若者どころか中高年も「Facebook離れ」が進行中…ヘビーユーザーが「歌舞伎町のようなSNSになった」と嘆くワケ
■新しいメッセージが届いたと思ったら…
私はFacebookのヘビーユーザーで、一日中のぞいている。8月のある日、PCでFacebookを開いたら、右上のメッセージアイコンに赤い数字がついていた。Facebookユーザーの皆さんならご存じの通り、メッセージが届いていることを示している。
すぐさまアイコンを押してメッセージを読もうとした。押しながらしまったと思った。本物のメッセージアイコンではなかったのだ。
メッセージアイコンは一番上の右側、私のアイコン、通知を示すベルのアイコンの次の吹き出しのようなマーク。私が押してしまったのはその下の「広告」欄にある、メッセージアイコンそっくりのマークだった。「新しいメッセージ。今すぐチェックしてください!」とまで書かれている。
ここは広告欄なので、通常は企業や商品のバナー画像と、短いメッセージが載っている。だがこれは、広告欄にメッセージアイコンと同じマークで、誤って押させる魂胆のニセアイコンだった。
■まさかの楽天が最低最悪の広告を打つなんて
気づいた時はもう遅く、反射的に押してしまった私はなんと、楽天市場のトップページに連行された。用のない私はもちろん、すぐさまサイトを閉じた。
驚くとともに、大いに腹が立った。楽天のような大手企業がこんなに姑息なニセアイコン広告を使うとは。ユーザーを騙してwebサイトに強引に連れて行ったのだ。
しかも輪をかけて姑息なのは、本来広告主のURLが表示されるべき箇所に「online.messenger」として、楽天とは一切表示していないことだ。楽天市場は邪悪な企業に成り下がってしまったのだろうか?
しかも、この広告で楽天市場のページにたどり着いたとしても、私のように不愉快になりすぐさまページを閉じてしまうだろう。クリック率にはカウントされるだろうが、何の効果もない。広告担当者が、クリック率を上げて上司に報告したいだけの最低最悪の広告だと思う。
楽天市場の担当者だけでなく、Facebookの広告担当者はこんな詐欺と言っていい広告を咎めることなく掲載していいのだろうか? 広告審査を通したのだろうか? Facebookは、詐欺の片棒を担いでいる場合ではないと思うのだが。
■詐欺広告を報告しても「問題なかった」
今年に入って、SNS上で著名人になりすました詐欺広告が横行し、社会問題として浮上した。被害規模は数百億円にのぼり、特にネットに不慣れな中高年が狙われた。著名人の写真とともに投資へ誘うメッセージを巧妙に載せて、まんまと騙された人々から多額の金を巻き上げた。
政治家も問題視し、Facebookを運営するメタ社の担当者が自民党の会合に呼び出されて対応を求められた。「広告停止」を求める議員もいたそうだ。
なりすまし詐欺広告は今年の春には1日何件も見かけた。私はFacebookに何度も「報告」したが、「調べたが問題なかった」との回答が来て腹を立てたものだ。
だが自民党に怒られたら本気出したのか、いつの間にか見なくなった。それなのに、今度はニセアイコン広告だ。メタ社は反省していないのではないか。怖いお父さんに叱られたら悪さはやめるけど、別の悪さを編み出してまた始める。タチの悪いいたずら坊主だ。
いや、そんな可愛らしい言い方では済まない。またおかしな怪しい広告が私のタイムラインに出没している。
■既婚者向けマッチングアプリの広告も登場
もともとFacebookは少額でも代理店を通さずにターゲティング広告を展開できるので、無名のベンチャー企業の広告が多かった。だが、最近見かけるのは本当に企業が展開しているのか疑いたくなる広告だ。うっかり押すとまた、おかしな投資に誘い込まれるのではないかと思ってしまう広告が頻繁に出てくる。
怪しい広告と無名のベンチャー企業の広告の見分けは難しいが、怪しい広告にはどこかいかがわしさが滲むのだ。あからさまに怪しかったのが「既婚者クラブ」という名の出会い系らしき広告だ。どうやら「国内最大級の既婚者向けマッチングアプリ」らしい。
そもそも不倫を助長するようなサービスを堂々と宣伝する時点でいかがわしいが、そんな不謹慎な出会い系アプリはその裏にさらに反社会的な存在、例えば投資詐欺が潜んでいる可能性を感じてしまう。
さらに最近は、特定の年代や趣味を対象にしたグループやアカウントを頻繁に見かけるようになった。私の世代だと、昭和を懐かしむFacebookグループをよく見かける。「昭和へ○○○」「○○○な昭和」などのタイトルで、何だか妙に怪しいのだ。
そこで「昭和の○○○の表示を見えなくする」操作をすると、新たに「○○○な昭和」が表示されてしまい、いたちごっこに陥る。
■歌舞伎町に迷い込んだようなおかしな気分に
Facebookは日本では社会人同士の交流の場として発達してきた。私も、メディア関係の会社に勤める人たちを中心につながっている。こうした人々が自らの近況を投稿するだけでなく、見かけた重要な情報や記事を投稿してくれる。私にとっては交流の場であるだけでなく、仕事に役立つ情報を得る場でもある。
言ってみれば、汐留や赤坂のビジネス街にある公園のようなものだ。ところが最近出没する怪しい広告やグループは、歌舞伎町のようないかがわしい街の匂いがする。歌舞伎町の存在を否定するわけではなく、汐留や赤坂と混在しているから困るのだ。
私は自分が書いた記事を「こんな記事を書きました」とFacebookで投稿しているが、汐留赤坂で呼びかけているはずが歌舞伎町に迷い込んだようなおかしな気分になる。それでも私にとって自分の活動をアピールする場として重要だ。
