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「右から左の法則」という演出技法があります。

これはヒーローが必殺技を撃つ際にカメラから見た右のアングルから左に位置する敵を撃破する(=右側にいるキャラの勝利フラグ)というお約束を法則化してものです。

つまり、大抵はカメラアングルの右側にいる側がその場では優位に立てるというポジションを読み解くことが出来ます。

この「右から左の法則」の源流は思ったより古いものでして。

その起源は、歌舞伎などの舞台演劇等で上手(客席から見て右側)に偉い人物や中心的人物が立ち、逆にそうでない者が下手(同じく左側)にいることに由来するも法則です。

実はゲーム画面にも「右から左の法則」が踏襲された例もありまして。

スーパーロボット大戦における戦闘シーン(右が味方で左は敵)はその最もたる事例ですね。

「右から左の法則」という演出技法があります。

これはヒーローが必殺技を撃つ際にカメラから見た右のアングルから左に位置する敵を撃破する(=右側にいるキャラの勝利フラグ)というお約束を法則化してものです。

つまり、大抵はカメラアングルの右側にいる側がその場では優位に立てるというポジションを読み解くことが出来ます。

この「右から左の法則」の源流は思ったより古いものでして。

その起源は、歌舞伎などの舞台演劇等で上手(客席から見て右側)に偉い人物や中心的人物が立ち、逆にそうでない者が下手(同じく左側)にいることに由来するも法則です。

実はゲーム画面にも「右から左の法則」が踏襲された例もありまして。

スーパーロボット大戦における戦闘シーン(右が味方で左は敵)はその最もたる事例ですね。

昭和53(1978)年1月、この頃私は札幌放送局に勤務していました。当時のローカル番組に『ほっかいどう7:30』という枠があり、全道の各局が提案した様々な内容の番組が北海道管内で放送されていました。ある時、私はその一本として『北の瞽女路(ごぜみち)』という番組の撮影を担当しました。当時は16ミリ・フィルムで、感度は低く、学生アルバイトのライトマンで苦労したことを覚えています。

越後の目の不自由な女旅芸人・瞽女(ごぜ)を有名にしたのは画家・斎藤真一さん(当時56歳)でした。この企画を提案したディレクターの出野(いでの)さんは、斎藤真一さんの高校時代の教え子だった縁で出演を依頼し、快諾されたとのこと。瞽女は、盲目の師匠の家に養女となって弟子入りし、芸を仕込まれ、三人ほどで組となって農村地帯を放浪し門付(かどづけ)を行った人々です。斎藤さんは放れ瞽女として一匹狼となった瞽女が、ニシンの豊漁に沸く北海道へ渡って来たことは充分あり得ると考え、江差から厳寒の海岸沿いを北上して瞽女の足跡を訪ね歩き、われわれがその一部始終を記録する…という趣旨の番組でした。

斎藤さんは年老いた漁師、お婆さん、郷土史家などから話を聞き歩くのですが、パチンコ屋だの漁協の前を歩くだけでは絵になりませんので、浜辺やお墓の中、砂丘の道なども歩いて頂きました。その一つが寒風吹き荒(すさ)ぶススキの土手をバックに歩いて来る斎藤さん

昭和53(1978)年1月、この頃私は札幌放送局に勤務していました。当時のローカル番組に『ほっかいどう7:30』という枠があり、全道の各局が提案した様々な内容の番組が北海道管内で放送されていました。ある時、私はその一本として『北の瞽女路(ごぜみち)』という番組の撮影を担当しました。当時は16ミリ・フィルムで、感度は低く、学生アルバイトのライトマンで苦労したことを覚えています。

越後の目の不自由な女旅芸人・瞽女(ごぜ)を有名にしたのは画家・斎藤真一さん(当時56歳)でした。この企画を提案したディレクターの出野(いでの)さんは、斎藤真一さんの高校時代の教え子だった縁で出演を依頼し、快諾されたとのこと。瞽女は、盲目の師匠の家に養女となって弟子入りし、芸を仕込まれ、三人ほどで組となって農村地帯を放浪し門付(かどづけ)を行った人々です。斎藤さんは放れ瞽女として一匹狼となった瞽女が、ニシンの豊漁に沸く北海道へ渡って来たことは充分あり得ると考え、江差から厳寒の海岸沿いを北上して瞽女の足跡を訪ね歩き、われわれがその一部始終を記録する…という趣旨の番組でした。

斎藤さんは年老いた漁師、お婆さん、郷土史家などから話を聞き歩くのですが、パチンコ屋だの漁協の前を歩くだけでは絵になりませんので、浜辺やお墓の中、砂丘の道なども歩いて頂きました。その一つが寒風吹き荒(すさ)ぶススキの土手をバックに歩いて来る斎藤さんの姿でした。これは自分で云うのもナンですが、とても素晴らしいショットとなりました。

一週間ほどの撮影を終え、札幌に戻った私は数日別な仕事に追い回されました。編集が一段落した頃合いを見計らって出野さんの編集室を覗きました。「あと一分削らなきゃならないんだ。どこを削るべきか、教えてくれない?」と出野さん。われわれは最初から試写しました。斎藤さんと地元の人々とのやり取りは必要充分に編集されており、もう刈り取るべきところはありません。

「どうしよう?」と出野さん。私は断腸の思いで「ススキを背景にした斎藤さんの歩きでしょう」と云いました。そのカットは一分以上使われていたのです。「いい絵だけどねえ!」惜しむように出野さんが云いました。その通りなのです。そしてこれが『名曲アルバム』かなんかなら、このカットは絶対に短くすべきではありません。しかし、今回の番組のテーマは斎藤さんの探訪記なので、地元民との触れ合いの部分を削るべきではありません。“ススキを背景にした斎藤さん”のカットは、斎藤さんの瞽女にこだわる執念を表す、謂わば叙情的な絵であり、情報というものは含まれていないので、削るならここしかないと思われました。

この場合の私の心理を喩えれば以下のようなものになるでしょう。

「高野さん、今度のお子さんたちの発表会ですが、時間の関係で誰か一人減らさなきゃならないんです。どうしたらいいでしょう?」

「あ、だったら家(うち)の子を減らして下さい。構いません」

どこの親でも自分の子が可愛いのであり、自分の子を犠牲にしたくはありません。しかし、誰かが犠牲にならなければならず、私が相談された場合、「家(うち)の子は絶対出させて貰いますからね」とは云い難い。

出野さんは泣く泣く“ススキを背景にした斎藤さん”のカットを縮めました。私は今でもその番組を録画したテープを持っており時々見ますが、私は心の中で「このカット、本当は倍以上長いんだぞ!」と叫んでいます。最近の市販のDVDなどのように「ディレクターズ・カット」というものがあれば、出野さんと私はもちろんこのカットを元の長さに復元するでしょう。

斎藤さんが描いたイメージ上の「北海道のおさわ瞽女」【高野英二・蔵】

編集ソフトが使えることと、編集ができることは、イコールではありません。編集ソフトが使えることは、例えるなら、字が書けるようなものです。字が書ければプロの作家になれるでしょうか。創造する仕事のどれにも言えることですが、映像をつくることも、編集をする行為そのもの以外のことの方が大切です。

映像の業界によって、その「編集以外のこと」は微妙に違ってきますが、まずは具体的に何の編集をしたいのかを考えてほしいと思います。仕事としての表現は、人に何かを伝えて報酬を得ることです。映像を使って何を伝えることが自分に向いているのかを考えていただきたいです。

その上で、自分が作りたいような映像を扱っている制作会社に入らないと、編集の場合はいきなりフリーとかアルバイトから始めるのは難しいと思います。アルバイトにしたって、実績は問われます。とにかく組織に入って、アシスタントをやるところから実績を積んで、ディレクターから信頼されるスタッフになっていただきたいと思います。

編集ではなく、モンタージュのことを質問されているのですね。(両者は違うものです)

映画の初期には、広い画角で固定したまま、舞台のような芝居をただ撮っていただけで、モンタージュというものはまだありませんでした。

その後、商業的な興行として映画を作るにあたり、より分かりやすくするために様々な試行錯誤がなされる中で、映像には人に理解されやすい組み立て方と、違和感のある組み立て方があることが分かってきて、自然淘汰的に、より分かりやすくて見やすい組み立て方が残っていきました。それを映像言語と呼ぶとします。このあたりのテクニックは主に、サイレント期のD・W・グリフィス監督(1875 - 1948)の作品で確立されたと言われています。

