これとその次の話で、カルカの物語前半が終わります。
カルカの物語後半から敵対ルートが始まります。
エ・ランテルにて。
ヤルダバオト戦の高揚感から一気に突き落とされて感情のジェットコースターを経験したアインズは、鎮静化とこの世界の人間への共感力が薄れていることから取り乱しこそしなかったものの、聖王国両足羊が人間だったことにかなりのショックを受けていた。
幸いというか不幸にもというか、捜索隊は現場を押さえたわけではなく、あくまで人間牧場の痕跡を発見したに過ぎないから、アインズはそこで行われていた所業の全てを何の心の準備もなく直視させられるようなことにはならなかった。
しかし、とんでもない爆弾を見落としていたことの重大さを、考えずにはいられない。
NPCたちにはなるべく自由にやらせてやりたかったが、もうそんなことを言える段階ではなくなった。
間違いなく今後の展開に、この出来事は悪影響を与えると悟った。
「どういうことだ、デミウルゴス!」
帰ってくるなりアインズに執務室に呼び出され、詰問されたデミウルゴスはもうそれは戸惑って、人間牧場のことを一から全部説明した。
デミウルゴスにしてみれば訳の分からない出来事だった。
確かに言葉遊びはしたがアインズなら当然それを見抜いているはずだった。
何も言われないということは少なくとも黙認はされていると考えていて、アインズがまさか本当に気付いていないなどとは、予想だにしていなかったのだ。
事情を知ったアインズは、鎮静化で激情を掻き消されてひとまず冷静になると、自らの醜態をこれ以上見せないようにするため、そしてようやく自分がアインズの意に沿わないことをしていた事実に気付いて顔面蒼白になったデミウルゴスにこれ以上当たらないようにするために、ナザリックの自室に戻った。
執務室でアインズの帰りを待っていたアインズ当番のメイドには、とんでもないショックを与えるかもしれなくて申し訳ないが、自分の頭を冷やす意味でも独りになる必要があった。
(何なんだよ……。羊か何かのキメラだと思っていたのに、人間だったなんて聞いてないぞ……)
戸惑うアインズだったが、よくよく記憶を探ってみると、人間牧場の話をする際に、いつもデミウルゴスとの話で、コントのような勘違いとすれ違いが起きていたことに気付いた。
アインズはそれが人間ではない前提で話していて、デミウルゴスはそれが人間だという前提で話しており、普通ならどこかで齟齬が出て気付くものだが、奇跡的に延々と話が噛み合ってしまい気付けなくなってしまっていた。
(そんなの有りかよ! デミウルゴスも聖王国両脚羊とか紛らわしいこと言わないで、人間ってはっきり最初から言ってくれよ! そうしたら絶対止めたのに! ……いや、責任転嫁したら駄目だ。気付かなかった俺が悪い)
理不尽さすら感じるアインズだったが、鎮静化が出てスンと落ち着く。
組織のトップに立つ者として、牧場のことを許容してしまっていたことは確かなので、その責任が自分にあることは分かっていた。
それに、元々人間牧場はスクロールの材料を得るためのもの。
なければないで在庫の補充に支障が出かねないために、代替品の確保は急務だった。
小城と敵対するつもりはないが、アインズにその気がなくともエローナがそうとは限らない。
その時のための備えは、少しでも役に立つ可能性があるのなら、絶対にしなければならなかった。
どんなにそれが勝算の薄い戦いであっても、最終的に勝利を掴むために。
最低でも、敗北の後で再起できるようにしなければならない。
当初の想定どおり、NPCたちと必要なアイテムを持ち出し、ナザリックを一時的に捨てることになるかもしれないが、やらなければならないのだ。
それらの困難さと痛みを考えると、たちまち後悔と焦りの感情が嵐のように湧いてくる。
鎮静化されて、またアインズは強制的に落ち着かされた。
少し、苛立つ。
(……後は、デミウルゴスのメンタルケアか)
己の行動がアインズの意に沿うものではないと知った時の、デミウルゴスの狼狽振りを思い出す。
悲壮な表情になって、今にも自殺しそうなほどにショックを受けていた。
可哀想だし許したく思うが、別にアインズの意に背いた行動を取ってしまっていたことが理由なだけで、人間の扱いについてはどうとも思っていないであろうことが何となく分かるアインズは、どうやって命の大切さを説こうか必死になって考える。
頭を抱えるしかなかった。
(俺が言ったところで、どう考えても説得力がないだろ……。全部お前が言うなで終わるんだよ!)
