鬱に苦しんだ頃の個人的小話 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
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鬱に苦しんだ頃の個人的小話

 

2006年頃だったか、自分はとんでもないストレスがたまりにたまったようで、なんとも言えない憂鬱な気分にさいなまれた。

原因は細かいストレスの積み重ねか。

自分の性格の細かいところが仇になったのではと思う。

 

いくつかの経過をたどり、知人紹介で行った心療内科の外来で「抑うつ状態」と診断、一週間ほど仕事を休まざるをえなくなった。

こういうメンタル不調での休職も、有給を使っての休職も初体験だった。

 

 

休職中も気分はすぐれないが、動くことはできていた。

それはそれで不幸中の幸い、よかったと、いまさらながら思う。

そして、本当に休むべきだったか?心療内科に駆け込むほどのことだったのか?

という答えには明快な解答がある。

「その通り」だ。


思い出すたびに、なかなかこういうことを考えられず、なんとなく引け目に感じたり自分を責めたりがずっと続いていた。

今ならわかる。

それが正しかった、と。

メンタルがへこたれているときには、ストレスの源のある、置かれている状況から一瞬でも逃げ出せばよい。

防御は最大の攻撃。

これ、鉄則だと思う。

この時はそれで凌げた。

 

 

その次に、それを踏襲した大きな波は翌年に来た。

パキシルとソラナックスがマストアイテムになった。

 

これは明らかな原因がある。

外側からのとんでもない攻撃。

長きに渡りこれに対して何とも言い難い怒りに苛まれてきた。

余計なことをしてくれやったな!

 

もうすぐ父になろうかという、とんでもない時期にだった。

 

長いこと思っていたことがある。

それはこの時の原因は、明らかに外からの攻撃によるものだけだと。

具体的に言って、今なら完全に犯罪アウト並みのパワハラで、当時の上司に殺されかけたのだ。

施設長室への長時間軟禁、長時間の罵倒、叱責、非人間的な聞くに堪えない言葉をこれでもかと浴びせかけられた。

一週間にわたり呼び出しが4回続いた。

例えれば兵庫県知事の罵倒叱責が連続3,4時間、週④続く、といった感じか?

 

それは筆舌に尽くし難い経験だった。

 

この時の抑うつ状態の悪化、すなわちうつ病罹患は、その後短期間で悪化の一途をたどり、しばらくの間だけだったが抜け殻みたくなってしまった。

 

「こんな重要な時に...」

そういう気持ちが自分を無理やり突き動かしたのかもしれない。

本来ならエネルギーなんて一滴も全くない状態と思ったが、何とか頑張って動くことに決め、事実、動けたのだ。

ただ、何をどうしたらいいのかわからない。

あの職場は解雇同然で石もて追われた。

それでもやがて父になる自分が抜け殻じゃ情けなさ過ぎる。

 

 

とりあえずできることに、無駄かもしれないけど何とか取り組もうとした。

周囲は、何してんねん?という気持ちだっただろう。

園芸療法の講座に通うわ、草野球に出かけるわ、庭いじりをするわ。

鬱のふりをしているんじゃないのかという意見はごもっとも。

ただ、よく考えたら、鬱のふりするメリットなんて何にもない。

なぜそんなことをしなければいけないのか?

少し考えたらすぐにわかることだが、その当時の自分はそんなことにも気が付かず、周囲の批判とか無理解、攻撃、誹謗中傷に対して、ひたすら尖って応戦していた。

 

「結婚生活もなかば放棄して、親になる自覚もなく、見せもせず、ただ無為自閉的にだらだら伏せて」。

 

自分がその立場でもそう思うと思う。

あの当時はその考えがごくスタンダードだったからだ。

周囲から見たらそうとしか思えなかっただろうが、自分的には泥沼にしがみついて浮き上がらねばともんどりうっていた。

必死の中の必死。

抱えているものを、ちゃんと、自分なりに護りたいから、どうしても救ってほしかった。

でも、もがいても、じっとしていても、どうにもならない。

 

 

ところがうつ病患者は、実に不思議なもので、その気になれば健常者とほぼ同じようにふるまうことなんてなんてことはない。

ただし、その前後がとんでもなく大変になる。

これが誤解を招く要因の一つかもしれない。

個人的見解だけど、プチ鬱とか、新型うつなんて、そんなものはないという気がする。

うつ病はすべて、過不足なくうつ病で、その度合いに軽い重いの差なんて、実はそんなにないと思う。

個人的な症状の発露の差程度なのではなかろうか?

