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【うつ】閉鎖病棟入院体験記

前置き
この文章は6800字の長文ノンフィクションですので、読み終わるまで10分くらいかかります。お時間のある方とご興味のある方のみご覧いただければ幸いです。

新型コロナウイルスの影響で本日と明日の2日間は東京都を中心に外出自粛要請が出された関係で自宅で過ごされた方が多いと思います。

私も都知事がそこまで言うならと、堂々とひきこもりライフを堪能させていただきました。明日は雪が降るらしいので引き続き家から出ずにひきこもらせていただきます。(場合によっては雪かきが必要でしょうか?)

さて、いきなり「閉鎖病棟」というタブーなワードをタイトルに押し出してきましたがこの体験記は3年くらい前の話になります。

なんだよメンヘラかよー?といきなり「閉じる」ボタンを押してしまった方もいらっしゃると思いますができるだけ淡々と書いていきますのでご興味のある方のみ読んでいただけたら幸いですのでよろしくお願いいたします。

1.入院のきっかけ

2016年秋、愛する父が急死した。寝耳に水の出来事だった。まだ若かったのに逝ってしまう時はなんとあっけないのだろうか。

悲しみに暮れる暇もなく気が動転した母の代わりに葬儀の段取り、告別式を進め、バタバタと終わらせた。時期的に喪中はがきも書かないといけないし一家の主を失ったことによる年金事務所や役所や保険などの手続きに追われて毎日がクタクタだった。

専業主婦だった母はいつも父にぶらさがって生きてきた。悪い意味ではなく父のために献身的に家事をこなして支え続けてきた日々がいきなり音を立ててガラガラと崩れ去った。

完全に気がおかしくなった母は真っ先に私の住む家にやってきた。放置するわけもいかず心配になったので空いている部屋に布団一式とテレビと物置とクローゼットを用意して、寂しくないように毎日話を聴いてあげていた。

私の家でもあるが、当然主人の家でもある。というか主人が一家の主であるのにもかかわらず母は自分の家のようにキッチンを大改造して調味料を買い込み自分色にどんどん家をリニューアルしていった。

それに反発した主人は憤慨して家に帰るのが憂鬱になり、加えて仕事が繁忙期となり帰宅が深夜になることもしばしばだった。母は「毎晩夕ご飯は7時」に設定したが息が詰まり私も段々と家に帰りたくなくなっていた。

逃げていても何も変わらない。できるだけ母の話を聴きながら事務手続きを進めていた。母は父との思い出話やこれからの不安を5時間以上話続けた。真剣に聞いていたら疲れてしまうのでほどほどにしていたが、やるべきことが増えすぎてそれどころではなくなっていた。

何もかも初めてだった。準確定申告や相続の手続き。知らないことは本で調べたり税理士さんに頼んだりして進めていた。法定相続人は私と母のみ。その2人しかいなかったのが救いだった。

昼は仕事、夜は母の話し相手。ひとつ屋根の下に母がいるというそれだけで主人は帰らなくなっている。このままでいいのだろうか。徐々に追い詰められていった。「私だって泣きたいのに・・・」

年が明ける直前、思い切ってかかりつけの病院を変えた。かれこれ10年以上通っていたメンタルクリニックだったが、予約制の割に待たされて30秒診療の末多剤投与という杜撰な診察に辟易としていたのもあり、いいきっかけなので病院ごと変えてしまおうと思いついた。

役所や口コミなどを参考に、ある病院へセカンドオピニオンに行った。そこで担当してくださった若い医師は熱心で治療方針もしっかりしていて、「ここなら安心して通うことができる」と確信した。すぐに転院の手続きをすませ、カウンセリングも併用することで根本的に治療しようということになった。

家に帰りたくない・・・。決して広いとは言えない我が家で母と主人と気を遣いならが過ごすのは最初の2ヶ月でギブアップだった。少し休みたいと思った時ふとよぎったのは2つ。

湯治に行こうか。

冬の寒い時期だが北海道の豊富温泉というアトピー性皮膚炎の患者さんに大人気の湯治スポットがある。何度か観光で行ったことがあるが、滞在してみるのも悪くない。石油の匂いが漂う温泉で洗いあがりがしっとりする温泉だった。

それか与論島に行こうか。

冬の北海道は季節的に滅入る。それならば沖縄の手前の与論島に行けば太陽光で少しはのんびりできるのではないだろうか。沖縄まで飛行機ですぐだし、陽気な人たちに囲まれて心も身体も元気になるだろう。

そう。現実逃避の旅は脳内を駆け巡った。

しかし本当に身体が疲弊して仕事に行くのも困難になったので、2週間仕事を休むことにした。シフト制の仕事だったので同僚には多大な迷惑をかけたかもしれないが、この数ヶ月まともな睡眠が取れていない。そんなフラフラの脳みそで何ができるというのだろうか。