たとえセバスや謹慎を解いてペストーニャに命の大切さを代弁してもらうにしても、ナザリックに所属しているNPCである以上は、やはりダブスタの矢印が跳ね返ってくるだろう。
アインズ自身にも、ゲヘナを止めなかったこととか、魔導国建国の際の大虐殺とか、やらかしが相当溜まってきている。
特に今考えると、大虐殺が相当やばい。
あれのせいで、アインズがNPCたちにかけてやりたい本心からの言葉が、全て封じられてしまう。
戦争という理由があるから、感情よりも理性を優先して利や得を引き出そうとする人間なら何とか取引などで解決できるだろうが、感情的になる人間が相手だと、建設的な議論にすらならない気がした。
種族的な共感能力が極めて薄くなっていることもあり、アインズは自分が一番悪いということは分かっているものの、元々望んでこの世界に来たわけでもなかったので、一方的に責められると納得ができなくなる。
せめて言い分くらいは聞いて欲しいし、情状酌量があってもいいと思う。
(クソっ! 馬鹿か俺は!)
今度は甘えから虫の良いことを考えた自分への怒りで鎮静化が起きた。
落ち着いたのはいいが、先ほどから感情を削ぎ落されることに、少なくない不愉快さをアインズは感じていた。
人間としての情を交えて考えたいのに、さっきから鎮静化のせいでその情が逃げていく。
共感性が薄くなっているため、意識して客観的に相手の立場になって考えなければならないが、そのために必要な、人間的な罪悪感が鎮静化で奪われ、薄くなる。
その結果間違えて自分本位になったり、理性で損得を計算してしまいそうになる。
今度は鎮静化が起きることへの怒りが鎮静化した。
ここまでくるともう笑うしかない。
(……デミウルゴスに、怒りを見せないようにしなければ。今の状況だと絶対に自分への怒りだと勘違いする)
エ・ランテルの執務室に再び戻る。
案の定世界の終わりを迎えたような表情で泣きそうになりながらアインズのことを探し回っていたメイドを見つけ、別にメイドが粗相をして怒っているわけではないことを優しく教えてから、支配者の演技をしつつお願いする。
「デミウルゴスを呼べ。話があると伝えよ」
しばらくしてアインズの執務室にやってきたデミウルゴスの様子は酷いものだった。
ぴしっと着こなしていたスーツはヨレヨレで、つけている眼鏡もレンズが磨かれておらず曇り切っており、表情すらしょげ返って元気がない。
まさに魂の抜けた抜け殻みたいになっている。
辛うじて、跪き臣下の礼を取って礼儀を維持しているものの、明らかにいつもの状態ではなかった。
(うわ、駄目だ。こうして落ち込んでいるのを見ると責められない。……な、何とかいつものデミウルゴスに戻ってもらわないと。お前の頭脳が頼りなんだ)
支配者の演技をするアインズに見つめられたデミウルゴスは、今にも死にそうな顔になっている。
しかしそんな顔をしていても、既に大勢の人間を殺害、あるいは筆舌に尽くし難い状態に追い込んでいる前科がある。
アインズ自身がそれを悪いことだと知っていて、罪は償わなければならないことも分かっていて、それでいてその正しさに共感できなくなってしまっていることが性質が悪い。
どうしても理不尽感が拭えない。
「これで分かっただろう。私とお前の間ですら、このような認識の食い違いが起きるのだ。今後世界征服を進める過程で、同じことが起きないと言えるか? この状況から鑑みるに、私は到底断言などできない」
「そ……そのとおりです」
頷くデミウルゴスは全身が震えている。
見捨てられる恐怖からだろうか。
問題の修正と励ましを、アインズは頑張って同時に行おうとした。
「お前は、自分がまずいことをしたと思っているだろう。しかし、私はそうは思わない。逆に今こそ好機だと捉えている。お前のお陰だ」
「わ、私の? 一体何が……」
とりあえず支配者らしい威厳が出るように、椅子から立ち上がってゆっくりとデミウルゴスの周囲をぐるぐる回ってみたりしつつ、アインズは厳かの口調で続けた。
「成長だ。成長するのだ、デミウルゴスよ。失敗はいつか成功するためにある。これを糧とし、人間を本当の意味で理解せよ。今の価値観をずっと大事に抱き続けるのではなく、時代に合わせてアップデートさせるのだ」
