少年漫画は少年のときにしか読めないのかもしれない
先日の11月の3連休の真ん中の夜、NHK総合でアニメ「進撃の巨人」の最終回が放送されました。アニメの放送開始が2013年4月なので、丸10年と少しかけて完結となりました。原作の漫画は2009年から2021年まで別冊少年マガジンで連載され、全34巻。人を食い殺す巨人と、巨人に襲われないように巨大なドーナツ状の壁の中で暮らす人類のバトルを描いた作品です。
漫画の連載が始まった頃、僕は大学生でした。研究室で助手をしていたメガネの優しい木村さん(仮名)が漫画好きだったので、おすすめを聞いたところ貸してくれたのがこの「進撃の巨人」でした。恐怖感を与える不気味な巨人、武器や装置で立ち向かう人類、圧倒的な力の差、悲哀と残酷・・。それまで自分の読んでいた漫画とは全く違う、暗い気持ちになりながらも頑張るエレン(主人公)たちを応援したくなる、熱い漫画でした。
すごく面白い漫画なんですけど、そんなこと言いながら実は僕は進撃の巨人を全部読んでいません。1~20巻くらいまでと、29巻,30巻あたりだけ読んで、全てを読破は出来ておりません。先日のアニメは最終版の内容だったので、途中のストーリーはよく分かっていないのです。(ごめんなさい) 先に結末を知ってしまって気になるので、是非原作も抜けているところを全部読んでみたいと思っています。
・・と、↑のように大人ぶって「読んでみたいと思っています」とか言ってますけど、この時点で僕はもう、のめり込んでいない。進撃の巨人はジャンルは少年漫画ですが、僕はもう、少年のようにはのめり込んでいない。僕は少年じゃなくなってしまいました。いや、実年齢は35歳なので、「そりゃそうだろう」とか「とっくにそうだろう」とか「まじめに働け」と言われたらそれまでなんですけど。ここで言いたいことはそういうことじゃないんです。
つまり、小学生の鎌田少年だったら、一度漫画を読むぞ!となったら、完結までめちゃくちゃ楽しみにしてどうにか読もうという情熱があったんですよね。同じコミックスを何回も何回も繰り返し読みながら新刊の発売日を心待ちにしたり、待ちきれず週刊の別冊マガジンを買ったり友達に借りたり、高校生の不良がいるコンビニにリスクを負いながら立ち読みしたりして、続きがとにかく気になっていました。ちなみに当時の鎌田少年は、ポケットモンスターSPECIAL(小学館のやつ)、ONE PIECE(アラバスタあたり)、BLEACH、ダンドー(ゴルフ漫画)、あたりに心を奪われて、毎週毎号、本当に楽しみに読んでいました。それが「少年」による「少年漫画」の楽しみだと思うのです。
なので、話は戻って鎌田(35)のように『せっかくなんで読んでみたいと思っています』とか言っているようでは、もう少年では無いんです。鎌田少年だったら、進撃の巨人を中途半端に読んで、そのまま放置することはしないはずなんです。つまり少年漫画は少年じゃないと、本当にのめり込んで読むことはできないと思うのです。
一応言っておきますけど、『大人は漫画なんて読むべきではない』という主張をしたいわけではありません。僕は今でも漫画はたくさん読んでいます。現在はスマホアプリや公式の漫画サイトもすごく発達してきて、気づけば課金をしてしまう恐ろしい時代です。無料おためしで読んだり、電子版で買ったり紙で買ったりレンタルしたりで、月間100冊くらいは普通に読んでいると思います。大人になっても漫画は最高です。そして、『大人は少年漫画を読んではいけない』と言うつもりも全くありません。ついでに男女も関係ありません。
更に鎌田(35)、現在でも少年漫画たくさん読みます。ドラゴンボール、ジョジョの奇妙な冒険、HUNTER×HUNTER、ONE PIECE・・・。当時夢中になった名作は、今読んでも限りなく面白い。
けど・・。この「面白い」は、鎌田少年の「面白い」を思い出しながら読んでいるんです。ある意味でなつかしさとか、ノスタルジーとか、そういうものがある上での「面白さ」であって、「少年の頃と全く同じ気持ちで大人になっても楽しめている」とはちょっと違う気がするんです。
何が違うのかというと、「信じているか?」ということです。その漫画の世界観、能力、バトル、キャラクターを信じているか?です。鎌田少年は、当時少年漫画を信じていました。いや、全てが現実に起きると信じる完全ハッピーボーイだったわけではないですが、それでも、ドラゴンボール的な要素が、広い世界のどこかにはあるんじゃないか?と信じることができたんです。かめはめ波くらいなら、出せるんじゃないか?あるいは、人は死んだら、死神になるんじゃないか?自分も水見式をやったら、水が甘くなるんじゃないだろうか?そういう気持ちで、少年漫画に向き合っていた。それは少年のときだけの特権だったんじゃないだろうか、ということです。
そう考えると、大学生になった鎌田(20)や、現在の鎌田(35)は、もう進撃の巨人を現実だと思うことはできないのです。「設定が今までにない感じで面白い」とか、「アニメの作画神」とか、すかしたつまらないことを言うただの大人になってしまいました。初めて進撃を読んだのが鎌田少年の時代なら、恐らく親指を噛んで血を出そうと試みたり、弟のうなじを定規かなんかでそぎ落とそうとしたと思いますが、今はもう出来ないのです。もう、少年漫画を自分の世界の出来事としては捉えられない。残念だけど。
ちなみに、このように考えるきっかけの内の一つが、この前9月に弘前市の弘前れんが倉庫美術館で開催された漫画に関するトークイベント「マンガを読んで人生を切り開く」に参加したことでした。
マンガ研究者のトミヤマユキコさんがおすすめの漫画を紹介しながら、人生やジェンダーについて考えるお話を聞いて、とっても面白かったんです。ハッピーマニア、セーラームーン、海が走るエンドロールなど、女性が主人公のマンガ、いわゆる「女子マンガ」は、人生の教科書になる。恋愛、結婚、子育て、転職、などなど、男性よりも複雑で直線的にはならない傾向にある女性の人生。その人生と同じ境遇の女子マンガが世の中にはきっとある!という感じのトークだったと記憶しています。(うろ覚えなので、違ったらごめんなさい。気になる方は是非トミヤマユキコさんの著作があるので読んでみてください。)
このイベントの話を聞いて、自分が印象的だったのは「女子マンガは人生の教科書になる」という部分。これは確かに、納得しました。それはつまり同時に、「少年漫画は、もう、人生の教科書にはならない」ということ。寂しさと共に、鎌田(35)は、理解したのです。鎌田(35)は、これからは青年マンガや女子マンガ、大人のマンガを教科書にして生きていくんだと。もう、少年漫画を自分事にすることはできない。鎌田(35)はかめはめ波を打てない。斬魄刀も持てないし、スタンドも出せない。
もちろんこれからも僕は、少年漫画も、女子マンガも、青年漫画もたくさん読むと思います。鎌田(45)になっても鎌田(55)になっても漫画を読むような人生でいいと思っています。でもその中で少年漫画だけは、鎌田少年の思い出に会いにいくために読むものです。少年漫画を通して、鎌田少年に会いに行ける。少年のときに漫画をたくさん読んでおいてよかった。人生に漫画があってよかった。これからも漫画を読もう!そんなことを考える、鎌田35の夜でした。ご清聴ありがとうございました。
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