その後、映像言語はロシア(ソ連)のセルゲイ・M・エイゼンシュタイン監督(1898 - 1948)モンタージュ理論で体系的に整理されます。これは学術的に、こう組み立てればこういう効果が出るよ、という公式のようなものだと思っていただいて良いと思います。付随して有名なものには、同じソ連の映画理論家レフ・クレショフ(1899 - 1970)が実証した「クレショフ効果」と言われるものがあります。別々の無関係な映像を組み合わせた時でも、人には無意識のうちにそれらを関連づけて意味を見出そうとする心理学的な習性がある、と立証した実験を行なったのです。その時に撮影して組み合わせた映像が

編集ではなく、モンタージュのことを質問されているのですね。(両者は違うものです)

映画の初期には、広い画角で固定したまま、舞台のような芝居をただ撮っていただけで、モンタージュというものはまだありませんでした。

その後、商業的な興行として映画を作るにあたり、より分かりやすくするために様々な試行錯誤がなされる中で、映像には人に理解されやすい組み立て方と、違和感のある組み立て方があることが分かってきて、自然淘汰的に、より分かりやすくて見やすい組み立て方が残っていきました。それを映像言語と呼ぶとします。このあたりのテクニックは主に、サイレント期のD・W・グリフィス監督(1875 - 1948)の作品で確立されたと言われています。

その後、映像言語はロシア(ソ連)のセルゲイ・M・エイゼンシュタイン監督(1898 - 1948)モンタージュ理論で体系的に整理されます。これは学術的に、こう組み立てればこういう効果が出るよ、という公式のようなものだと思っていただいて良いと思います。付随して有名なものには、同じソ連の映画理論家レフ・クレショフ(1899 - 1970)が実証した「クレショフ効果」と言われるものがあります。別々の無関係な映像を組み合わせた時でも、人には無意識のうちにそれらを関連づけて意味を見出そうとする心理学的な習性がある、と立証した実験を行なったのです。その時に撮影して組み合わせた映像が下のものです。

※レフ・クレショフによる実験映像より

カメラの方(つまり、こちら)を見ている男性のショットはどれも同じショットなのですが、次に来る映像を入れ替えて人に見てもらったところ、あとで出てくる映像が替わると、この男性の表情から読み取れる感情が違って見える、という結果になりました。これがクレショフ効果と呼ばれる人の性質です。

このような人の習性も利用してモンタージュは体系づけられていて、監督やカメラマン、編集者たちもそれらを熟知しています。よって、お客は苦労を感じることなく自然とストーリーを理解できるのです。

が、このような技術的な決め事を根本から覆した男がジャン・リュック・ゴダール監督(1930 - 2022)でした。「故きを温ねて新しきを知る」。古典的なモンタージュを知り尽くした映画狂のゴダールは、だからこそ常にその逆を行なうことで、徹底してそれまでの硬直化した映像言語を否定することもできたのです。が、彼が行なったことは単なる因習の破壊ではなく、結果的には、すべての映像制作者がより自由な映像言語を使えるようになることにつながっていきました。ゴダールは映像言語をあらためて発見し直した監督だとも言えます。

そしてそれが、今あなたが映画やテレビで目にしている、軽やかで自由だけれども見やすく組み立てられている、ゴダール以降のモンタージュ映像なのです。

※ジャン・リュック・ゴダール

映像編集は趣味の範囲ですが、

Adobe Premiere:「Photoshopが使えるならわかりやすいよ」と教わり、Final Cutよりも使いやすいと思ったので。

CoGe VJ:VJ用ソフト。主にエフェクトに使ってます。使ってみたら直感的でUIも見やすかったので。VJをやるときは書き出してiPadを使用。

iMovie:Macにデフォルトで入ってました。エンコードに使ったり、Youtubeにダイレクトにアップロードできて便利なので。

Quick Time:画面キャプチャ用。トリムしか使わないですが。

Logic Pro:音声の編集用。Pro Toolsの方が映像も切れて便利だけど、慣れている方を使ってしまう。

Max:すごく使いたいのだけど、今のところ持っているだけです。開いても「むむむむ・・・」となります。同じ理由でMayaも開いては即座に閉じる!ので、一向に使える気配がありません。このふたつを難なく使いこなしている人は、私の中でスターです。

映像編集は趣味の範囲ですが、

Adobe Premiere:「Photoshopが使えるならわかりやすいよ」と教わり、Final Cutよりも使いやすいと思ったので。

CoGe VJ:VJ用ソフト。主にエフェクトに使ってます。使ってみたら直感的でUIも見やすかったので。VJをやるときは書き出してiPadを使用。

iMovie:Macにデフォルトで入ってました。エンコードに使ったり、Youtubeにダイレクトにアップロードできて便利なので。

Quick Time:画面キャプチャ用。トリムしか使わないですが。

Logic Pro:音声の編集用。Pro Toolsの方が映像も切れて便利だけど、慣れている方を使ってしまう。

Max:すごく使いたいのだけど、今のところ持っているだけです。開いても「むむむむ・・・」となります。同じ理由でMayaも開いては即座に閉じる!ので、一向に使える気配がありません。このふたつを難なく使いこなしている人は、私の中でスターです。

最近では優秀なチュートリアルが増えたので昔ほどではありませんでしたが、アニメーションや合成を行うAdobeのAfter Effectsでは「エクスプレッション」が結構中級者の壁になっていました。

エクスプレッションはある種のプログラミングで処理を指示することによって、単純にキーフレームを打つだけではできないような高度なアニメーションを作成することができます。

この技術は他に自動化による作業の時短や修正が入った時の対応も一瞬でできるようになったりと実務レベルで重要な役割でもあります。

プログラミングを知っている人、特にJava scriptを知っている人ならば簡単に理解できるのでしょうが、文系的な、映像や美術的な観点ばかりに特化したクリエイターにはちょっと敷居が高いと感じる技術だと思います。

flameなどのハイエンド機では比較にならないほどユーザーが少ないので話題には上がりにくいですが、「After Effectsの上級者」というのはてっぺんが見えません。他の例で言うとPhotoShopでゼロからなんでも作れてしまう様な人がいるように、After Effectsでも思いもよらないエフェクト処理の重ねがけで見たこともないような映像を作ってしまう人もいます。

このような人の技術は超絶技巧と呼んで良いでしょうし、かなりの時間研究や実験を重ねてきたと言えるでしょう。

正直申し上げて、動画編集のスキルで稼いでいくのは、どんどん厳しい時代になっていくのではないかと想像します。これはあくまで予想ですが、おそらく数年以内に「動画編集はAIにやらせる」がスタンダードになるはずです。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、動画編集にはある程度「文法」が存在しています。ネットで「映画」+「モンタージュ(モンタージュ理論)」などの組み合わせで検索してみてください。動画というのはたいていの場合、いくつかの映像を組み合わせて被写体の心情やストーリー全体の抑揚を表現しているもので、それはそれは複雑な要素の元に成り立っているわけですが、大雑把に言ってしまうと「実はテンプレートがあるよね」です。

身近なテンプレートをひとつ上げると
「結婚式の披露宴で流される直前の式の様子をまじえたイメージ映像」
でしょうか。わずか数時間前の映像を使って、まるでドラマのワンシーンのように仕上げられた作品を見て感動するわけですが、あれはテンプレートです。式で撮影された素材をエディターが確認して、ベストなカットを探し出し、そのカップルに合わせたストーリーを紡ぎだす…という作業をしているわけではなくて、テンプレートに映像を当てはめて作っています。当日の式の様子を数カット差し込めば完成という段階まで仕上げておいて、当日に「朝のメークシーン」「緊張する本人や親族」「ドレスを着た新婦と新郎が出会う場面」

正直申し上げて、動画編集のスキルで稼いでいくのは、どんどん厳しい時代になっていくのではないかと想像します。これはあくまで予想ですが、おそらく数年以内に「動画編集はAIにやらせる」がスタンダードになるはずです。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、動画編集にはある程度「文法」が存在しています。ネットで「映画」+「モンタージュ(モンタージュ理論)」などの組み合わせで検索してみてください。動画というのはたいていの場合、いくつかの映像を組み合わせて被写体の心情やストーリー全体の抑揚を表現しているもので、それはそれは複雑な要素の元に成り立っているわけですが、大雑把に言ってしまうと「実はテンプレートがあるよね」です。