病院で話をすると思わぬ方向に話が進んだ。

「AKIKOさん、家で休めないのは問題ですから一度休息入院というカタチでゆっくりお休みするのはいかがでしょうか。」

という熱心な主治医からの提案だった。

入院・・・。嫌な響きだ。そこまで来たのか。でもそのフェーズに来ているのかもしれない。

ナイナイの岡村さんも半年入院したエピソードは有名である。病名ははっきりと公表されていないが恐らくメンタル的なものだろう。

入院。してみようかな。そんな風にも思っていた。それに入院形態にはいくつかあって私の場合は「任意入院」なので自らの意思で入院し自らの意思で退院することができる一番自由度の高い入院なのだ。

嫌になったら退院すればいいし少しでも心身が楽になれば儲けもんかもしれないと、入院についてポジティブに考えていた。

年明けに1ヶ月の休息入院が決まった。

2.入院のはじまり

入院の前に一通り検査がある。心電図、採血を取り、検温を済ませると病棟に案内される。私の病棟は2人部屋だった。山の上にある中規模の精神病院だったが病状が一番安定している患者さんばかりだと説明があった。

覚悟はしていたが閉鎖病棟というのはどこに行くにも看護師が携帯している鍵が必要となる。どこへ行くにも鍵。監視カメラが張り巡らされており、病棟内に持ち込める物も厳しく制限されている。

化粧ポーチの中のある眉毛剃り用の小さなハサミは当然没収。来ていたパーカーの紐も自殺に使うかもしれないということで紐だけ没収された。パジャマの紐も同じだ。

スマホは当然持ち込み禁止。ナースルームでの預かりとなり充電はできないため乾電池式の充電器を購入し、単三電池を都度買い増しした。スマホがない生活は私の愉しみを奪うも同然。いかにスマホに依存していたのかがよくわかった。

3.入院生活

病棟に入るとぞろぞろと知らない人が物珍しそうにやってきた。病棟の説明などひととおり終わると私の病室に案内され、早速お昼ご飯としてカレーを出してくれた。

朝から検査づくめでお腹が空きまくっていたので、やった!カレーだ!と思って一口食べると「不味すぎる!!」。

味が一切しないカレー、これはカレーに見えて全然違う食べ物なのだろうか?もう一口食べるが甘い出汁の味しかしない。紙パックの牛乳しか口にできず申し訳ない気持ちと絶望の末、これは早々に外出を企てまともなご飯にありつけないと餓死してしまう・・・と今後の入院生活を危惧していた。

また運が悪いことに2人部屋の隣のベッドの人はカーテンを閉め切っているのだが私が居ることがストレスになっているのか独り言をぶつぶつと言い、それは益々エスカレートし、ベッドの柵をカンカンカンカンとけたたましく打ち続け延々とお経を唱え続けるのである。これには参った。

「すみませんが少し静かにしてもらえますか?」とお願いしようと思ったが、いきなり同室の知らない人に静かにしろと言われても火に油だろう。やんわりと自己紹介がてら「お願いモード」で「少しだけ静かにしていただければありがたいんですけど」と物腰柔らかめに懇願してみたが、全くの馬耳東風っぷりだった。

これは先が思いやられる。看護師さんに伝えると「わかりました、後でちゃんと言っておきますね」というものの全然効果がない。

冬の寒い日にもかかわらず私の病室だけ暖房がかからず、寒がりの私はこれでは眠れないとのことでまたもや看護師さんに「寒いんですけど何とかなりませんか」とお願いしたところ、「ああ、あの人暑がりさんだから、自分の病室だけは暖房をつけないようお願いされているんです」と。

なんじゃそりゃ!病室って今日から私の病室でもあるのに我儘がすぎる。深夜に渡ってもお経とカンカンと音を鳴らす行為は止むことはなく、これでは眠れやしない!と病室を飛び出し、ロビーにお布団と枕を持参してそこで寝ることを試みた。寒かったけどうるさいよりはマシだった。

初日は散々な日だった。

病棟は男女混合だった。3分の1くらいは誰もが慄く「保護室」上がりだった。保護室とは小さな独房で場合によっては身体拘束をされ精神安定剤を静脈注射され1週間ほど監禁される部屋である。常時モニターで観察され、トイレも隠れてすることができない。トイレットペーパーは看護師さんに言わないともらうことができない。過去にトイレットペーパーを丸飲みして自殺を企てた人がいるからだそうだ。

そんな恐ろしい保護室上がりの人は入院期間も長く、もはや病棟の主となっていた。主の一人の女性は自分ルールを周りに押し付け、言うことを聞かなかったらテレフォンカードを提供しろと言う暴君だった。