ひとつしみじみと思うことは、鬱は、心の風邪なんてもんじゃない。

 

心の風邪と思う程度のことなら、それはうつ病じゃないのではないんだろうか?

 

 

そうそう、最近思ったことがある。

ああいう鬱は外からのストレスもあろうけど、自分の場合は長きにわたる不摂生のたまものではなかったのかと。

そもそもが戦えるだけのスペックが自分にはなかったんじゃないんだろうか。

それは自分の長い間の怠慢の産物に他ならず。


被害者意識だけにとらわれて、自分のことがほとんど見えてなかったなと、反省。

猛省だ。

 

飲酒、たばこ、不規則な生活、食生活もしかり。

後にがんになることを考えても、それは明白だったかな、と、そう思った。

そうだろう。

罰が当たったんだ。

 

悪い心が悪い体を呼んだ、のではなく

悪い体が悪い心を生んだ。

多分そうなんだろうな。

 

 

もう鬱に罹る前の自分には戻れない。

というか、戻りたくもない。

ガンになる前の自分にも帰れない。

自分はリニューアルされたんだ。

ただ、前向きに思うだけである。

これは悲しむべきことではない。

 

 

そんな中でひとつ心に引っ掛かることがある。

何事も見方をコロッと変えて初めて見えてくるものがある。

 

例えば、大事な時期にああいう状態になり、そりゃ周囲の人は尋常じゃなく戸惑ったと思うし、そういう不安のトリガーとなったことも、当然出し、それを思えば自分もしょげ返るだけの罪悪感で、とっても恥ずかしくなる限りである。

ただ、ただ。

こういうことも見えてきた。


心を許している周囲の人たちにだけは、あの状況を理解してほしかったなと。


笑い話や、怒りを持たれることでは、やはりないと思うし、あの状況に陥ったら、やはりわかると思う。

ただ、あの救いのない、もやもやとして晴れることのないどうしようもない地獄感。

どうにかしたいけど、なんともできないあの無力感。

あの閉塞の中で鬱にやられて苦悩している自分を少しだけでも認めてほしかった。

そうは言っても、認められない気持ちも至極当然で、だからどっちもどっちなんだけど。

いまさら言っても仕方がないこと。

 

もしもの世界があったとして。

あそこでもっと自分が踏ん張って、そして周囲に理解しうるだけの頑張りを見せていたなら、家庭生活は何とか続いていたのかな?

家族の中で素晴らしい役割を果たすという光栄なる場面を得られたのかな?

 

いやいや、そもそもが家庭人としての能力欠陥人なので、それは単なる都合よいだけの思い過ごしやないのか(笑)。

 

でも、あの時もう少し頑張って何とかしていたなら、違う景色が見えたのかな、と、それだけをささやかに、残念に思っている。

大きい後悔はないけど、でもね、ひょっとして損したのかな?

くらいに感じてしまうことがある。

特に9月23日になると。

 

でも、覆水は盆には決して「還らない」。

 

 

言い訳をあえてあらわにすることを、居心地悪いというか、すごく恥ずかしいと思う。

それでも、自分に、あの頃周囲にいてくれた人々に対してのけじめを、さらにつけてゆく、つけ続けて、そして人生をクローズさせるためのステイトメントにしたいとも、思う。

 

うん、それがありのまんまの我が人生。

当たり前だ。

我が人生に文句も不満もない。

 

哀しいかな、もうしばらく人生は続く...ことを、自分なりにしかと、無条件に受け入れている。

 

 

 

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