身近なテンプレートをひとつ上げると
「結婚式の披露宴で流される直前の式の様子をまじえたイメージ映像」
でしょうか。わずか数時間前の映像を使って、まるでドラマのワンシーンのように仕上げられた作品を見て感動するわけですが、あれはテンプレートです。式で撮影された素材をエディターが確認して、ベストなカットを探し出し、そのカップルに合わせたストーリーを紡ぎだす…という作業をしているわけではなくて、テンプレートに映像を当てはめて作っています。当日の式の様子を数カット差し込めば完成という段階まで仕上げておいて、当日に「朝のメークシーン」「緊張する本人や親族」「ドレスを着た新婦と新郎が出会う場面」「式場へ移動する何気ないふたりの雰囲気」「ヴァージンロード」「指輪交換」などなど、あらかじめ想定されたカットを数名のカメラマンが撮影してその部分だけ差し込んで完成。
ウェディングのオープニングムービーも、テンプレートを選んで作ってもらうのが定番です。
プロフィールムービーで結婚式を彩るならエタニティ
(リンク先のサービスとこの回答の内容は全く関係ありません)

テレビのニュースなんかで報道される事件や事故の映像も、ある意味テンプレート。
「見出し的な映像(つかみ)」→「状況がわかる映像(場所)(時間)(天気)」→「説明する映像(なにが起きたか)(どうなったか)」→「雑感」
のようになっていることがほとんどです。カメラマンが撮影してきた素材をアナライズして「素材のカット点」「アップなのか」「ルーズなのか」「どんなものが写っているのか」などを自動検出できれば、あらかじめ設定された秒数と原稿に合わせて映像を当てはめていくこと(編集)を自動で行わせることは、現代の技術を使えばそう難しく無いはずです。テンプレートですから。

こんなサービスもあります。
音声認識 文字起こしサービス - Panasonic

取材してきたインタビューなどの素材から、文字を起こしてくれるサービスです。こういった技術やサービスを使えば、例えば…
「識者のインタビューを自動で文字起こし」→「生成されたテキストデータをAIが要約」→「要約されたテキストを元にインタビュー映像を自動編集」
なんてことが可能なはず。人間は、自動編集されたものが間違いないかをチェックすればいいだけです。そんな未来がそこまで来ている、そう予感させるサービスや技術がどんどん出てきています。あまり意味を持たず、BGMなどに合わせて動画を自動で編集するサービスやアプリケーションはすでに存在しています。

これらの環境要因から想像するとやはり、動画編集のスキル「だけ」ではなかなか稼げないんじゃないかな?と思わざるを得ません。じゃあどうするのか?

動画編集でこれからの時代稼いでいくには
「動画編集のスキルを生かしたクールなサービスを提供する」
です。テンプレートの例で上げた「披露宴で直前の式の様子を見せる」なんかは動画編集のスキルを「サービス」に昇華させた好例だと思います。つまり「スキル」は誰かの役に立ってはじめて「稼げる」ということ。おそらく動画編集自動化の波は数年以内にやってくると思いますが、それを生かしたサービスを思いつけばまだまだいけるんじゃないか。そう願ってやみません。

いろいろあると思いますが、意外とシンプルで、気付くのに時間がかかるのは色んな意味で”間”だと思います。

下の写真は不肖私が学生時代に撮った8mm映画の1シーンですが、この距離で立つと体はもう触れんばかりで、ばかばかしいくらいの近距離です。実際、役者からは本当にこれで良いのか確認されました(全員素人の自主映画なんで…)。でも、映画ではこの距離で無いと緊迫感が表現出来ません。

下の写真は同作品の別シーン、ナイフをもって迫る右の男にポケットから短銃を取り出し突きつける左の男(実は当時22才の私)。この後、両者は約1.5秒動きを止めて、その後カットが切り替わり、この場を立ち去る別の男の背後から銃声が響き、その音を聞いてにやりと笑って男が立ち去る(この時の演技指導は「用心棒」の卯の介みたいに笑え(笑))。この状況で、いくら銃を突きつけられたからって動きは止まりませんね、銃を出した方だって引き金を引くのを止めません。それも1.5秒(笑)。でも映画だと、その方が見栄えが良いのです。

こういった時間的、空間的な間をコントロールして映画を作れるようになるのに、高校から、そのまねごとを始めて、大学卒業まで7年かかりました。

いろいろあると思いますが、意外とシンプルで、気付くのに時間がかかるのは色んな意味で”間”だと思います。

下の写真は不肖私が学生時代に撮った8mm映画の1シーンですが、この距離で立つと体はもう触れんばかりで、ばかばかしいくらいの近距離です。実際、役者からは本当にこれで良いのか確認されました(全員素人の自主映画なんで…)。でも、映画ではこの距離で無いと緊迫感が表現出来ません。

下の写真は同作品の別シーン、ナイフをもって迫る右の男にポケットから短銃を取り出し突きつける左の男(実は当時22才の私)。この後、両者は約1.5秒動きを止めて、その後カットが切り替わり、この場を立ち去る別の男の背後から銃声が響き、その音を聞いてにやりと笑って男が立ち去る(この時の演技指導は「用心棒」の卯の介みたいに笑え(笑))。この状況で、いくら銃を突きつけられたからって動きは止まりませんね、銃を出した方だって引き金を引くのを止めません。それも1.5秒(笑)。でも映画だと、その方が見栄えが良いのです。

こういった時間的、空間的な間をコントロールして映画を作れるようになるのに、高校から、そのまねごとを始めて、大学卒業まで7年かかりました。

私は仕事でAppleのFinal Cut Pro Xを使っています。それを選んだのは「自分の作業プラットフォームがMacだから」というのが一番の理由となります。Macは1995年から個人用のPCとして使い続けています。

とは言うものの、Macで作動する映像編集ソフトは他にも選択肢があります。「仕事で実際に自分で使用したもの」で言えば「PremierePro」「Media Composer」「DaVinci Resolve」がありました。いずれも第一線で活躍するプロが様々な映像作品を生み出すのに使っている映像編集ソフトです。Final Cut Pro Xも含めて、現在も業務でこれら映像編集ソフトを使える環境にありますが、中でもFinal Cut Pro Xを使い続けているのには、それなりの理由があります。

Final Cut Pro Xは、他の映像編集ソフトに比べると異色な思想を持って作られたソフトのように見受けられます。それ故にFinal Cut Pro Xは当初、多くの映像クリエーターやプロから受け入れられないという事態を招きました。現在でもネガティブな印象を持っている方は多いと思いますし、他の映像編集ソフトのように使おうと思うと、そのあまりの思想の違いに「なんて使いづらいソフトなんだ」と思う可能性が非常に高いです。そして実際それは、あまりに違いすぎます。

例としてひとつ挙げると、他の

私は仕事でAppleのFinal Cut Pro Xを使っています。それを選んだのは「自分の作業プラットフォームがMacだから」というのが一番の理由となります。Macは1995年から個人用のPCとして使い続けています。

とは言うものの、Macで作動する映像編集ソフトは他にも選択肢があります。「仕事で実際に自分で使用したもの」で言えば「PremierePro」「Media Composer」「DaVinci Resolve」がありました。いずれも第一線で活躍するプロが様々な映像作品を生み出すのに使っている映像編集ソフトです。Final Cut Pro Xも含めて、現在も業務でこれら映像編集ソフトを使える環境にありますが、中でもFinal Cut Pro Xを使い続けているのには、それなりの理由があります。

Final Cut Pro Xは、他の映像編集ソフトに比べると異色な思想を持って作られたソフトのように見受けられます。それ故にFinal Cut Pro Xは当初、多くの映像クリエーターやプロから受け入れられないという事態を招きました。現在でもネガティブな印象を持っている方は多いと思いますし、他の映像編集ソフトのように使おうと思うと、そのあまりの思想の違いに「なんて使いづらいソフトなんだ」と思う可能性が非常に高いです。そして実際それは、あまりに違いすぎます。

例としてひとつ挙げると、他の映像編集ソフトには必ず明示されている映像や音声のトラックが「ない」ことです。実際それらは存在しているように振舞うこともできしますし、他の映像編集ソフトのようにトラックを意識して編集することも可能ですが、普段それらは(おそらく)意図的に隠されています。というか映像や音声のトラックは〜ある段階までは見えている必要がないから、そのような仕様にしたのではないか〜というのが私の考えです。ある段階というのは「ざっくりとした編集の完成」を指します。

私の職場はテレビ局ですので、映像編集ソフトを使っての成果物は「テレビ番組」になります。私の職場での「テレビ番組」の編集における大まかな手順としては

  1. 荒編集(素材から使いどころを探して番組の趣旨に合わせ構成する作業)
  2. 白編集(荒編集したものを放送する時間に寸分違わず一致するように調整する編集)
  3. 完パケ編集(白編集で完成したものに文字要素を追加したり映像的な加工をする編集)

となります。(編集の名称は様々な環境で多種多様なものがあります)