何とか自分の思っていることを伝えようとしているアインズだったが、アインズ自身あくまで凡人で、ちょっとゲームが上手いだけの人間でしかなかったため、営業トーク以外はそれほど話術が得意というわけではない。
今も、何を言っているのか自分で分からなくなってきた。
日々勉強は怠っていないのに、どうしてこうなるのか。
「……食い違い……人間と……本当の意味で理解……アップデート……」
幸い、デミウルゴスはぶつぶつと呟いてアインズの言葉の意味を一生懸命考えてくれている。
これを口にするとどうなるか分からなくて怖くて言えなかったのだが、今なら言えると思ってアインズは宣言した。
「これからは、小城への対応に集中する。それが解決するまで世界征服は一時凍結だ。小城のエローナが救った人間たちが、憤怒の魔将を倒した。その意味が分かるな? 力を見せつけるだけが全てではない。今後は協調路線でいくぞ」
ちらりと、おそるおそるアインズはデミウルゴスの様子を窺う。
デミウルゴスは、アインズの言葉を噛み締めているようだった。
いつもの勘違いが起きるなら、ここでデミウルゴスが深読みを始めるはずだ。
しかしその様子が見られなかったので、アインズは胸を撫で下ろした。
アインズは今回アルシェとカルカが、多くの協力を得ながらでもヤルダバオトを倒したという結果から、これ以上悪名を広げて敵を作るのはまずいという結論を出した。
せっかくどういうわけか今は動かないでいてくれているのに、無駄に小城とエローナが動き出すリスクを高めてしまうだけだ。
ふたりよりも強いと思われるであろうエローナが、アインズよりも弱いと考えるのは希望的観測が過ぎる。
小城の勢力予想も修正して、ナザリックと同等かそれ以上のレベルにまで、想定を大きく引き上げざるを得なかった。
まだ同等である可能性に拘っているのはアインズのナザリックに対する思いからで、もうその可能性が低いのは、残っている不確定要素を鑑みればさすがに現実的なラインに見えてきた。
おそらく小城とエローナは、組織としても個人としても、アインズとナザリックを上回っている。
どこまで差が開いているかまではまだ断言できないが、少なくとも、まともに戦ってもアインズの勝ち目は薄い程度にまで見積もっておいた方がいい。
ナザリック内に誘いこんで、まだ知られていないであろう初見殺し系のギミックや戦法、戦力などをぶつけていってようやく勝機が見えてくる程度の差は開いているはずだ。
甘めに見積もってこれなので、予想をさらに上回るほどに小城とエローナが強かった時のことも考えて、今後の動きを決めなければならない。
真正面から敵対することはどう考えても自殺行為。
きちんと伝わっているのなら、知恵者であるデミウルゴスならば、自分でその結論に至るはず。
「下がっていい。今回の件は私にも責がある。よって不問としよう。これからの働きを期待している」
「はっ……ははっ!」
後ろを向いたアインズの背後で、扉が開く音がして、デミウルゴスが出ていく気配がした。
残念ながら、時間差で勘違いを起こす可能性を、アインズは思いつけていなかった。
そして自身でも何か忘れているような気がしてパンドラズ・アクターに相談しにいく。
「あのー、とても申し上げにくいのですが、アインズ様が関知しておられない場で同じことが起きるだけなのでは?」
「……あっ。しまったああああああああああ!」
指摘されてやっと気が付き、物凄く慌てて、思わずパンドラズ・アクターの手を引いたまま走り出し、デミウルゴスの様子を見にいった。
途中で鎮静化が起きたが、アインズは自分でも理由を自覚しないままパンドラズ・アクターの手を引き続けた。
デミウルゴスは何故か表情を喜色に一変させてアルベドと何かを話していた。
付き合うアルベドもとても嬉しそうだった。
アインズはとても嫌な予感がした。
「なるほど! 和解したと見せかけて小城の内部に潜り込み、内側からばれないように不和の種を撒けばいい。証拠を捏造して小城に隠しておいて、ヤルダバオトの主や人間牧場の容疑者にエローナを仕立て上げ、他の国が調査するよう仕向けて犯人ということにし、国際社会から孤立させて小城に封じ込め、世界の敵にしてしまえばいい。それがアインズ様のお考えなのね!?」
