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Conversation

【Q】 西野さんは「20代で生まれた差は基本的には一生かけても埋められない」と言いますが、救いがなさすぎてツラいです。どうにかなりませんか? 【A】 いろんな人が票集めで、「そんなことないよ」「何歳からでも挑戦はできるよ」と言ういますが、「何歳からでも挑戦はできる」というのと「差を埋められる」というのは、また違う話。   チャンスもお金も人脈も基本的には複利で増えていくので、「最初に勝ったヤツが、より勝ってしまう」というのは動かしようがない事実です。   「何歳からでも挑戦できるよ」という話をする時に、最も良くないのは「過度の期待を抱かせて、後々、その責任を取らないこと」だと思っています。 過度の期待を抱かせる人のやり口は、 「いやいや、かの有名な○○さんは50歳まで何もしてなかったけど、そこから起業して成功したよ」 という超特例を持ち出すか、あるいは 「20代走り切ったヤツでも、30歳からサボることもあって、私は20代はサボったけど、30歳から頑張る」 という、これまた「先頭集団が突然、サボり始める」という謎設定を持ち出すケースがほとんどです。 「天狗になって急にサボり始める人」や「セミリタイヤ」する人なんて本当に僅かで、基本的には、結果が出ていたら、その分、ドーパミンも分泌されるので、さらに中毒的に仕事をするのが人間です。 童話『ウサギとカメ』の話で言うと、「カメが『やってらんねえよ』と途中で匙を投げ出して、ウサギの方が後半伸びる」というのが現実の世界で起きていることです。 なので、「ウサギ(先に行った人)が後半、寝る」という期待ベースで人生設計をするのは辞めた方がいいと思います。 「後に大成功をした人」というのは、確かに一定数いらっしゃいます。   ただ、その人は20代でサボっていたわけじゃなくて、20代で死ぬほど努力をして、確かな筋力、基盤を築いて、ただ見つかっていなかっただけの話。 20代サボってしまった人間が、その人と自分を重ねるのはお門違いです。   さて。 僕らはただ生きているだけで、全員何かしらの罪をおかしているわけじゃないですか? たとえば、僕は、いろんなことに挑戦して、いろんな業界に顔を出して、時に(ごk稀に)一発目で成功してしまうことがあります。 それって、その業界で、何年も何十年も頑張っている人の努力を否定するような結果で、僕にその意図はなかったとしてもこれは極めて暴力的な行為だと思います。 当然、僕はその罰を受けることになります。   20代サボってしまった人は、その隣でガムシャラに走っていた人を「意識高いですねー」と鼻で笑ったり、その人がいない時に、その人を悪く言ったり、SNSで呟いたりしたこともあるかもしれません。 あるいは、その人が攻撃されている時に、「自分に飛び火しちゃ、敵わん」と見て見ぬフリをしたこともあるかもしれません。 それは、自分を守るための行為だったかもしれませんが、ガムシャラになって走っている人にとっては、それは暴力以外の何物でもない。 僕らはただ生きているだけで、無意識のうちにいくつか罪をおかしていて、その罰を背負わないというのは、「人は殺したけど、前課はつけないでね」と言ってるようなもので、神様はそれを許さない。 生きることは罪と罰の連続で、罰だけを避けることはできません。   僕が言っているのは「罪を犯したことと、その罰を受け入れろ」の一点です。 それら全てを無かったことにして、「50歳からでもメジャーリーガーになれるよ!やってみなくちゃ分からない!」とは、とても言えません。 残念ながら、20代でサボってしまった「罰」は確実に受けます。 大切なのは、そのことを受け止めた上で、「では、これから何ができるか?」「どう生きるか?」「どういう風に立ち振る舞えば、自分の幸福度が上がるか?」と真剣に考え抜くことで、挑戦のベクトルを変えることだと思います。 スポーツで例えるとイメージしやすいかもしれません。 50歳まで何の運動もしてこなかった人が、50歳で野球にハマってしまい、50歳からメジャーリーガーを目指すのは物理的に不可能じゃないですか?   その時に「メジャーリーガーになる!」という目標を立てるのではなくて、「余生は、野球に携わっておきたいから、草野球チームの運営をする(為のお手伝いから始める)」という目標を立てた方が良くて、それは「夢の下方修正」などではなくて、人生を楽しく生きる為の正しい戦略だと思います。 応援しています。今からやれることを頑張って! (Voicy「日曜日の生配信」より)