番組ディレクターが多くの時間を費やすのが「1」の荒編集の部分です。取材してきた映像をひらすら「検索」し、その中から番組の趣旨に合ったものを「選択」し、それらを並び替えて「構成」する作業になります。この段階で映像編集ソフト上では、要素は要素としてそこにあり、編集者の意図したとおりに「配置(挿入)」「長さの調整」「並べ替え」「削除」ができればいいわけです。その時「トラック」は見えている必要はなく、仮に音声を持つクリップを重なるように配置したとしても、Final Cut Pro Xでは重なった音声が上書きされるようなことはありません。これらは「マグネティックタイムライン」や「ロール(Role)機能」がその役割を担っていて、Final Cut Pro Xの特徴と言えると思います。これが、私がそれを使い続ける理由の一つになっています。

Final Cut Pro Xが作られた背景や思想についてはドキュメンタリー「Off The Tracks」で詳しく語られているようです。(私はまだ視聴していません)

Change is Radical - OFF [THE] TRACKS

同ドキュメンタリーについて日本語では以下に詳しい記事が書かれています。

https://www.pronews.jp/column/20180911110059.html

最後に。

Final Cut Pro Xは仕事で使えるか?
はい。私の環境ではFinal Cut Pro Xで毎週放送する30分番組の荒編集から完パケまでを作っているので、仕事に使えると言って差し支えないと思います。

同程度の年数経験者同士を比較して…

編集技術で言えばスタッフでしょう

それなりに整った編集環境は貸与されているでしょうし、自らの視点のみならず、他者の要望に応えるため、様々な編集技術的ノウハウが蓄積されていきます

YouTuberだと、動画自体にインパクトがあったり感動させられれば、編集せずに撮ったものそのまま出しでも閲覧数は稼げます

言い換えれば、YouTuberは企画屋、スタッフは技術屋です

そのためにclapper (カチンコ) があります。編集時には音声トラックでのあの鋭い音と、映像でのカチンコが閉じる瞬間を合わせます。どのシーンのどのテークかが探しやすいようにボードにその情報を書いて読み上げたりしますが、そっちは副次的なものです。

(カチンコのイラスト(映画))

なので音声を同録しないカットではカチンコは必ずしも必要ではないです。

急ぎで撮っててカチンコが見当たらない時は手のクラップで代用することもあります。カメラから見て手が合わさる瞬間が写るような向きで手を打ちます。

あと、複数カメラが大きく違う向きから写している場合は、カメラごとにはっきり見える位置で打ちます。"Scene XX Take YY, Slating for camera A… (clap!)… Slating for camera B … (clap!)…" って具合です。

そのためにclapper (カチンコ) があります。編集時には音声トラックでのあの鋭い音と、映像でのカチンコが閉じる瞬間を合わせます。どのシーンのどのテークかが探しやすいようにボードにその情報を書いて読み上げたりしますが、そっちは副次的なものです。

(カチンコのイラスト(映画))

なので音声を同録しないカットではカチンコは必ずしも必要ではないです。

急ぎで撮っててカチンコが見当たらない時は手のクラップで代用することもあります。カメラから見て手が合わさる瞬間が写るような向きで手を打ちます。

あと、複数カメラが大きく違う向きから写している場合は、カメラごとにはっきり見える位置で打ちます。"Scene XX Take YY, Slating for camera A… (clap!)… Slating for camera B … (clap!)…" って具合です。

映像製作に関わる人や企業にとって、自分の関わった動画クリップを集めたデモリールは実績・作風・実力を示す最も重要なものです。なので業界慣行としてデモリールへのマテリアルやフッテージ使用は認められることが多いです。CGデモリールの場合、どこをCGで作ったかを示すためにコンポジット前後の映像を見せるのが慣習です。

製作者自身が公開したものを第三者が引用して解説する場合はちょっと微妙です。制作元の許可はあくまでデモリールのためなので。引用映像でなく付け加えられた解説の方がメインであれば、米国の場合はフェアユースでカバーされるかもしれません。(フェアユースに当たるかどうかはケースバイケースで判断されるので

一概には言えませんが)

脚注

ボブ・ディランやジョニ・ミッチェル、ボン・ジョヴィ、レナード衛藤、布袋寅泰、XJAPANその他が参加した東大寺でのライヴ・コンサートのリハーサル・ドキュメント番組の撮影を担当したことがあります。

ディレクターおよびカメラマン、音声マンの組み合わせが三チーム編成され、撮影されたものはNHKとイギリスのプロダクションでそれぞれ別個に編集、放送されることになっていました。私は三チームのうち、イギリスのディレクター(男性)、そのアシスタント(女性)と組んで12日間撮影に当たりました。

ロンドンで編集作業が佳境に入った頃、アシスタントの女性から「編集を見に来ない?」と云って来ました。イヴェント主催者の格安航空券が使えるというので、一も二もなく行くことに…。私は編集を見物するだけでなく、イギリス人には意味不明の日本語を翻訳するなど、多少お役に立つことが出来ました。

編集はプロ用レンタルの編集室で、Mac数台とプロ用ソフトウェアを使って行われていました。大容量ハードディスク・ドライヴが六台ほど床に並べられていました。なにしろ、三チームが撮影したβテープ(一時間)が211本もあるのですから、それらをハードディスクに読み込むだけでも大変な作業だったでしょう。荒い編集をしたものも随時ハードディスクに保存するため、ハードディスク・ドライヴをもっと何台か追加しなくてはならない…と云っていました。

Macはプロも素

ボブ・ディランやジョニ・ミッチェル、ボン・ジョヴィ、レナード衛藤、布袋寅泰、XJAPANその他が参加した東大寺でのライヴ・コンサートのリハーサル・ドキュメント番組の撮影を担当したことがあります。

ディレクターおよびカメラマン、音声マンの組み合わせが三チーム編成され、撮影されたものはNHKとイギリスのプロダクションでそれぞれ別個に編集、放送されることになっていました。私は三チームのうち、イギリスのディレクター(男性)、そのアシスタント(女性)と組んで12日間撮影に当たりました。

ロンドンで編集作業が佳境に入った頃、アシスタントの女性から「編集を見に来ない?」と云って来ました。イヴェント主催者の格安航空券が使えるというので、一も二もなく行くことに…。私は編集を見物するだけでなく、イギリス人には意味不明の日本語を翻訳するなど、多少お役に立つことが出来ました。

編集はプロ用レンタルの編集室で、Mac数台とプロ用ソフトウェアを使って行われていました。大容量ハードディスク・ドライヴが六台ほど床に並べられていました。なにしろ、三チームが撮影したβテープ(一時間)が211本もあるのですから、それらをハードディスクに読み込むだけでも大変な作業だったでしょう。荒い編集をしたものも随時ハードディスクに保存するため、ハードディスク・ドライヴをもっと何台か追加しなくてはならない…と云っていました。

Macはプロも素人も関係なく使えるわけですが、ハードディスク・ドライヴを沢山揃えるのは個人では大変です。レンタルだからほいほいと追加出来るわけで、素人が独力で編集する場合、そう簡単にハードディスク・ドライヴを購入するわけにもいかないでしょう。

また、当時のMac特有の「爆弾」が出て、その都度ディレクターも編集マンも再起動に要する時間、コーヒー・ブレイクしてました。彼らは一時間番組を二本編集していたのですが、一本60分だと内蔵メモリを目一杯使うため、どこかの時点でメモリをクリアしないとOSが処理し切れなくなるわけです。10分程度の映像編集なら家庭でも充分可能でしょうが、放送用の一時間番組を家庭で編集するのは困難だと思います。

興味深い技法→マッチカットです!

マッチカットとは形と形でシームレスにカットや意味をつないぐカット技法です。モンタージュ理論の亜種ですね。

「マッチカット」とは、大雑把に言えば 視覚的、聴覚、あるいは比喩的な並列性や類似性によって 本来ならつながらないカットをつなぐ、リンクさせることを言います

カットの切り替わりに意味合いを持たせられる技法なので個人的には大好きです。

もっとも著名なマッチカットは、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」での骨を投げた瞬間、宇宙船へと切り替わるシーンです。人類の道具が骨から宇宙船に進化したことを暗示しながら、形の上でも繋がりを明示するとても秀逸なカットです。

日本のアニメ監督今敏さんがこの技法を得意としました。今敏さんを解説した動画を置いておきます。ぜひご覧になってみてください!

編集の技法を総覧したい場合、下記動画がおすすめです(字幕オンで日本語字幕がつきます)。
映画の見方が変わりますよ。

興味深い技法→マッチカットです!