「そうです! 既にアインズ様は次の策を考えておられました! しかも、私の失敗を許すどころか、励まし奮い立たたせてくださった! このデミウルゴス、命を賭けてアインズ様にもう一度お仕えいたします!」
「待てえええええええええ!」
案の定悪魔的勘違いがアルベドを巻き込んで起きていたので、慌てて修正しにいった。
パンドラズ・アクターの手を握ったまま、鎮静化を連発させながら。
どういう思考を辿ってふたりがその結論に至ったのか、まるで分からない。
本当に意味不明過ぎた。
カルマ極悪な天才故の発想だろうか。
凡人であるアインズには到底理解できない。
「あっ!? アインズ様!?」
「ど、どうなされたのですか!?」
ふたりはアインズの支配者の演技が崩れかけていたことは、親が子の手を引くように、アインズがパンドラズ・アクターの手を引いていた視覚的インパクトが強過ぎて印象に残らなかったようだった。
「あ、あのッ!? あののあのあののッ!? アインズ様ッ!?」
動揺と喜びでパンドラズ・アクターが混乱している。
「それは違うぞ、デミウルゴス! アルベドも、もう一度考え直せ!」
最初、ふたりはアインズに言われたことを理解できない様子だった。
しばらくきょとんとした後で、悲壮な表情を浮かべたアルベドが取り乱し、デミウルゴスに掴みかかった。
アインズが目の前にいることも忘れるくらい、慌てている。
「そんな! どういうことよ、デミウルゴス! は、話が違うじゃない!」
「ま、またしても私は読み間違いを……!? アインズ様は、この役立たずに直々にナザリックからの放逐を伝えに来られたのでしょうか……?」
「だからそれも違うぞ!」
アインズにばっさり勘違いを指摘されたデミウルゴスが、また捨てられると早合点しそうになったがなんとか誤解を解く。
それからしばらく、アインズはふたりの誤解を解こうと努力した。
特にデミウルゴスは緊急性が高そうに思えたので最優先に対処した。
一緒に風呂に入ったり、添い寝してやったり、アインズは甲斐甲斐しく世話をした。
その甲斐あって、ひとまずデミウルゴスの精神状態はある程度回復する。
改めて、アインズは執務室にふたりを呼び出した。
「御前でありながらとてつもない失態……。真に申し訳ございません」
「どんな罰も謹んでお受けいたします。どうかお命じになられてください」
デミウルゴスは大丈夫そうだったが、今度はアルベドが今にも死にそうな顔をしていた。
精神的負傷者としてアルベドまで被弾した状況に、アインズは倒れそうだった。
鎮静化する。
さっきから鎮静化が止まらない。
「あー、だから、違うからな? 今後気をつけてくれればそれでいい。これからの働きを期待している」
「なんというお言葉……!」
「寛大な御方……! 今後も尽くしてまいります!」
デミウルゴスとアルベドが感動で目を潤ませた。
様子を見て、デミウルゴスについてはこれでなんとかなりそうだと判断したアインズは、剥がれかけていた支配者の演技を取り繕いながら今度はアルベドのメンタルケアを試みた。
絶対にアルベドは痩せ我慢をしていると思った。
「アルベドよ。私の頼みを聞いてくれるか?」
「御身のご命令とあらば、どんな内容であろうと遂行いたします」
見た目上は、アルベドは冷静な様子だった。
跪いている姿は、普段と違う様子はない。
しかし内心は先ほどの勘違いの件もあって、アインズの予想どおり全然大丈夫ではなかった。
あとアインズの隣にいる人物を見て驚き、今度は自分が捨てられるのではないかと不安と恐怖に襲われていた。
アルベドの精神状態が悪い理由が、パンドラズ・アクターと手を繋いだままの姿を見せつけられていることにあるのをアインズは察しておらず、パンドラズ・アクターのみが読めている。
あとそろそろさすがに今まで頑張って保ってきたアインズのイメージが壊れそうだ。
(いや~、私はすごぉ~く嬉しいので構わないのですけれどね? アインズ様的にはいいんですかコレ? ずっと手を繋ぎっ放しなんですけど。……まあ支配者の威厳なんて、もうさっさと破壊してしまった方がいいですね!)