なぜテレフォンカードなのかというと病院内から外の世界の人に電話したい時は、ロビーにポツンとあるテレフォンカード式の公衆電話しか使えないのだ。そして携帯電話にかけると鬼のような速さでテレフォンカードは減っていく。だからテレフォンカードは生活必需品となっていた。そしていつも売店では品薄だった。

またある大学生は駅構内で電車を止めたことで駅員や駆け付けた警察官と争いとなり、そのまま保護室行きとなった。話も面白いし理路整然としているのだが、カッとなるとすぐに看護師さんに突っかかる。身長が180㎝以上あるので屈強な男性3人がかりで制止しないとぶっ飛ばされてしまう。

その様を私は結構面白く見ていた。これぞ精神病院だ。いつか映画で観た「クワイエット・ルームへようこそ」までとはいかないが一波乱あるもんだなぁと眺めていた。

病棟で馴染むことなどはしなかったが、そのうち話ができる人が1人できた。同年代の女性で学校の先生だった。うつ病になり血の気が全くないその人と過去の話やこれからの不安について長椅子で一緒に話した。

「AKIKOさんってなんで入院しているんですか?」と聞かれるくらい私は元気そうに見えたみたいだ。実際に午前中と午後の外出が許される時間は散歩と称して近くの図書館に行ったり壮大な暇つぶしのための本を駅前で買いまくっていたからだ。

その人と一緒に病棟の周りを散歩したことがあるが、ため息ばかりつく彼女は体力低下のため少し歩くとすぐにへなへなとしゃがみ込む。疲れたから寝ますね、と結局空気を読まず相手を疲れさせてしまうという有り様で反省しきりだった。

同室のお経おばさんと一刻も早く離れたいと思っていた私は、早く退院したいと考えるようになった。すぐに退院できないのであれば、せめて部屋を変えてくれないかと看護師さんや主治医に懇願した。

病棟の人に聞いてみると「あぁ〇〇さんね、私もあの人と同じ部屋だったんだけどストレスが溜まるといっつもモノにあたってうるさいんだよね。だから部屋変えてもらったよ。あの人の隣はいっつも空いているからハズレくじ引いたよね。」との回答だった。なるほど・・・。

あいにく満床だったが退院する予定の人を聞き出して、何とか部屋の変更を申し出まくったおかげで2人部屋の実質個室に移動することが決まった。なんという奇跡。

本来は2人部屋を1人で使うと追加料金で1日あたり8100円も払わないといけない。ていうか8100円払うくらいならビジネスホテルに泊まったほうがよっぽどマシなんだけどな。

その部屋に移動してから暖房も自由に調節できるし、お経おばさんが勝手に独占していた冷蔵庫も一人占めできるし、音に悩まされることもなくなり束の間快適な入院ライフを満喫しようとした。

お風呂は2日か3日に1回、病院の地下にある大浴場に向かって看護師さんが先頭に立ってぞろぞろと向かう。着替え中、入浴中も看護師さんの監視が入る。入浴時間は1人15分くらいなので、おのずと身体を洗うのも髪を洗うのも超高速となる。意外と人気なのは全身洗えるボディソープ。リンスなど持っている人はあまり見なかった。

お風呂が終わったらドライヤー争奪戦が始まる。年功序列だったり主が最初に使う権利があるのか、私はいつも濡れた髪のまま順番待ちを余儀なくされた。安物の壊れかけのドライヤーは火が噴くんじゃないかというほどブォーッと大きな音を立てるので心配になった。ドライヤーくらい持参すればよかったと後悔した。

3食病院の食事というのは実につまらない。全員が食堂に集められ配食のち無言で食べる。味付けは総じて薄く、ご高齢の方はきざみ食やとろみ食なども用意してある。薄味すぎておいしくないのでフリカケを持参する人が多かった。

フリカケか!その手があったか、と15食用の小分けパックを購入して白飯を好みのフリカケでアレンジすることで食事の時間が断然楽しみになった。おかずはほんのちょっとなのに、白飯は1合近くある。バランスがおかしいと思いつつ、フリカケ作戦でみるみるうちに太っていった。

無理もない。普段運動といえば散歩くらいしかしておらず、病棟に居る時は本を読むかゴロゴロするか病棟の人と少し話すかということしかしていないのだから。

夜19時50分ごろ有志で体操があったので参加してみた。体操といっても足を挙げたり屈伸をしてみたり、というような「誰でも」できる10分体操である。「なんだよそのくらい楽勝じゃんか」と思っていたが、意外と疲れるのである。使っていない筋肉の多いことに気づき愕然とする。