マッチカットとは形と形でシームレスにカットや意味をつないぐカット技法です。モンタージュ理論の亜種ですね。

「マッチカット」とは、大雑把に言えば 視覚的、聴覚、あるいは比喩的な並列性や類似性によって 本来ならつながらないカットをつなぐ、リンクさせることを言います

カットの切り替わりに意味合いを持たせられる技法なので個人的には大好きです。

もっとも著名なマッチカットは、キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」での骨を投げた瞬間、宇宙船へと切り替わるシーンです。人類の道具が骨から宇宙船に進化したことを暗示しながら、形の上でも繋がりを明示するとても秀逸なカットです。

日本のアニメ監督今敏さんがこの技法を得意としました。今敏さんを解説した動画を置いておきます。ぜひご覧になってみてください!

編集の技法を総覧したい場合、下記動画がおすすめです(字幕オンで日本語字幕がつきます)。
映画の見方が変わりますよ。

年末にはレコード大賞なるお祭りもありますし、古い習慣からなかなか抜け出せないのでしょうか… (^^;

そういえば、チャンネルを回すとかも同じ扱いですね。

ご参考まで、NHK にこんな問答がありました。

Q テレビのニュースや番組で、アナウンサーやキャスターがビデオテープの映像を紹介するときに「VTRをご覧いただきましょう」「現在ご覧いただいている映像は、午前(午後)○時○分ごろに撮影したVTRです」という言い方をするときがあります。この場合の「VTR」の使い方は“ちょっと違うのでは”といつも気になるのですが…。

A そのような場合の「VTR…」という言い方は既に慣用的に使われている面もあり一概に間違いだと決めつけることはできませんが、抵抗感を持つ人もいますので、できるだけほかの言い方をしたほうがよいでしょう。

解説
「VTR」を辞書で調べると
(1)「videotape recorder」「ビデオテープ・レコーダー」
(2)「videotape recording」の略語型として示されています。
つまり、「画像・映像と音声をビデオテープ(磁気テープ)に記録し、再生する装置」のほかに「ビデオテープで録画すること、または録画したもの」という意味もあります。従って、「VTRをご覧いただく」とい

年末にはレコード大賞なるお祭りもありますし、古い習慣からなかなか抜け出せないのでしょうか… (^^;

そういえば、チャンネルを回すとかも同じ扱いですね。

ご参考まで、NHK にこんな問答がありました。

Q テレビのニュースや番組で、アナウンサーやキャスターがビデオテープの映像を紹介するときに「VTRをご覧いただきましょう」「現在ご覧いただいている映像は、午前(午後)○時○分ごろに撮影したVTRです」という言い方をするときがあります。この場合の「VTR」の使い方は“ちょっと違うのでは”といつも気になるのですが…。

A そのような場合の「VTR…」という言い方は既に慣用的に使われている面もあり一概に間違いだと決めつけることはできませんが、抵抗感を持つ人もいますので、できるだけほかの言い方をしたほうがよいでしょう。

解説
「VTR」を辞書で調べると
(1)「videotape recorder」「ビデオテープ・レコーダー」
(2)「videotape recording」の略語型として示されています。
つまり、「画像・映像と音声をビデオテープ(磁気テープ)に記録し、再生する装置」のほかに「ビデオテープで録画すること、または録画したもの」という意味もあります。従って、「VTRをご覧いただく」という例文は、(2)の意味でも慣用的に使われており誤りだとは言えません。
しかし、(1)の意味で字義どおりに厳密に解釈すると、「VTRという装置を、(視聴者に)ご覧いただく」ということになり、いきなり耳で聞いただけでは、ご指摘のように抵抗感・違和感を持たれるかと思います。このような例文の場合は、「○○を取材しました。(○○を取材した映像があります。それを)ご覧いただきましょう」「現在ご覧いただいているのは、午前(午後)○時○分ごろに取材・撮影した映像です」などと言ったほうが的確で、抵抗感・違和感はないでしょう。また、このほかによく使われている「これまでの動き(経緯)をVTRにまとめました」という言い方も、「VTR」抜きで単に「これまでの動き(経緯)をまとめました。(ご覧ください)」と言えばよいでしょう。
(『ことばのハンドブック』P156参照)

これと似たようなご質問があちこちであげられており、気になっていたので答えさせていただきます。

現実(真実?)をとらえるものとして最初に認識されたものがスチル写真であり、それを立て続けに連写することにより映画へと進化し、今ではビデオ、デジタル映像、と広がってきましたが、上記のいわゆる映像というものが「真実性」を「担保」したことは古今東西、ありません。

そもそも映像の合成(偽造)は、写真の発明とともに生まれたもので、19世紀の中頃から既に心霊写真や妖精の写真はごろごろあります。20世紀後半にはUFOブームで猫も杓子もトリック写真を撮りましたし、心霊写真や動画は写真の発明から現在に至るまで途絶えたことがありません。

「映像=真実」という<おとぎ話>を信じる自由は認めたいと思いますが、でもそれはただの幻想に過ぎません。「映像の真実性」という前提が、すでに成り立っていないのです。

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とある地方の民放テレビ局の現状をベースに回答いたします。

2021年現在、その会社(テレビ局)が自社制作しているローカルテレビ番組のほとんどがEDIUSで編集されたものです。一部はFinal Cut Proが使われています。これは、意外と驚かれる方が多いかもしれませんが事実です。では、なぜEDIUSが使われているのか?という疑問が生じます。世の中の主流と言われているのは、Premiere ProやMediaComposerやFinal Cut Proなのに。

様々な理由があると思うのですが、私が感じたものを挙げたいと思います。

そこにEDUISがあるから

テレビ局において編集ソフトは設備の一部という考え方です。他の放送用の設備と連携して使われるものとして導入され、減価償却期間が終わるまで安定して役割をこなすことが求められるわけです。また、それぞれの使用環境に合わせてカスタマイズされるようなケースがあります。そのテレビ局に導入されているEDIUSも、その局のワークフローに合わせたプラグインが起動するようにカスタマイズされています。また「ターンキー」と呼ばれる、ハードウェアがセットになったもの(専用のビデオカードなどがインストールされたワークステーション)や映像サーバーと一緒に導入されています。テレビ局で導入されるEDIUSは、すぐさまテレビ局の業務に使える状態になっているわけです。(それは、

とある地方の民放テレビ局の現状をベースに回答いたします。

2021年現在、その会社(テレビ局)が自社制作しているローカルテレビ番組のほとんどがEDIUSで編集されたものです。一部はFinal Cut Proが使われています。これは、意外と驚かれる方が多いかもしれませんが事実です。では、なぜEDIUSが使われているのか?という疑問が生じます。世の中の主流と言われているのは、Premiere ProやMediaComposerやFinal Cut Proなのに。

様々な理由があると思うのですが、私が感じたものを挙げたいと思います。

そこにEDUISがあるから

テレビ局において編集ソフトは設備の一部という考え方です。他の放送用の設備と連携して使われるものとして導入され、減価償却期間が終わるまで安定して役割をこなすことが求められるわけです。また、それぞれの使用環境に合わせてカスタマイズされるようなケースがあります。そのテレビ局に導入されているEDIUSも、その局のワークフローに合わせたプラグインが起動するようにカスタマイズされています。また「ターンキー」と呼ばれる、ハードウェアがセットになったもの(専用のビデオカードなどがインストールされたワークステーション)や映像サーバーと一緒に導入されています。テレビ局で導入されるEDIUSは、すぐさまテレビ局の業務に使える状態になっているわけです。(それは、そういう形で導入してくれる業者があるからです)

EDIUSという編集ソフトはもともと、日本のPC周辺機器メーカーが作り出したものでした。つまり国産の編集ソフトなんです。現在は海外の老舗放送機器メーカーのグラスバレーが開発と販売を手掛けていますが、開発拠点は日本です。そのようなことから、NHKと共同で技術開発をしたりするなど、日本のテレビ業界に大変近く、テレビ業界のニーズをいち早く把握し製品にフィードバックする体制が整っているものと思われます。そういうこともあって、テレビ局向けの機能の充実や案件ごとのカスタマイズに対する柔軟性が高いのだと推測します。また、カスタマイズを含めて、導入された編集システムを導入後数年間に渡って保守管理やアフターサービスしてくれる外部業者の存在も、EDIUSが使われる大きな要素になっています。