敢えてパンドラズ・アクターは今の状態のアインズへ、問題を指摘しないことに決める。
その方が良い結果に繋がると思ったから。
アインズは未だにパンドラズ・アクターの手を握っていることに気付いていなかった。
(や、やはり、失敗続きの私やデミウルゴスよりも、アインズ様はパンドラズ・アクターを重用するつもりなのでは……!?)
いくらアインズに創造されたという地位があるとはいえ、アルベドはもしそうなら嫉妬せずにはいられない。
「今後は各国との外交が多くなるだろう。私から全権を委任され、責任を負う外交官に、アルベドよ。お前を任命する。これからは今以上に忙しくなるだろう。今抱えている仕事に関しては、必要に応じて他に振り分けるように」
「わ、私をそんな大役に……!」
頭を下げているアルベドは、感激のあまり身体に電流が走ったかのような衝撃に襲われ、勘違いしかけたことを反省する。
あんなことがあった後でも、アインズは引き続きアルベドを頼ってくれるのだ。
おそらくはきっと、デミウルゴスのことも。
感動でアルベドの表情が綻び、瞳も喜びで潤んでいた。
(……やはり、愛。私はアインズ様に愛されているんだわ!)
精神的に崩壊しかけていた反動も相まって、嬉しさのあまりアルベドは有頂天になった。
襲いたくなったが、理性を総動員して自制する。
もう失望されたくはない。
思わず顔を上げそうになったアルベドは、己の不敬に気付いてすぐ俯く。
だが一瞬だけアインズの顔が見えた。
(あら? 気のせいかしら……)
……いつもと、何かが違った気がする。
疑問は形になる前に、意識の外へ流れて消えていった。
「活躍を楽しみにさせてもらおう」
「なんという幸せ。必ずや、必ずやアインズ様がご満足のいく働きをしてみせます」
それからアインズは勘違いが起きていないか、アルベドと入念に認識の確認を行った。
アインズの共同作業に、アルベドはやる気を漲らせている。
今度こそ役に立ってみせると、凄まじい気の入れようだ。
「方針は分かっているな?」
「ええ、もちろんです。小城とははもう、敵対するべきではありません」
「ならばするべきことも分かるな?」
「これからは友好関係を築いて参ります。既に聖王国に援助を出しておりますが、今も行っている王国への食糧援助と合わせて今後も継続させましょう。竜王国からも救援要請が出ておりますので、評判回復のためにそれを受ける予定で調整中ですが……よろしいでしょうか?」
「構わない。平和維持と信頼回復のためなら何でもやってくれ。ただし、侵略的な手段以外で。実行前に私に報告し、実行許可を取ることを忘れずにな」
大丈夫そうだと判断したアインズは、心底安心した。
ここまで言っておけば、もし何か勘違いが起きても、事前に気付くことができるはず。
なんなら他の知恵者ふたりにダブルチェック、トリプルチェックもしてもらえばさらに事故は減るだろう。
既にやってしまったことは仕方ないからばれるまでは隠して、ばれたら誠意を込めて謝罪して、それまではひたすら贖罪の慈善事業に励むのだ。
もしばれて誰かに自分とナザリックの所業を責められることがあれば、アインズはその実績で許しを請うつもりだった。
その事業がナザリックの利益に直接繋がらないようにしておけば、少なくとも本気で反省していることは伝わるはず。
それで許してもらえないなら仕方ない。
戦う覚悟を決めるまでだ。
アルベドが退出したのを確認して、アインズは執務机の椅子に深く座り直し、背もたれにもたれた。
深くため息をつく。
分かっている。デミウルゴスとアルベドに対する自分の対応が甘いことは。
(本当は、ふたりを遠ざけてパンドラズ・アクターに任せるべきなんだよな。こんなことをしたって、今はリスクを大きくするだけだ。努力したところで、いつ実るかなんて分からないのに)
