北一輝論 ⑭ ~三島由紀夫と北一輝 其の二~ | 真正保守のための学術的考察

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今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

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三島由紀夫が、小泉信三らの西洋主義者たちによって人口に膾炙してしまった「親しみやすい皇室」とか「国民の天皇」といった、いかにも週刊誌的な天皇観に否定的であったことは広く知られている。

 

明治国体論が「天皇ノ国民」と要約されるものに対し、北一輝は、「天皇ハ国民ノ総代表タリ」と規定し、「国民ノ天皇」という概念を打ち立て、それを明治国体論と対峙させる。

 

松本健一は、北一輝の規定したこの天皇観に対し、これは戦後の日本国憲法第1条にある、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」にきわめて近似的であると言う(松本健一「三島由紀夫の二・二六事件」)が、果たしてそうだろうか。

 

お話が少々脱線するが、日本国憲法第1条の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という文言と、続く第2条の「皇位は、世襲のものであって・・・」という文言との矛盾を鋭く指摘したのは三島由紀夫である。

 

ここでは縷々述べないが、要するに、皇位というものが、世襲という生物学的要件の他は一切必要とせずに継承されるなら、天皇の地位が、日本国民の総意に基づくも基づかないもないじゃないか、というのが三島の言い分である。

 

この三島の指摘は「悪魔的に鋭い」としか言いようがない。

 

お話を戻しましょう。

 

北一輝の「日本改造法案大綱」の緒言には、「全日本国民ノ大同団結ヲ以テ終ニ天皇大権ノ発動ヲ奏請シ、天皇ヲ奉ジテ速カニ国家改造ノ根基ヲ完(まっと)ウセザルヘカラズ」とあり、

 

更に、「巻一 国民ノ天皇」には、

 

「憲法停止・・・・・天皇ハ、全日本国民ト共ニ国家改造ノ根基ヲ定メンガ為メニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ、両院ヲ解散シ全国ニ戒厳令ヲ布ク」とある。(※句読点は引用者)

 

この北一輝の政治論は正に「天皇親政」を言ったものではないのか。

 

従って、松本が言うように、北の言う「天皇ハ国民ノ総代表タリ」が、日本国憲法第1条と近似するとは私には思われない。

 

この論考続きます。

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