『情況』に関する声明
1968年の創刊以来、『情況』は「変革」を志向する多くの読者・寄稿者の集う雑誌として刊行されてきた。「変革のための総合誌」たることは表紙にも掲げられてきた同誌の理念である。ところが、2024年夏号「トランスジェンダー特集」はその理念を裏切る差別の容認と保守的党派性に陥っていると私たちは考える。この特集を受け、『情況』の読者・寄稿者として知り合った私たちは、同特集に対する抗議の意思を公表することにした。編集部に対し、本声明への真摯な応答と今後の方針をめぐる見解を表明するよう強く求めるものである。
1. 差別を論じる前提
「トランスジェンダー特集」は、「言論の自由」の名の下に「トランスヘイトの自由」を掲げる論考を掲載した。私たちはヘイトに反対する。差別をめぐって考慮すべき異なる立場や論点があることは、ヘイト言説を掲載する理由にならない。今回の誌面においては、「言論の自由」が差別や抑圧の是認と混同されていると言わざるをえないだろう。「ヘイトする自由」を宣言する言説すら差別と判断しないのであれば、議論すること自体が差別への加担であるという見解が正しいことになるであろう。
2. この議論は「開かれて」いない
『情況』が「言論の自由」を巡ってこの傾向に陥ったのは、差別に関する論争を忌避する「ノーディベート」や、「ポリティカル・コレクトネス(PC)」を批判したいためだろう。だが、「キャンセル・カルチャー特集」で打ち出された姿勢の脆弱性は、「トランスジェンダー特集」の「開かれた議論」に至って明白になった。
特集に寄稿したLGBTQ当事者のひとりは、事前に特集テーマを正確に伝えられず、ヘイトの権利の主張と並べられるとは思わなかったと告発している。自分の文章をヘイト記事と同じ誌面に出し、ヘイトも意見の一つとして検討すべしというメッセージに加担することを避けたいと望むのは、当事者かつ言論発信者として当然の判断であるだろう。異なる判断をする当事者がいたとしても、編集部は原稿依頼にあたってテーマや構成の概要を正確に伝え、執筆者が自ら判断する機会を保証すべきであった。それをしなかったことは、編集部に「開かれた議論」を誌面において実現する気がそもそもなかったのだと判断せざるをえない。
3. これは「変革」の追求ではない
今回の誌面は「変革」が求められる情況を取り違えている。主たる寄稿者のイデオロギー的傾向が保守的リベラリズム(「言論の自由」の墨守)やいわゆる本質主義(男は男、女は女)と親和的な方向に偏っていることは明らかである。編集部は、トランスジェンダーについて反差別思想が暴走していると考え、異議申し立てをしたかったのかもしれない。だが、反差別的な言説が行政や教育の一部に浸透するだけでは反差別運動の勝利とはならないことは、フェミニズムや障害者の運動、あるいは他のマイノリティ差別に反対する運動が直面してきた反動を見ても明らかであるだろう。現状、トランスジェンダーの権利獲得を目指す運動が体制化しているとは言えない。今回の特集は、「変革」を掲げる雑誌が保守系総合雑誌と並んでバックラッシュに加担したものにほかならない。
昨今、多くのグローバル企業がLGBTQの権利擁護を掲げている。しかしそのことをもって左翼的な観点からトランスジェンダー警戒論を語るのも間違いであろう。そうした論理では、かつて差別のために労働市場から排除された他のさまざまなマイノリティの権利獲得も警戒しなければならなくなる。左翼的たることを旨とするならば、マイノリティによる権利要求が資本へと取り込まれてしまうことに反対するだけで満足するのではなく、その権利が労働者の自治による解放へと転じる道を同時かつ同程度に考えるべきである。
4. “正しさの体裁”をやめよ
『情況』は、傷つけないことを至上価値とする「ポリティカル・コレクトネス(PC)」を批判しながら、”みな対等に争える”という別のコレクトネス(”正しさの体裁”)に陥っているように見える。
PC批判が妥当性をもつのは、PCが現実の力関係を否認し、反差別思想として正鵠を射ることがない場合だろう。PCが各人のアイデンティティを傷つけないことを至上価値として言葉を規制しようとするとき、保守派、権力者、マジョリティ、加害者も傷つけてはならないという含意をもちかねない。ひとを傷つけないことを至上価値とする反差別思想は、非対称な関係を隠蔽してしまうのである。さらにPCは、属性集団全体を傷つけないことに拘泥するあまり、マイノリティ集団内部の階級関係や権力関係を隠蔽することさえある。「トランスジェンダー特集」は総体として、”傷つけない”ことを至上価値とする”正しさの体裁”を批判しようとしているのかもしれない。しかし結果的には、”みな対等に争える”という別の”正しい体裁”に陥り、やはり現実的力関係を隠蔽・否認しているのではないか。そんな”対等”がトランスジェンダーをめぐり今日どこにあるだろうか。
反差別の思想と運動は批判的に吟味・改善され続ける必要がある。だが、それを明白なヘイト言説についてすら判断を保留するための隠れ蓑にすべきではない。私たちは、情況認識と議論のあり方をめぐる『情況』今号の迷走が、創刊以来の「変革」の理念と相容れないものと判断し、方向転換を強く望む。
読者・寄稿者有志
阿部晴政、安藤歴、市田良彦、伊吹浩一、
上原要、江永泉、N.S(元情況編集部)、
王寺賢太、大村智、小美濃彰、笠井潔、
菅孝行、小泉義之、近藤銀河、嶋田美子、
絓秀実、杉田俊介、高島鈴、高橋若木、
田崎英明、田中かず子、中村勝己、
中村大介、中山永基、仲山ひふみ、
BARBARA DARLINg、廣瀬純、藤田直哉、
堀内崇志、堀真悟、宮越里子、
幸村燕、横田祐美子、吉田文人
(以上34名五十音順、2024年9月20日現在)