でも、言動はアレでも最初から安定しているパンドラズ・アクターよりも、アインズはアルベドとデミウルゴスにこそ成長して欲しかった。
決められたプログラムどおりに動くしかできないはずだったNPCたちは、サービス終了を境に自我を得て勝手に動くようになった。
なら、学んでいけば極悪でも善の振る舞いを覚えることだって出来るはずなのだ。
だから、諦められなかった。
ふたりを切り捨てられなかった。
もしふたりが変われることを証明できたのなら、きっとそれはシャルティアなどの他のNPCにだって当て嵌められる。
人格から根本的に変わって善人になって欲しいわけじゃない。
むしろ、仲間たちが作った設定を歪めることになるから、アインズはそれは嫌だった。
この世界に来る前、軽い気持ちでアルベドの設定を変えてしまったことを後悔しているから、やりたくなかった。
人間の道徳心を理解して、本心からでなくても尊重することを覚えてくれれば、それで良かった。
ただ。
(……なんだか疲れた。疲労なんて感じないはずなのに。国興しなんて、するべきじゃなかった。やっぱり俺は指導者なんて柄じゃない。誰かの下について命令を受けて、複数人で一緒に働いていた方が、余程向いているよ)
後悔しても今さらである。
自覚している以上に、人間牧場のことはアインズの心から余裕を奪っている。
だから、何回鎮静化しても、自分が行っている奇行に気付けない。
(俺と同じ境遇で事情を理解していて、俺を叱りながら助けてくれる人が欲しい。……心底、そう思うよ)
さすがに心配を隠せなくなったパンドラズ・アクターが、わざといつものノリで振る舞うことで己の存在を気付かせようとするまで、アインズはナザリックにプレイヤーとしてたったひとりでNPCたちを率いなければならない事実に不安と心細さを覚えたまま、握った手を離さなかった。
■
夕方になって、ヤルダバオト討伐を終えたアルシェとカルカが帝国に帰還した。
小城に戻るとジャイムスに出迎えられる。
フルト家からついてきてくれた、アルシェやクーデリカ、ウレイリカにとっては馴染み深い執事だ。
「お帰りなさいませ、アルシェお嬢様。エローナ様が、クーデリカお嬢様とウレイリカお嬢様を連れて、居間で待っておられますよ」
「ありがとう。すぐに行く。カルカも一緒に行こう」
「はい!」
ジャイムスに答え、カルカを連れアルシェは居間に向かった。
居間に入ると、テーブルに向かい紅茶を飲んでいるエローナと、ケーキを食べていたクーデリカ、ウレイリカがいた。
「わあ、お姉さまだ!」
「お帰りなさい、お姉さま!」
アルシェに気付いたクーデリカとウレイリカが、椅子から飛び降りて駆け寄り、思いきり抱きついてくる。
もうずいぶんと妹たちに会っていなかった気がしたアルシェは、思う存分クーデリカとウレイリカと触れ合って甘やかした。
再会する姉妹の様子を、笑顔を浮かべながらもカルカがどこか羨ましそうに見ている。
綺麗な姿勢で、エローナはティーカップをソーサーに置くと、視線をアルシェとカルカに向けた。
「お帰りなさい。ふたりとも、大きな試練を乗り越えて、一回り成長できたようね。おめでとう」
一目見て、出かける前のふたりとの違いを見抜いたのか、エローナはアルシェとカルカを褒め、労ってくる。
きょとんとしたアルシェは、自分の身体を見下ろすと、不思議そうに首を傾げてエローナを振り返る。
「……変化とか、見て分かるの?」
「強さに関しては分からないけれど、今のあなたたちから見ても、強敵との戦いだったのでしょう? なら変化が出ないはずがない。自分の身体になにが起きているか、意識してみたら?」
エローナに言われて、アルシェは助言されたとおり自分の身体を探ってみた。
身体の奥底から湧き出る力があった。
