その後、こうした思い込みを覆すニュースが流れ、エイズ・パニックが引き起こされていく。
〈比ホステスがエイズに感染日本滞在の可能性も〉('86年11月3日付)
これは共同通信マニラ支局が打電したニュースだ。記事には女性が松本市内で働いていたことが書かれている。その2日後には、実名まで報じられた。さらに、入国管理局が「長野県内数ヵ所で売春をしていた」という女性の証言を公表した。
エイズは男性同性愛者だけの病気ではなく、「異性間性交渉でも感染する」という事実に人々は衝撃を受けた。
その恐怖が、2ヵ月後の神戸における「日本人女性第一号患者」に対する苛烈な攻撃と、差別に繋がっていく。
実名が報じられたフィリピン人ホステスの報道にかかわった、共同通信科学部元デスクの西俣総平氏はこう振り返る。
「当時は、いつエイズが日本に上陸するのかが大変な関心事でした。そんな状況の中で、感染者を仮名で報道すれば、犯人捜しが行われて長野県内は大変なことになるでしょう。そうした配慮から実名報道に踏み切りました。
『真実の報道』というと古い言葉にはなりますが、本当のことを伝えたかったのです」
だが、現実は西俣氏が避けたかった方向に動く。働いていた店や「客」を探し出そうと長野県内にマスコミが押し寄せた。
共同通信の報道から5日後に女性は強制送還されていたが、過熱報道は収まらず県内は大混乱に陥ってしまう。