そのような理由から、今回の話の舞台となっているある地方の民法テレビ局で働くディレクターや編集マンが使う編集ソフトは必然的にEDIUSになるわけです。

私が知る限り、EDIUSを使っているテレビ局は「けっこう多い」という印象があります。EDIUSは確実に仕事をこなしてくれるプロの道具、というイメージです。

もちろん業界全体で見れば、Premiere ProもFinal Cut ProもMediaComposerもDaVinciResolveも使われています。私が携わる番組はFinal Cut Proで作られています。

こちらの記事にEDIUS開発者のインタビューがあります

EDIUSのウェブサイト

どのような目的で使われる映像かにより捏造の概念が変わりますね。

報道やドキュメンタリーなどは、事実でない内容で伝われば捏造でしょうし、バラエティでは、ありえない内容であっても捏造でしょうとは言われないでしょう。

ちなみにインタビューでは、話し手の意図したことと全く反対の内容に編集することは、わりと簡単にできます。

デレビは信じない方がいいですよ

映像制作を仕事にしている者です。

動画編集だから稼げるのではなく、スキルレベルが高いから稼げるのだと思います。動画編集の希少性は既にありませんから、稼ぐにはそれ相応のスキルが必要になります。

特殊な映像加工ができる、特殊な編集機(ソフト)でも編集できる、見るものを引き込むカット繋ぎ、テンポ作りができる、人の心を動かす映像構成ができるなど、他の人には負けない自分なりの強みが無いと難しいでしょう。作業できるだけではAIに負けます。しかし、自分なりの強みがあり、それが周りから求められるものであれば、それなりに稼ぐことはできると思いますよ。

動画編集に限らず全ての仕事がそうだと思います。歌が歌えるからといって歌手で稼げるとは限らないのです。

事実とそぐわないのは、言葉が技術進歩とシンクロしている訳ではないからとも言えますね。

最近はコンピューターテクノロジーが急激に進歩していて言葉の消費も速いのですが、VTRの時代はビデオテープが普及してからがとても長い期間だった為に、歴史的な浸透と言葉の入れ替えがシンクロしていないのだと思います。

すぐに消える言葉もたくさんありますが、それは出て来て市民権をあまり得ていない言葉だからかもしれません。

尾を長く引く言葉にはそれだけ市民権を得て長い歴史が有った事の表れだとも言えます。

これはVTRに限らず、テレビのチャンネルを変える事を回すと言ったりするのも、ツマミを回していた名残りから来ていると思います。

ある意味言葉には残像的な意味合いが深く刻まれるものと言えると思います。

それにも増して、その業界の権威の頭の硬さや体制の古さなどが渾然一体となって、古い言葉のまま改善が加えられない現象も要因としてあると見ています。

30年間続いた「平成」の元号が一夜にして「令和」になれるのですから、できない事はない筈なのですが、そこが日本のムラ社会の大きな改善すべき弱点でもあると思います。

私はプロとしての撮影しか経験していないので、機材も録音メソッドも一般とは一寸違うことをお断りしておきます。放送用の同時録音撮影には二通りあります。

一つはフィルムの端に塗布された磁気帯に録音したり、ヴィデオ・テープに直接録音する方法で、NHKではこれを「シングル同録」と呼んでいました。

質問にあるピンマイクというのは「ネクタイ・ピン型マイク」のことで、主にインタヴューの撮影で使われます。インタヴューでは取材対象(インタヴューされる人)は立つなり座るなりし、撮影するこちらも三脚を立ててデンと構えます。音声は音声ケーブルでカメラの外部入力に入れます。もし取材対象がリポーターのように動き回る必要があるのであれば、取材対象のマイクに発信器を繋げ、それを取材対象(リポーター)に持たせます。その音声は受信機経由で音声外部入力に入りますので、カメラマンもリポーターにくっついて廻りながら映像と同時に音声を録音出来ます。これらの場合、同期に関しての問題は全くありません。

ドキュメンタリー撮影では上の「シングル同録」に対し「ダブル同録」が多用されます。この場合は音声マンがつき、彼はゼンハイザー(超指向性)マイクに入って来る音声をナグラとかSONYのTCD-D7などの安定した優秀な録音機に収めます。この方式の場合は、同時録音をスタートする時にカメラマンが音声マンにレンズを向け、音声マンは水平にしたゼンハイザー

私はプロとしての撮影しか経験していないので、機材も録音メソッドも一般とは一寸違うことをお断りしておきます。放送用の同時録音撮影には二通りあります。

一つはフィルムの端に塗布された磁気帯に録音したり、ヴィデオ・テープに直接録音する方法で、NHKではこれを「シングル同録」と呼んでいました。

質問にあるピンマイクというのは「ネクタイ・ピン型マイク」のことで、主にインタヴューの撮影で使われます。インタヴューでは取材対象(インタヴューされる人)は立つなり座るなりし、撮影するこちらも三脚を立ててデンと構えます。音声は音声ケーブルでカメラの外部入力に入れます。もし取材対象がリポーターのように動き回る必要があるのであれば、取材対象のマイクに発信器を繋げ、それを取材対象(リポーター)に持たせます。その音声は受信機経由で音声外部入力に入りますので、カメラマンもリポーターにくっついて廻りながら映像と同時に音声を録音出来ます。これらの場合、同期に関しての問題は全くありません。

ドキュメンタリー撮影では上の「シングル同録」に対し「ダブル同録」が多用されます。この場合は音声マンがつき、彼はゼンハイザー(超指向性)マイクに入って来る音声をナグラとかSONYのTCD-D7などの安定した優秀な録音機に収めます。この方式の場合は、同時録音をスタートする時にカメラマンが音声マンにレンズを向け、音声マンは水平にしたゼンハイザー・マイクの真ん中を伸ばした人差し指で叩きます。これはドラマ撮影で用いるカチンコの代用です。

ダブル同録の編集のためには、音声マンが録音した全てを編集用テープにダビングしなくてはなりません。編集マンは、映像に収められた音声マンの指がマイクを叩いた瞬間と、音声テープに記録された「ボコン」という音が出る瞬間を揃えます。それが映像と音声を同期させます。

音声テープは長時間録音出来ますから、音声マンはカメラが廻っていない時も「何かいい話が出て来るかも知れない」と無駄を承知で録音出来ます。映像の方はフィルムにせよヴィデオにせよ長さが短いので、そうガラガラ廻せません。音声マンの録音中に「お、いい話だ!」となったらカメラも廻し始めます。この場合、いい話の途中でマイクを叩いて「ボコン」なんて音を入れたくないので、ついにフィルムやヴィデオ・テープが切れるというぎりぎりまで廻し、最後の最後にレンズを音声マンに向けます。音声マンはいつものように指でカチンコを入れながら「ケツ」と呟きます。これを「ケツカッチン」と呼んでいました。冒頭のカチンコでなく末尾だという意味です。この場合、編集マンはカットの最後で映像と音声を同期させ、そこから映像音声を逆戻りさせて編集します。

いま思えば、撮影クルーの隠語など知らない出演者の前で「ケツ」などと口走って良かったのだろうか?と、冷や汗が出る思いです^^。

ヴィデオ時代になってからは音声マンが送信して来る音声をカメラに接続した受信機で受け、外部入力によってヴィデオに収録するようになったため【=シングル同録】、カチンコは使わなくなりました。

【補足】ピン・マイクをつけた人のマイクを叩いても、カメラでその瞬間が明瞭にきちんと写るとは限りません。こういう場合は、音声マンあるいはディレクターがピン・マイクをつけた人の前に立ってカメラに見えるように両手を水平に伸ばし、カメラが廻り出したら両手を上下に「パチン!」と叩いてすぐ離します。この掌によるカチンコで、両手が合わさった瞬間の映像と音声を同期させます。

今はビデオカメラに音声を入れていますので、映像とともに同期した音声を編集します。

ビデオカメラの音声は通常は2ch、多くて4chですが、直接マイクを入れることはほとんどなく、ミキサーさんが音量調整やマイクが複数の場合は、ミキシングしてカメラに入力します。

ところが最近は、5.1Chサウンドや、10人近くの人が一度に自由に話すような収録現場があって、現場ミキシングでは、ミキサーさんの負担が大きくなるのとミスを減らすために、すべてのマイクを独立して収録するよになってます。

その場合、音声の収録機械と映像の収録の機械の同期は、タイムコードという同期した時間を記録して、編集の時に合わせるようにします。

機械によりますが一度に8chほど録音できるので、それ以上は複数台使用すれば良いです。

で、この機械には、コンプレッサーという、音量をある程度一定にする装置もついていますので、編集の時に全体のバランスを見てミキシングすれば良いです

シーケンス、またはシークエンスという言葉には、連なりや順列、制御された並び、と言った意味があります。

動画を編集するということはその先に誰かが視聴する完成品があると思います。動画の完成品は鑑賞することが想定されるわけですが、鑑賞する時には、時間が経過していきます。つまり動画編集とは、(それが視聴される時の)未来に向けて進んでいく時間の流れに沿うように、動画の素材を「並べていく(並べ替える)」作業の事だと言えると思います。簡単に言うと、映像素材を時間軸に沿って並べていく作業、でしょうか。

動画編集における「シーケンス」は、ある目的に沿って「制御された」「時間軸に沿う」映像素材の「並び」であり、成果物そのものを指すと言ってかまわないと思います。動画編集において「シーケンス」は何かのためにあるのではなくて「シーケンス」を作るために動画編集があります。

映像編集の業界は慢性的な人手不足なので

就職は簡単です。

あなたがやりたい内容かは別として。

手っ取り早くプロダクションに就職してみてはいかがですか?