小城で何度も成長して強くなっていく経験はしたが、それとは違う。
これは、覚えがある。
しかも経験したのは、エローナと出会うずっと前。
ずっと横這いだったアルシェにとっては、非常に懐かしい感覚だった。
「もしかして、私の元々の力も強くなってる……!?」
「わ、私も神様に鍛えていただいた方ではなくて、聖王女としての力が強くなっている気がします……!」
どうやらカルカもアルシェと同じだったようで、身体をまさぐると目を丸くして興奮しだした。
さすがにこの事実に気付くと、アルシェも声が上擦るのを抑え切れなかった。
思わずカルカと手を取り合って、嬉しさのあまり飛び跳ねてしまう。
笑ってクーデリカとウレイリカもアルシェとカルカの真似をした。
「とりあえず旅装を解いて、お風呂に入ってきなさい。出てきたら夕食だから。クーデとウレイはもう入れておいたから、ゆっくりふたりで入ってくるといいわよ」
「分かった。行こう、カルカ」
「早く鎧を脱ぎたいです!」
促したエローナに見送られ、アルシェとカルカは居間を出て大浴場でたっぷりと汗を流した。
特にカルカは久しぶりに鎧を脱げたからか凄く気持ちよさそうにしている。
聖王国にいる間はずっと女重騎士姿だったので、地味に大変だったのだろう。
お湯の中で、尻尾がゆるゆると揺れているところを見ると、相当リラックスしているように見える。
というか、顔から鎖骨にかけてのラインは人だからか、凄く色っぽい。
顔の肌艶もいい。
「……待って。私より肌綺麗じゃない? どういうこと?」
ワーカー時代はちょっと荒れていたものの、エローナに救われてからは修行で魅力が上がりだし、さらに貴族に戻ったことで肌に気を使う余裕が出てきたアルシェは、既に昔の肌状態を取り戻して久しく、むしろさらに良くなっている。
しかしそのアルシェよりも、さらにカルカは肌がきめ細かく艶やかで美しい。
聖王女だったからかとアルシェは思ったが、違ったようでカルカは恥ずかしそうに頬を染めて教えてくれた。
「実は、私美容魔法なるものを開発して鍛えておりまして……。えへへ」
えへへじゃないが。
風呂を済ませたアルシェとカルカは、ほかほかの身体で居間に戻り、エローナたちと一緒に夕食を取る。
食事中はずっとカルカの尻尾がぶんぶん嬉しそうに振られていた。
表情と同じく、尻尾の方も感情表現が激しい。
エローナ、アルシェ、カルカの食事は全てハーブを調理したものだが、エローナの努力の甲斐あってだいぶマシな味になった。
むしろどちらかというと美味しい方だ。
それでも絶品かと問われると首を傾げざるを得ないので、アルシェはカルカを見ていると喜びようが不思議に感じるのだが、どうやら何でも食べられるようになっている影響で、美味しいと感じられるストライクゾーンが広がっているらしく、食事の時は何を食べても大体いつもこんな感じだった。
食事を終えると、アルシェはカルカを誘う。
「寝る準備をしているところ悪いけれど、ちょっと来てくれる? お願いしたいことがある」
「いいですよ。どこに向かえばいいですか?」
「案内する。ついてきて」
アルシェがカルカを連れてきたのは、ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクを寝かせている部屋だった。
鍵を開ける。
中に入ると消毒液の匂いがまず香った。
「……! これは……!」
「私の仲間たち。フォーサイトのメンバーよ。知っているかもしれないけれど、ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクという。良かったら、診て欲しい」
「もちろんです! では失礼しますね……」
頷き、勢い込んだカルカは、既に判明している情報についてアルシェから教えられると、診察に移る。
ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイクと順番に診ていき、やがて被りを振った。
「すみません。ロバーデイクさんは、私には手の施しようがないです」
「……そうか。まあ、そう簡単にはいかないのは分かっている。ふたりの方は?」
「傷を癒やすという意味では、同じです。ですが、ちょっと思いついたことがあります。聞いていただけますか?」
断るという選択肢など、アルシェにあるはずがない。
勢い込んで頷く。
「もちろん……!」
「では、こちらへ。一旦廊下に出ましょう」
今度はカルカがアルシェを先導して、部屋から出た。
明らかに希望を抱いていると分かるアルシェの表情を診て、自信がなくて申しわけなさそうな顔をしながらも、カルカは思いつきを思考に纏めながら説明した。
「治癒魔法が弾かれることは確認できているということですから、正気度はともかく、おふたりは意識がある状態だと思います。ある程度、自分にかけられている魔法が治癒魔法かどうかも判別できるのでしょう。逆をいえば、治癒魔法じゃなければ、弾かれないということになりませんか? ここに、突破口があると思うのです」
「……つまり?」
「その。私の美容魔法が、もしかしたら効果があるんじゃないかなって、思うのですけど……」
さすがに荒唐無稽なことを言っている自覚があるのか、カルカの声が尻すぼみになっていく。
「試してみよう。部屋に戻る」
「あっ、待ってください、心の準備が」
おどおどするカルカを引っぱり、アルシェは部屋に戻ると、背中を押してカルカを進ませる。
「で、では。いきます」
カルカがまずはヘッケランに美容魔法を行使した。
それからイミーナにも同じように美容魔法をかけると、ふたりの容態を確認する。
「……どう?」
「ここを見てください。ここです!」
おそるおそる尋ねたアルシェに、カルカは声を弾ませると、ヘッケランとイミーナの顔の部分を指差す。
凹凸も分からなくなっていたふたりの顔の何重にもなった傷跡が、僅かに薄くなっていた。
よくよく見比べなければ分からない違いだけれど。
範囲も猫の額くらい狭い、ごく僅かでしかないけれど。
確かに、変わっている。
「……!」
目を見開いたアルシェは、無言でカルカの腕を掴み、廊下に出ていく。
そしてカルカを見上げ、鼻を啜って涙で潤んだ目を向け、深く頭を下げた。
「ありがとう。本当に、ありがとう。一生恩に着る。ようやく取っ掛かりを掴めた」
「……いいのですよ。私も、アルシェさんにはいっぱい助けられましたから。これで、恩返しができました」
嬉しそうに、カルカがはにかむ。
本当にカルカは感謝しているのだ。
この世界の聖王国が救われたことに。
カルカだけでは絶対に成し得なかったことだった。
エローナとアルシェが力を貸してくれたから、できたこと。
少しでも恩を返すことができて、カルカも幸せな気持ちになれる。
「私、この美容魔法をもっと鍛えてみようと思います。肌艶をよくする以外にも、色んな使い方があると思うのです。傷跡を目立たなくしたり、顔の形を整えたり。極めていけば、ヘッケランさんたちの治療に、転用できるかもしれません」
「……そうか。良かった。本当に、本当にありがとう」
手で顔を押さえて俯くアルシェの声が震えている。
いつかエローナやアルシェがしてくれたように、カルカはアルシェの身体を抱き締めた。
初めてカルカが抱き締めたアルシェの身体は、思っていたよりも遥かにカルカには華奢に感じられた。
年齢を思えば当然だった。
もう二十五歳を数えようとしているカルカに対して、アルシェはまだ二十にも満たないのだから。
(役に立てて、本当に良かったです)
温もりを感じながら、カルカはほほえむ。
フォーサイトの治療が一歩進んだ、夜だった。