PC内からこんなん出てきた。
歴史のひとコマ。
これは週間フライデーに載っ
た記事だ。
1985年。 ← クリックで拡大
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これは講談社の編集部から
貰った写真。
この編集部への就職を朝日
ジャーナルの元編集長が私
に斡旋してくれたが、私は
それを断った。
すると同級生のMPが「その
話、私にくれませんか」と
申し出て就職。
そのまま記者を今も彼はやっ
ている。
この写真の俺の隣りのラー
メン食べてる小池さんがパン
キーになったみたいな小池さ
んがそれ(笑)。名前も小池。
別名マルパーという。
俺はレース活動しながらのバ
イトプータを経た後、法律事
務所に正職員として就職した。
パラリーガルだった。
バイクは社会悪、のように言
われていた時代で、行政的に
も非常に差別的措置がなされ
ていたという、今では考えら
れない時代の頃。
最終的に1万6千人のライダー
が起ち上がって世の中のワン
シーンを変えたという歴史が
日本にはかつて1980年代にあ
った。
結論としては、29人乗りのマ
イクロバスと1人乗りのバイク
の高速料金が同じという状態
は改善されたからね。まあ、
成果はあった。
本当は、高速料金全線無料が
秘密の最終目標で、それは段
階的に狙おうとしていたが、
中座した。
数十年後にどっかの党がそれ
を選挙公約で掲げていた。よ
く言うよ。1980年代中半はこ
うした国民運動を全政党が冷
やかに扱っていたくせに(笑
政治家や政党や特定新左翼党
派のヒモつきではないところ
で運動をしたが、それがよか
った。
当時のバイクに乗る芸能人や
著名人の多くがこの運動に賛
同し、主体たる組織のライディ
ングハイに入ってくれたり、
原告団に名を連ねてくれた。
文字通り、ライダー一人一人
の力で勝ち取った現況(当時)
の改善改革だった。
おいらはライディングハイの
事務局の書記長だった。
お金なんて出ないよ。全部全
員メンバーは自腹だよ。
社会活動というのはそういう
もの。
街宣車右翼団体のようにどっ
かから金が出るなどというこ
とは一切ない。
まあ、今の高速料金体系があ
るのは、40年前からうちら
が運動したから、というのは
厳然たる事実としてある。
右翼も左翼も関係なく問題を
提起して活動を進めた、とい
うところが大ヒットで多くの
人の賛同を得たという決定打だ
ったと思う。連日マスコミに
も取り上げられて取材攻勢だ
った。
思想とかではなく、ライダー
全員の問題なんですよ、とい
う本質をアピールしたのが正
解だった。
ライディングハイの学生メン
バーは同じ視点で学内では反
原発なども提起していたが、
こちらはそういう主張は当時
としては「ある一部」が主張
しているだけと見られる時代
だった。
原発でいつか事故が起きて国
民が甚大な被害をこうむった
ら、とんでもない悲惨なこと
になるのですよ、原発が安全
だというのは嘘なんですよ、
と訴え続けていた。
40年前に俺たちが言っていた
ことは悲惨な現実として国民
の災禍となって降りかかって
きた。
右や左やの思想の問題ではな
い。原発問題も国民の問題な
のに。
原発が無くとも国民生活にな
んら問題はないことがバレて
しまった今も原発を再稼働し
ようとしている国はあきらか
に国民の安全確保など無視し
ている。
それと国民も国民だ。フクシ
マ原発の取り返しのつかない
事故によって避難している人
たちをいじめたり差別したり
するのは、とにかくすぐやめ
れ、そういうの。
人々の力で世の中は変わる。
これは確実に。
実際に変えた。
だから高速道路の二輪料金枠
という今がある。
何もしなければ、何も変わら
ない。
東京地裁に提訴の為に入る高
速道路料金訴訟の原告団たち。