昨日、自民党は具体的な改憲原案の作成入っていると報道していたが、
半世紀前に三島由紀夫は憲法改正を提起していた事は遍く知られるところだ。
【三島由紀夫の改憲論を石原慎太郎も支持した】 1970年2月当時のTVニュース
昭和45年11月25日の自決前年の12月に、三島は憲法改正案作りの為に
”楯の会” 内に憲法研究会を新たに組織した。
三島は三項目の問題提起をした
① 新憲法に於ける「日本」の欠落
② 戦争の放棄
③ 非常事態法
其の①に関連して憲法第一条「天皇の地位・国民主権」と第二条「皇位の継承」
の相互間の矛盾を突いている 曰く、天皇の地位は日本国民の総意に基づくと
あり乍、第二条では、皇位は世襲される、とあるのが論理的矛盾だと、三島は主張
しているのだ。「皇位は世襲」なのだから新天皇が即位する場合には、都度主権者
である「日本国民の総意」を問わなければならない訳だ。
三島由紀夫は”中央公論”(昭和43年7月号)に寄稿した『文化防衛論』で文化概念
としての天皇観を述べている、即ち
”天皇は、我々の歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえの
無い唯一の象徴” と論じている。 つまり天皇は日本文化の中核に置くのだ。
此れに異論を挿む日本人は99%居ないだろう。
現在の日本国憲法は戦後、米国が中心となりGHQ(連合国軍総司令部)の民生局が
憲法草案を作成したもの。 しかも「天皇」の章を担当したのはプールと云う海軍
少尉だった、担当した理由が正に冗談みたいなのだが、ナント同少尉の誕生日が偶々
昭和天皇と同じ4月29日だったからなのだ。
事程左様に現憲法は、GHQは飽く迄「暫定憲法」との認識で草案したので早晩日本
政府が「恒久憲法」を作成すると了解していた。今更言う迄も無く憲法改正不可避だ。