渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

旧友

2024年09月23日 | open



五十嵐ケージ。
1990年からのつきあいだ。
学年は俺のいっこ下。
今は日本刀を扱う岐阜県関市
の濃州堂の
社長をやってる。
90年代前半中半にはよく合宿
や飲み
会で一緒だった。
合宿では大部屋で枕を並べ
て日本刀について深夜まで
二人で話しながらいつの間
にか互いに寝てしまった事
もある。あの時の話題は焼き
入れと炉の形状についてだっ
た。

人間がとてもいい奴。まじ
いい奴。

ひでーなーと思ったのは、
ある時、居合の大会での彼
の出店でスタッフがたまた
まいなくて社長の彼だけだ
った時だ。
呼び方は俺は彼をケイちゃ
んと呼び、彼は俺を〇くん
と呼んでいた。
その日、俺が彼の店にひや
かしで顔出ししたら、「飯
食った?」と訊く。
「俺は食ったよ」と言うと、
「そうかぁ。俺まだなんだ。
ちょっとメシ食ってくるか
ら店番してて」と言ってそ
の場を立ち去った。
「おい。出納とかどうすん
だよ」と言うと「任せるか
ら適当にやってて。金庫
そこにあるから」と言って
後ろ姿で手を振る。

キムタクちょとまてよ、が
そうだった。
そして、得てして昼なので
客がわんさかと来た。
かなり売れた。日本刀の説
明をしたらその場で刀まで
売れた。他の商品も結構売
れた。居合の大会の時は私
はいつも背広を着ているの

で、店員かと思ったのだろ
う(午前中で着替えていた
という事は、私は早々に大
で負けていたという事だ)。
でも出納で店の現金を出し
入れして扱うのが嫌だった
ので、商品を買って頂いた
お客様にはおことわりを
れて、購入予約という形で
取り置
きにして、社長が戻
って来
てから引き継ぐ事に
した(笑


ケイちゃんは今でもずっと毎
朝「おはよう」のスタンプ
ラインを送って来る。
これは他の多くの居合関係者
にもそうなのかもしれないが、
海外出張の時もいつもタイム
リーに知らせをくれる。
また、関でのイベントや映画
関係での提供情報も常に知ら
せてくれる。
まあ、商取引を超えた旧友と
いうやつか。
もうつきあい34年になるぜ。
おいらがかみさんと入籍する
より前からのつきあいだ(笑
刀の事も、社会的な事も結構
突っ込んだ話をする間柄だ。
おもしろいね、友人てやつは。
「わかった。それは俺に任せ
てくれ」とかいうのが互いに
ある。一肌脱ぐのも互いに
結構あったりする。
そういうのだろうな、本当の
友だちってやつは。


 

 



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