誕生日
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私の母が作る料理は大抵のものがおいしかったが、とりわけおいしくて好きだった料理が栗ご飯とエビフライである。
私は秋の生まれで、誕生日に食べたいものを聞かれると決まって栗ご飯と答えていた。
学校から帰宅し、台所で母がせっせと栗の皮を剥いている姿を見ると、平日なのにやったぁ!今日は栗ご飯だぁ!ってすごくうれしかった。
母が明らかに米との比率がおかしい大量の栗を炊飯器に投入するのは、私が喜ぶとわかっているからだろう。
炊き上がりを知らせるメロディが鳴る。
蒸気の先にほんのり黄色く色づいた栗が所狭しと肩を並べているのが見えると、またしても私は小躍りするのだった。
メインのおかずは大きなエビフライ。これまたエビ好きの私には大ごちそう。
揚げたてサクサクのエビフライ。この世にこんなおいしいものがあるなんて!
誕生日といえばホールケーキだが、子供の頃はケーキ屋さんで買うことはなく、母のお手製だった。
といっても生地から焼くわけではなく、買ってきたスポンジ生地に生クリームをまとわせ、フルーツを挟み、盛り付け、メッセージ入りの板チョコを添えたシンプルなもの。
当時、ケーキと言えばイチゴのショートケーキと相場が決まっていたが、何せ生まれが秋なのでイチゴが手に入らない。
毎年、イチゴじゃなくてごめんねぇと母は言いながら、缶詰の桃やみかんなどを次々とのせ、私の年齢と同じだけのロウソクを立てるのだ。
バースデーソングを歌いきった後に火を吹き消す幸せな瞬間。
拍手とともにもらう「おめでとう」の言葉。
いつまでも覚えている温かな家族の集い。
自分が母となり新しい家族のもと、まもなくまたひとつ齢を重ねるが、祝いの品はなくてもいい。
もちろんもらえたらうれしいけれど、朝起きて「お誕生日おめでとう!」とそう言ってもらえたら、それで十分だ。むしろそれだけは忘れないでほしいと家族に伝えている。
だって誕生日ってそういう日でしょう?
「おめでとう」ってこの世に誕生したことを祝ってもらえる日でしょう?
だから、よそのご家庭のこととはいえ、あんな殺伐とした誕生日の様子を見せられて、怒りに震えた。
プレゼントをあげるあげないで家族会議が開かれるなんて、あまりの異常さに言葉が出ない。
ほしいものを問われ答えても、いつだってリクエスト通りにならない。
父も母も兄も味方してくれない誕生日。誰も祝いの言葉を発しない誕生日。
鬼の棲む家?修羅の家?
いよいよ関係機関の出番ではないかと、わりと本気で思っている。