私の場合は収録したカメラから動画データをその日の内にPCのHDDにコピーします。 さらに音声データが別取りなので、それらも全てPCに落としています。 そこから編集をかけて編集データ、レンダリングデータも全てPC上のHDDです。 メインのHDDはRAID0の6TB(3T×2)です。 完パケデータまではそのHDDで行います。 完パケデータからDVD、BDへの焼きデータをさらに作りますが、DISCイメージは別HDDに落としています。 そのHDDが4TBです。

メインの6TBはだいたい2-3年でいっぱいになるので、定期的にバックアップHDDにコピーして領域を開けています。 バックアップしているHDDは2-3TBのものが20本ほど溜まっています。

以前のデータ量は1収録100GB台だったのですが、4Kカメラも入れる様になって、1収録300GB近くに行くようになり編集負荷もですが、データの整理が大変になってきました。

私の場合は収録したカメラから動画データをその日の内にPCのHDDにコピーします。 さらに音声データが別取りなので、それらも全てPCに落としています。 そこから編集をかけて編集データ、レンダリングデータも全てPC上のHDDです。 メインのHDDはRAID0の6TB(3T×2)です。 完パケデータまではそのHDDで行います。 完パケデータからDVD、BDへの焼きデータをさらに作りますが、DISCイメージは別HDDに落としています。 そのHDDが4TBです。

メインの6TBはだいたい2-3年でいっぱいになるので、定期的にバックアップHDDにコピーして領域を開けています。 バックアップしているHDDは2-3TBのものが20本ほど溜まっています。

以前のデータ量は1収録100GB台だったのですが、4Kカメラも入れる様になって、1収録300GB近くに行くようになり編集負荷もですが、データの整理が大変になってきました。

映像スタジオでは、機材の規模、使える機能、使える素材に大きな違いがあると思います。個人がデスクトップPCにて出来る作業とは遥かに作業効率が違うでしょう。

個人ができることといえば、良いハードウェア(CPUやメモリ、グラフィックボード)とマルチディスプレイ(2~3)、良いソフト(Adobeやフリーの動画編集ソフトなど)などがよく挙げられます。これらを揃えるのに最低でも10万前後は必要になってくると思います。そこにCGや音樂といった素材が必要となります。

ソフトウェアにおいても、汎用的なNuke, Autodesk, HitFilm, Avidのソフトウェアなどに、EDIUSやVegas,Adobe pro elementsなどの編集特化,合成に特化したAfterAffectなどを併用し編集していきます。

編集作業に時間的制約のある場合は、高性能な機材はとても助けになるでしょう。

編集を仕事とせず、あらゆるプロフェッショナルな素材と機材において作業したいという方には費用面で大きなメリットがあると思います。

もっとも、最近はDavinchi ResolveやLightworksなどのフリーウェアもあるので自宅PCでそれらを活用するのは十分にアリだと思います。

DELL U2720QMをおすすめします

iMac27インチ5Kを8年ほど使用しPhotoshopやiMovieを利用していましたたが処理速度など不満になり新しくすることにしました。しかしM1チップのiMacは24インチしかなく27インチはいつ発売になるか不明なのでM1チップのMac mini+27インチ4Kモニターにすることにしました。

そこでモニターをどれにするかを検討しました。理想的にはカラーキャリブレーション機能があるEIZOのColorEdgeCG29Xが良いのですが14万円ほどします。予算的に厳しいので工場出荷時にカラーキャリブレーションをおこなっているDELLのU2720QM(6万円)にしました。

結果は正解でiMac27インチ5Kのretinaモニターに遜色なく綺麗な色で満足しています。

M1 Mac mini(16GB/512GB)も高速で期待通り。モニターとの相性もGoodです。

DELL U2720QMをおすすめします

iMac27インチ5Kを8年ほど使用しPhotoshopやiMovieを利用していましたたが処理速度など不満になり新しくすることにしました。しかしM1チップのiMacは24インチしかなく27インチはいつ発売になるか不明なのでM1チップのMac mini+27インチ4Kモニターにすることにしました。

そこでモニターをどれにするかを検討しました。理想的にはカラーキャリブレーション機能があるEIZOのColorEdgeCG29Xが良いのですが14万円ほどします。予算的に厳しいので工場出荷時にカラーキャリブレーションをおこなっているDELLのU2720QM(6万円)にしました。

結果は正解でiMac27インチ5Kのretinaモニターに遜色なく綺麗な色で満足しています。

M1 Mac mini(16GB/512GB)も高速で期待通り。モニターとの相性もGoodです。

稼げないと推察します。

稼げる=平均的な収入額よりも高額を得る事ができる。
と定義してみますと、以下の何れかの条件が必要と考えます。
・その仕事を上手にできる人が絶対的に少数なのに需要がある
・巨額の資産を所有
・テクノロジーで代替えすることが将来的にも困難
・時間単価では測れない業務

YouTuber華やかりしこのご時世に動画編集スキルを持つ方が少数とは考えにくいです。

日本のプロダクションで5年ほど働いていた後、フランスで助監督をしています。音楽系はわからないんですが、映像系は理由が3つ思い浮かびます。

①会社の分母数がそもそも少ない、②フリーランス、業務委託のポストが多い、③探してる人も少ないです。

①会社の分母数がそもそも少ない

日本の企業総数は2023年現在で368万社

、少し年は前後しますがそのうち映像制作・配給企業は1051社しかありません。全体の約0.03%です。

データが少し古いですが、どんなモノを観るか?という質問に、日本のテレビ視聴者の20%は「好きなタレントが出ているから」を挙げています。

残念な言い方をすると、内容は割と気にされていない。制作会社とはいえ「映画専門の制作会社」や「テレビ専門の制作会社」と分かれていることが多いです。が、どちらとも仕事する俳優事務所は殆どが東京がベースです。

個人の肌感ですが、日本は事務所の力がかなり強いです。フランスで自主制作から大型ドラマまで様々な撮影に参加しましたが、マネージャー(エージェント)と連絡するのは契約の時のみ。相当の大物俳優でなければ彼らは撮影現場にきません(アメリカに詳しい方がいたらコメントお待ちしています!) 日本はどんな小さな俳優でもマネージャーが撮影に張り付きます。何もしないんですよ、ただ監視と俳優さんの世話をするだけ(笑) 個人的にはお金と時間が勿体無いと思います。更にフラン

脚注

日本のプロダクションで5年ほど働いていた後、フランスで助監督をしています。音楽系はわからないんですが、映像系は理由が3つ思い浮かびます。

①会社の分母数がそもそも少ない、②フリーランス、業務委託のポストが多い、③探してる人も少ないです。

①会社の分母数がそもそも少ない

日本の企業総数は2023年現在で368万社

、少し年は前後しますがそのうち映像制作・配給企業は1051社しかありません。全体の約0.03%です。

データが少し古いですが、どんなモノを観るか?という質問に、日本のテレビ視聴者の20%は「好きなタレントが出ているから」を挙げています。

残念な言い方をすると、内容は割と気にされていない。制作会社とはいえ「映画専門の制作会社」や「テレビ専門の制作会社」と分かれていることが多いです。が、どちらとも仕事する俳優事務所は殆どが東京がベースです。

個人の肌感ですが、日本は事務所の力がかなり強いです。フランスで自主制作から大型ドラマまで様々な撮影に参加しましたが、マネージャー(エージェント)と連絡するのは契約の時のみ。相当の大物俳優でなければ彼らは撮影現場にきません(アメリカに詳しい方がいたらコメントお待ちしています!) 日本はどんな小さな俳優でもマネージャーが撮影に張り付きます。何もしないんですよ、ただ監視と俳優さんの世話をするだけ(笑) 個人的にはお金と時間が勿体無いと思います。更にフランスのマネージャーの取り分は俳優のギャラ10%、Netflixで仏俳優マネージャーに関するドラマ「Dix pour cent(10%)」までできたので、よければ参考に。

これが日本となると20〜30%、多いところではもっと俳優の取り分が少ないんです。つまり、俳優さんも数をこなさないと生きていけない。仕事の分母数が多い東京に住むのはこうした理由からだと思います。最近はYouTubeなど自分で稼げるツールも増えたので、東京外にベースを移す方も増えましたけどね...

