西部邁氏の自殺が深く心に刺さる
思想的な立場は異なるが、西部邁氏は論客として卓越していたと思う。その西部氏がなぜ自殺(自裁死)をしたのか。
高校生の同級生であった妻に先立たれた西部氏は、癌で妻を看取ったときにモルヒネで意識がもうろうとなり「殺して」と頼まれるほど苦しんだ、
それと同じ思いを家族にさせたくなかったとうことだ。
自死に際しては古くからの知り合いに手伝いを依頼し、多摩川で入水自殺をした。その知り合いは自殺幇助罪で有罪となった。
私に関して言えば尊厳死、安楽死、死に時を自ら選ぶことは自分としてはポジティブな立場だが、最も意志的で見事な自死を遂げた西部氏ではあるが、それでも残された家族(長男、長女)は非常に残念がっており、それぞれが父に対する態度を悔いている。結局深い傷跡を残してしまっている。
家族や友人と意志的に別れるという決意は、残された家族や友人にはやはり、あまりにも辛く、しかも止められなかったと自分を責める、ある種の悔いを残す。病死や事故死の場合は、ある種の諦念を持つことができる、
それは1つの救済の形なのかもしれないが、意志を持っての自死の場合は、その救済がもたらされることはない。
難しい問題だ。
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