しかし最近、「Facebookにアクセスする回数が減ってきた」「もうFacebookは退場しようか」とのコメントをポツポツ見かけるようになり、悲しくなってきた。
■若者どころか、中高年ユーザーも離れていく
気持ちがわかるだけに止める気にもなれない。Facebookは蜜月を終え、社会インフラとして終わりが近づいているのかもしれない。
もともと30代より下の世代は使わない人が多い。2017年と2022年で比較すると、10~20代の利用率は大きく下がっているのだ(図表2)。おかしな環境をほっておくと中高年までいなくなるのに、メタ社として本気で対策しないのだろうか。
最近はおかしな方向で本気を出しているようで、ユーザーの何の問題もない投稿を勝手に削除する不可解も起こっている。問題投稿の削除に頭の悪いAIでも使っているのだろうが、これではますます中高年が離れかねない。
いまSNSは、ちっとも「ソーシャル」な場でなくなっている。まるで映画『マッドマックス』の舞台のように、荒廃したディストピアになりかけているように思うのだ。
X(旧Twitter)は言うまでもないだろう。イーロン・マスク氏が買収してXの名になってから、交流する楽しい空間ではなく殺伐と荒れ果てた場になってしまった。
■Twitterは炎上だらけの荒涼たる場に
私はUIの変更が大きいと思う。いつのまにか一番左に「おすすめ」のメニューができ、開くと最初にそのタイムラインが目に飛び込んでくるようになった。
Twitterは、あくまで自分がフォローする人々の投稿を読むツールだった。リストも自在に作ってフォローする人々をさらに分類して、情報を入手できる。主体はユーザー側にあり、自身が選択した情報を得るツールだった。
「おすすめ」はどういう仕組みかはわからないが、おそらく「ホットになりかけ」の投稿が表示されるのだと思う。だがそれは「炎上寸前」と同義だ。たくさんいいねされたりコメントが多数ついている投稿、つまり人々が強く支持したりイチャモンをつけている投稿が表示される。
それをまた読んでリプライをつけたりすると本格的に炎上する。「おすすめ」は炎上製造メニューなのだ。大きな声の人の投稿が、より大きく拡声される。それがこちらに選択権なく次々に表示される。
かくて、自己主張したい人の投稿や、何かの告発、激しい罵りの投稿がより拡散されやすくなり、Xはそこいら中で荒々しい言葉が乱れ飛ぶ、恐ろしい場に成り果てた。また、「インプレゾンビ」と呼ばれる、インプレッションを稼ぐためだけに無意味な投稿をするアカウントが増え、Xをさらに荒涼たる場にしている。
■かつては人と人をつなぐコミュニティがあった
私は2009年からのTwitterユーザーで、当時は私のブログを読んだ見知らぬ人々が感想を寄せてくれてコミュニティが生まれ、やがてそうした人々と実際に会うようになり勉強会を開くようになった。「メディアコンサルタント」の肩書きで活動する私が生まれたのはTwitter上だった。
だが最近は、7000人フォロワーがいても、反応が薄くなってしまった。7000人のうち大半は、いまのXの荒れた空気に嫌気がさして投稿を見なくなっているのではないかと推測している。
私自身も、自分の投稿にリプライされると、どんな人物かその人のプロフィールや過去の投稿をチェックして、安心できてからリプライを返すようになった。安易に関わると、おかしなやり取りに巻き込まれかねないからだ。
■エコシステムが崩壊し、負の側面が拡大
SNSはディストピア化している。考えが近い人と出会う素敵な空間ではもはやなく、用心して歩かないとうっかり地雷を踏んでしまいかねない、戦場のようになってしまった。
2010年代のSNSは、インターネットを双方向の場にしてあちこちにコミュニティを育むための格好の装置だった。私がそうだったように、興味関心や趣味嗜好が近い人同士で「つながり」を生むツールだった。
だがここへ来て、負の側面がぐんぐんふくらんでいる。誰とでもつながれることは、誰からでもつけこまれることだった。生成AIの進化が、つけこみ方まで進化させてしまった。
SNSが情報収集ツールとして機能しなくなり、使う頻度が大きく減ったり、中には退場する人が続出することは、インターネットでこの10年起こったさまざまなビジネスやシステムをゼロに戻してしまうことだ。
■SNSのディストピア化はもう止められない
その最たる存在が、メディアではないだろうか。
記事を公開したら、それがXやFacebookでどれだけ広がるかでPV数が決まる。そのどちらも利用者が減れば、当然PV数も減るだろう。
この記事も、どれだけ共感される内容だとしても、共感される場が失われれば元も子もない。森の中で木が倒れても、誰にも聞こえなければその音はしなかったことになってしまう。SNSの衰退は、あらゆる森から人々がいなくなることだ。
対策はあるはずで、総務省の有識者会議「デジタル空間における情報流通の健全性確保のあり方に関する検討会」で昨年の11月から議論されてきた。それはもちろん、貴重な会議だと思うが、私はSNSのディストピア化は止められないと思う。
詐欺広告やインプレゾンビの出元は、どうやらほとんどが遠い国の人々にあるらしい。もはや国単位での対策では防ぎようがないだろう。
SNS抜きでメディアのエコシステムを考えるべき時代が来たのだと思う。どうするべきか、考えを巡らせていきたい。
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境 治(さかい・おさむ)
メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。
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(メディアコンサルタント 境 治)