているのであろう。
「…………」
場に沈黙が流れた。
中段に構えるエリスと、上段に構えるニナ。
一足一刀の間合いで静止する二人。
無表情のニナ、笑みのエリス。
不気味なオブジェのように、二人はただただ睨み合った。
静止、それは先手必勝をモットーとする剣神流同士の戦いでは珍しい事である。
ぴたりと静止した二人。
それにため息をついたのは、何を隠そう剣神であった。
「いつまでお見合いしてんだ?」
その言葉がきっかけとなった。
動いたのはニナであった。
彼女は鋭く踏み込んだ。
何十万と繰り返してきた、剣神流の所作。
極めて合理的な位置についた足は、爆発的なエネルギーを上半身へと送る。
そのエネルギーはニナの体から発せられる闘気と融合。
腕へと伝わり、そして剣に乗った。
『光の太刀』。
圧倒的な剣速を誇る剣が、上段より勢いよく振り下ろされる。
完璧な技であった。
誰がみても惚れぼれするような、完璧な『光の太刀』であった。
だが。
「があぁっ!」
ニナは腹にすさまじい衝撃をくらい、後ろへと吹っ飛んだ。
道場の壁にたたきつけられ、ずるりと地面に座り込む。
道着が破れ、よく鍛えられた腹が見えている。
その腹に、ゆっくりと赤いミミズ腫れが走り始める。
焼けるような痛みを感じる頃、剣神が宣言した。
「そこまで!」
ニナは呆然とした顔でエリスを見た。
額にびっしりと汗をかいたエリス。
道着の肩がわずかに破けているが、それだけである。
その顔には、すでに笑みは浮かんでいない。
だが、その立ち姿は、勝者のそれであった。
「……くっ」
何をされたのか、ニナは理解している。
エリスは、ニナが動くとほぼ同時に踏み込んでいた。
そして、上段のニナに対し、エリスは身を深く落としながら、横薙ぎの『光の太刀』を放ったのだ。
だかわからない。
それなら自分の方が先に届くはずである。
先に動いたのはニナであり、剣速もエリスよりニナの方がわずかながら速く、しかも、もっとも剣速が上がる、上段からの振り下ろしでもある。
ならば、わずかに頭を下げたとしても、エリスより先に自分の剣が届いてもおかしくない。
だというのに、結果は相打ちにすらならなかった。
なぜ自分はへたり、エリスは立っているのか。
「人を倒すのに、必要以上の力はいらないわ」
エリスは静かにそう言った。
その言葉の意味が、ニナにはわからなかった。
エリスが使ったのは、北神流の技であった。
本来ならあらゆる相手をオーバーキルする『光の太刀』。
エリスはその威力を、速度に回したのだ。
斬撃の威力を倒すに止め、その分だけ速く動かす。
エリスはそうした闘気の配分を、北帝との鍛錬で学んだのだ。
もっとも、そうして生まれる速度は、微々たるものである。
大きく殺した威力に、釣り合わない速度。
しかし、そんなわずかな速度の上昇は、髪の毛一本分の差を覆し、勝敗を決するのに十分であった。
「見事だエリス。お前に剣王の称号を授けよう」
ニナはゆっくりと起き上がった。
腹部に鈍痛を覚え、顔をしかめる。
(完全にやられた)
木剣だから吹っ飛ぶだけで済んだが、真剣であればニナは内臓をぶちまけただろう。
光の太刀と言えば、胴体が真っ二つになってもおかしくないが、致死量には十分だ。
対するエリスは、肩口を切り裂かれる程度にとどまったろう。
完全に敗北である。
ニナはため息をついて、その場に座り、背筋を伸ばした。
全てにおいて負けた。
先に動き、そして負けた。
負けた。
負け。
ニナの胸のうちから、重く苦しいものがせり上がってきた。
「悔しいか、ニナ」
「はい」
ニナの目からは、ボロボロと大粒の涙が流れていた。
「お前はまだ伸びる。精進しろ」
「はい、お父さん」
ニナはその日、久しぶりに己の父を父と呼んだ。
「……」
剣神はニナが泣き止むのを静かに待っていた。
エリスもまた、口をへの字に曲げ、腕を組みながら、待っていた。
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ニナが泣き止むのを見届けて、剣神はエリスに対し、言った。
「エリス。お前に剣王の称号を授けたが、すでに教えることは何も無い。免許皆伝も授けよう」
免許皆伝。
その言葉を聞いて、ニナとジノは顔を見合わせた。
二人の剣帝も、剣王ギレーヌも、もらえなかった称号。
免許皆伝とは、そうしたものである。
「ついでに剣帝の称号を授けてもいいんだが……ただし、その場合は、ギレーヌと戦ってもらう事になる。もし一足飛びに剣神を名乗りたいなら、俺様を殺すんだな」
どうする?
と、剣神は己の刀に手を掛ける。
エリスは首を振った。
「剣神なんてどうでもいいわ」
「だろうな……じゃあ、これからどうするつもりだ?」
「ひとまず、家族の所に帰るわ」
エリスのまっすぐな瞳を見て、剣神は眩しさを覚えた。
彼女は、彼がいつしか失ってしまったものを持っているように感じた。
愚直に強くなる姿勢と、その目的を見失っていないなら。
あるいはエリスなら。
あの無敵のオルステッドを倒せるのではないか、そんな予感すらあった。
「来いエリス、剣王の証として、七本剣の内、一本を授ける」
「……はい」
エリス・グレイラットの長い修業はその日、終わりを告げた。
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エリスと剣神が退出し、剣王称号授与式は終わった。
残ったのは二人。
ニナと、ジノである。
「……」
「……」
二人はしばらく、黙って座っていた。
二人の胸の内にあるのは、悔しさであり、羨望であった。
だが、決してそれを口にも、そして顔にも出さなかった。
「……」
二人どちらともなく立ち上がった。
並んで歩き、当座の間の端に並べ置かれている木剣を手にした。
ややして、当座の間から、カンカンと木刀の打ち合う音が聞こえてきた。
それは、剣の聖地なら、どこにいても聞こえてくる音であった。
(続く)