それでもアメリカなどとは異なり、日本の経済がまだ東京一極集中型のため、大きな撮影の仕事は基本的に東京です。こういういった理由で、「視聴者が見る理由の俳優が東京にいる=東京でないと事務所との関係が作りづらい」となり、他県に仕事の機会が増えません。

更に日本は「中抜き構造」が非常に顕著です。予算が1億円の映画製作だとすると、間に広告代理店、下請け制作会社が最低一社は入り、実際に現場を仕切る制作会社やスタッフに降りてくるお金は6000万〜7000万程です。フランスの例ばかりで恐縮ですが、フランスでは広告代理店が間に入ることはまずありません。「製作会社(お金を集めて、プロモーションや配給計画をオーガナイズする企業)」と「制作会社(実際に撮影をオーガナイズする企業」のみで、実際に撮影する人たちにはお金が降りてきます。大手広告代理店の力が強すぎる以上、映像制作会社は常に「儲かりづらい」社会構造にハマっているので、規模も数もある程度からは増えないんですね...


②フリーランス、業務委託のポストが多い

映像制作には様々なポストがありますが、一般職として会社に常駐しているのは基本的にプロダクション(プロデューサー、ラインプロデューサー、プロダクションアシスタントなど)のみです。それ以外のポスト、例えば脚本家、カメラマン、助監督、メイクなどは職人に近い特殊技能です。逆に一般的な事務作業は得意としない人も多く、一回の撮影での仕事量が多いため、事務作業をしてる暇もありません。なので、社員として雇うと会社は損を被ります。

あり得るとしたら「映像制作系のプラットフォーム」(名前は忘れてしまいましたが、日本にもあった気がします) で「長編撮影で◯◯のポスト探してます、連絡してね」という撮影毎の雇用がほとんどです。数年前からInstagramでよく見らようになりました。Instagramはビジュアルやビデオを見せるSNSなので、ある意味の履歴書として機能して相性がいいんですねー。制作会社も「あ、こんなことできる人なら雇おう!」と直接リクルートもできるわけです。制作会社のインスタをフォローするのも手だと思います!

(フランス語の例ですが、9/18から1ヶ月、ピレネー地方のスタジオに入れる編集者探してます。サンプルと希望給与を送ってください)

例外は美術や照明、特殊機械といったポストで、撮影がない時の機材の管理も仕事に入るため、社員であることが多いです。普段は機材レンタルやイベント運営も行い、出向のような形で撮影に参加します。


③探してる人も少ない

そもそも業界を志望する人が少ないです。マイナビの人気企業ランキングを見ると、ほぼ全てのTOP50企業の志望理由は「安定してるから」です

。悲しいかな、業界が好きだからではないんですねー日本の映像業界は安定からは程遠いです(笑)誰とは言えませんが、日本アカデミー賞をとった監督ですら、1LDKのアパートに住んでいたことがあります。今は深田晃司監督や是枝裕和監督のような海外と仕事した著名監督の働きで「action4cinema」という働き方改革を求める組織が作られましたが、以前の日本の映像業界はブラックホールよりドス黒い働き方を強いられていました(笑)

1ヶ月450時間にもなる過剰労働(ぼくの体験です笑)や、現場での暴力・年功序列を使った精神的イジメ、俳優の力が強すぎるために無駄な仕事量が増えるなど「やりがい搾取」が基本の職業だったんです。

アメリカでは組合(Union)の力が強く、今まさに脚本家組合がストライキを行っているように、一労働者が固まることで企業や業界を動かせたり、

フランスには舞台・映像系フリーランサー(intermittent du spectacle)という政府公認の肩書があり、年間507時間プロとして仕事をすると、翌年の仕事がない月に仏政府が支援金を払ってくれます(前年の仕事量にもよりますが、最低月800〜900€=13〜15万円くらい)。脚本家やプロデューサー以外のほぼ全ての映像ポストがこれに含まれ、俳優もここに入ります。国の文化である映像系のフリーランサーが死なないように国がお金を出しているんです。仏政府のCNC

という映画庁が映像関係の税金を全てここにプール、それを映像制作に還元するシステムが成立しています。韓国にもほぼ同様のKOFICという組織が存在して、映像業界にお金が回るようになっています。

(フリーランサーがいなければ、映画も舞台もない!)

残念ながら、日本にはどちらもありません。組合があるポスト(撮影監督協会など)はありますが、賃金や労働時間に関する交渉をしたところは見たことがありません。前述のように「中抜き企業」や「俳優事務所」の力が強すぎるため、映像スタッフの人権はかなり無視されていたのです。そりゃ人も集まらないし、家族ができたら他の仕事をせざるを得ません(笑)

それでも命をかけて毎月生きていける、という人が映像業界に残ります。大抵のスタッフは家を買うなんて夢のまた夢ですが、それでも得るものはあるからです。あってはならないことですが、日本の社会システムが変わらなければどうしようもありません。


企業は企業で、リクルートに募集を掲載すると、採用段階でマージンが発生します。

これが自社サイトやInstagramなどであれば0円です。もちろん、自分達で管理しなければならない面倒さはありますし、応募が遅過ぎて見られないなんてことは日常茶飯事です。名が通るようになるまでは何十、下手したら何百と応募します。

ぼくのパリでの師匠で、小野山要さんという撮影監督がいます。この人は日本で一切のキャリアなし、フランスやイギリスで仕事を始めました。今ではパリ、ロンドン、LA、東京にエージェントがいるくらいです。アリシア・キース、デュア・リパなどのMVや、NetflixのドラマTOPBOYなどを撮影しています。

もちろん才能と努力も果てしなく、人間としても素晴らしい人です。が、日本では同じことは出来なかったかもしれない、とよく言っています。カナメさんのように特にカメラ周りの技術者としてキャリアを作りたいなら、最低でも英語はマスターして、イギリス、アメリカ、フランスなどでキャリアを始める手もあります。

日本映像界の現状は確実に改善されつつありますが、個人的には「フリーランサーの社会的地位の交渉」「行き過ぎた年功序列の排除」「代理店を抜いての映像製作システム」この3つが成り立たない限り、募集する企業も増えないし、業界を希望する人も増えないと思います。

映像制作はとてつもないお金がかかるもの、そんな簡単にできるものではないということを国と国民、両方が理解してくれれば良いな、と感じます。

とはいえ、誇りある素晴らしい職種です。希望は捨てず、ありとあらゆる方法を試してください。応募なんか出てなくたって、こんなことできます!と自分からアタックしてみるのはどうでしょうか?そもそもジョブ型雇用が前提の業種なので、何ができるか、がポイントです。ぼくはその方法で何回も仕事見つけました(笑)

長くなってしまいましたが、良い結果になりますよう!

脚注

・単純なデジタルリマスターであれば、作業としては、フィルム原版から以前とは違う新たな方法でデジタイズするだけです。よって当初から、その分の予算しか計上しません。

・加えてレストア作業も行なう場合は、デジタイズの費用にプラスして、デジタル修復をするための人件費を含む編集費用が別途必要になります。

・質問者様がおっしゃるような修正作業には、編集費用+CG制作費+全体の演出費が必要になります。

映像の制作は趣味ではなく「仕事」ですので、何かを行なうためにはその分の費用が必ず必要になります。製作母体である会社が必要だと決済する作業内容と、それにかかる費用・人などを前もって計画して準備する必要があります。ある作業をしながらついでに別の何かを無報酬でやる、ということはありえません。これは世の中のあらゆる仕事と同じことなので、常識的に考えていただければと思います。

よってお答えとしては...

予定されている作業に含まれるものであれば行なわれますが、そういう売り上げに貢献しそうもない微妙な修正に別途制作費を出すような奇特な制作会社は、あまりないと思います。

映像制作を仕事にしている者です。

「作品」とあるので、芸術としての映像のことだと思います。そうであれば、自分の表現したいものは何なのか、とことん突き詰めることです。

もし商業としての映像ならば、伝えないといけないものは何か、それを伝えられる表現になっているのか、客観的に見ることです。

知識や技術から入りがちな映像業界だからこそ、ここを見失うと本末転倒になります。