まあ色々あって、確実に昭和的な家父長制のようなものが忌避されるようになった
そうした温かな家庭で生まれ育ったとき、きっと子どもは愛されたと感じるだろうし
自分のことを大切に思うことだろう。
けれども。社会はそうじゃない。いや、地球と言ったほうがいいか。
この広い地球、いや宇宙においてたった一人の人間には、微塵の価値も無い。
だのに彼ら彼女らにとって大切にされるのは当たり前のことで、そういう扱いをされないということへの耐性がない。
無いのにある、と。君には価値がある。大事だ。大切だ。愛されなければならない。
そういうふうに18年か、20年か言われ続けた、扱われ続けたとして。
上げて落とす。究極の上げて落とすだ。
今や、家庭でスポイルされ、学校では放置され、ネットでは多様性だから好きに生きていいよと言われ。
インターネットで夢見た職業は、彼ら彼女らには荷が重い。あるのは辛い仕事だけ。
理解ができない。いままでそこにあったもの、当たり前だったことがそうではない。
となれば、自分がおかしいのではない、社会がおかしい、会社がおかしい、大人がおかしい、となる。
それが出来るのは一部のエリートだけってことにいつ気づく。
勝手に期待して、夢想して、落ちぶれて、最後には社会のせいだと。
先が思いやられるね。