2024-09-20

大事に育てられることの弊害

自己肯定感を伸ばすだとか、子ども意見尊重するとか

まあ色々あって、確実に昭和的な家父長制のようなもの忌避されるようになった

そうした温かな家庭で生まれ育ったとき、きっと子どもは愛されたと感じるだろうし

自分のことを大切に思うことだろう。

けれども。社会はそうじゃない。いや、地球と言ったほうがいいか

この広い地球、いや宇宙においてたった一人の人間には、微塵の価値も無い。

だのに彼ら彼女らにとって大切にされるのは当たり前のことで、そういう扱いをされないということへの耐性がない。

無いのにある、と。君には価値がある。大事だ。大切だ。愛されなければならない。

そういうふうに18年か、20年か言われ続けた、扱われ続けたとして。

社会というのはどれだけ残酷なのだろう。

いや、そういう育て方そのもの残酷じゃなかろうか。

対応できない社会が悪い?会社が悪い?教育が悪い?

上げて落とす。究極の上げて落とすだ。

今や、家庭でスポイルされ、学校では放置され、ネットでは多様性から好きに生きていいよと言われ。

いざ社会に出ようとすれば、会社からはお祈りされるだけ。

インターネットで夢見た職業は、彼ら彼女らには荷が重い。あるのは辛い仕事だけ。

理解ができない。いままでそこにあったもの、当たり前だったことがそうではない。

となれば、自分おかしいのではない、社会おかしい、会社おかしい、大人おかしい、となる。

今朝も退職代行から電話が掛かってきた。

どこでも働けるようスキルアップするために転職だ?

それが出来るのは一部のエリートだけってことにいつ気づく。

たかだかマーチ卒くらいでどうして夢見てしまうのか。

勝手に期待して、夢想して、落ちぶれて、最後には社会のせいだと。

先が思いやられるね。

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