病棟にいる患者さんはみんな生気のない青白い顔をしている。陽に当たらないというのはこんなに人から生気を奪い取るのだろうかと実感した。

4.退院決定

1ヶ月の入院予定だったが、2週間で退院することになった。理由は「入院している意味がなくなった」からだった。ようやく自由の身になれる。スマホ依存症としては2週間とはいえ待ちわびた自由だった。

たった2週間とはいえ寝食を共にした入院患者とさよならの挨拶をした。異口同音に言うのは「もう来るんじゃねーぞ」ということだった。なんだ?ここは刑務所か?(実際近いものがあると思う)

テレフォンカードおばさんも狂気の沙汰から電車を止めた大学生もお経おばさんも音楽の先生も今頃どう過ごしているだろうか。

退院してからというものの仕事を辞め相変わらず母との生活は続き自宅療養という名の無職生活を送った。いろいろと調べた結果、入院費用は保険で担保されるので実質タダで入院することができたのはラッキーだった。

おわりに

入院を躊躇っている人は多いと思うし実際閉鎖病棟に入院した人など稀な存在かもしれない。でも別に恥ずかしいとは思わない。それも貴重な体験だ。公には言いづらいことだが大切なプロセスだと思っている。

入院といっても変に怖がる必要もない。周囲から理解されないだとか偏見の目や好奇の目に晒されるのが嫌で何が何でも隠し通そうとする人も多い。それだけ精神の病というのはまだまだ理解には程遠い。

不治の病ではなくなっている。統合失調症も躁うつ病も薬の進化は目を見張るものがある。デポ剤といって2週間持続する薬も開発されているので飲み忘れで振り出しに戻るということも少なくなっている。ただし副作用の問題は尽きない。

だからこそ新薬を試したい人や家で安心して休めない人は入院という選択肢もありなんじゃないかと思う。別に監禁されるワケでもないし、任意入院ならいつでも退院することができる。看病している家族の休息にも繋がる。

=◇=◇=◇=◇=◇=◇=◇=◇=

少し面白おかしく書いた部分もありますが、自由きままに生きている身としては入院はもう二度としたくない経験でもあります。

もっと面白い体験というかあり得ない体験もありましたが、さすがに身バレが怖いのとプライバシーにかかわる可能性があるためこの辺でやめておきます。

また質問などありましたらコメントいただければ答えられる範囲で書かせていただきます。私の体験ですので他の方とは異なると思います。その点はご了承くださいませ。

ここまで長文を読んでいただきまして誠にありがとうございます。新型コロナの終息を祈念しつつ皆さんが健康に日常生活を送れるよう願っております。

共感した時だけでいいので「スキ」をいただければ嬉しいです。もちろん「フォロー」いただければもっと嬉しいです。

ありがとうございました。


ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。

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コメント

こなん@精神科に妻を強制入院させた話
AKIKOさま、はじめまして。
入院のお話、興味深く読ませていただきました。
僕の場合、妻が医療保護入院となったケースですが、僕も妻も入院は貴重な経験だったと捉えています。AKIKOさまのnoteで別の病院の様子も知れて非常に面白かったです!
AKIKO
こなん様、はじめまして。コメントいただきありがとうございます。
奥様が医療保護入院されたとのこと、旦那様の立場としてもご苦労なさったとお察しします。確かに精神科への入院はまだまだタブー視されている節もありますが回復へのステップと考えると悪いことばかりではありません。少なくとも私はたった2週間でしたがいい経験をさせていただきました。ほかにエピソードがあればまた書きたいと思いますのでその時はよろしくお願いします。
kohaku
はじめまして。閉鎖病棟体験記、興味深く読ませていただきました。任意とはいえ入院は厳しいものですね。私も2年前に自分の(躁うつ病)の体験記を書きました。残さねばという思いでした。強制入院、保護室、拘束。これを書かなければ誰が書くのだろう。タブーになるといつまでも患者の思いは伝わらない。AkIKOさんのノートは励みになりました。私は「鍵」という題名であげているので、興味あればちらりと覗いてみてください。面白いかわからないですが。日本の精神科はまだまだ、の時代ですね。ちなみに夜、カンカンのお経のかたは割りといるんです。当たりました。年代かしら?全く寝られないです❗
AKIKO
Kohaku様
初めまして。コメントありがとうございます。入院の記録は他の方にとっても残す必要性を感じます。日本の精神病院はまだまだですね。Kohakuさんのnoteも読ませていただきます。
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自分らしさを取り戻す。氷河期世代かつコロナで失職。病気、ひきこもりなど人生ハードモード。2021年7月までWebライターとして在宅ワーク。現在は編集やライターとして活動中。生きづらさを抱えている人に希望を届けたい。フォローお願いします!17万PV達成
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