バンカラの廃止と復活

平成七年度冬、当時の応援団幹部はバンカラをやめる選択をしました。
平成七年度は応援団幹部が九名いましたが、バンカラを続けたいと思っていた幹部もいたようですし、この一件で幹部二名が辞任するなど幹部内部でも色々ともめたようです。生徒大会などでも議論を巻き起こし、いわい編集委員会も小特集を組んでいます。
以下は当時のいわいに掲載されたもので、当時の応援団幹部、生徒の意見を垣間見ることができます。


『今年の冬、応援団幹部がボロボロの制服を着ることをやめた。突然のことに戸惑った生徒もいたのではないだろうか。2月3日の放課後、いわいはこのことについて、応援団幹部と話し合いをもった。次はそのときに出た話をまとめたものである。

応援団幹部の考え
・応援団幹部だけがボロを着るのはおかしいと思い、普通の服装にした。
・ボロを着ることに縛られているような気がする。
・時代に合わない。
・ボロを着る意味がないと思った。
・ボロを着る=応援団幹部ではない
・生徒大会でみんなが承知したのは応援団幹部となる人間であり、ボロを着ることではない。
・まわりがボロを着るというスタイルだけに執着するのが気に入らない。
・生徒の中には、応援歌練習のときにはろくに声も出さないのに、幹部がボロを着ることをやめたとたん「関高沈滞」などと言う者もいる。
・生徒も応援団の一員だという自覚を持ってほしい
・応援団幹部に求めるものが、本来の意味とは違っているのではないか。

生徒の意見
・軟派だ。
・外見だけでなく中身まで変わってしまったような気がする。
・もう少し後のことを考えたほうがよいのではないか。
・どちらでもよいと思う。
・私たちは生徒大会で承認したのだから、何も言えないと思う。
・外見を変えるまえに、ひとこと言うのが筋というものではないか。
・伝統を守れ。
・ボロを着るということを覚悟して幹部になったのではないのか。
・最近、影が薄いと思う。
・幹部は関高のマスコットボーイだったのに。
・下駄がうるさいという苦情がきていたのだから、やめてよかった。

また、OBにも話を聞いてみた
・昔は「昂揚会」というものがあり、その人たちがボロボロの制服を着ていたし、応援団幹部以外の人も、下駄をはいたりしていた。ボロを着るということは、関高のシンボルのようになっているので、応援団幹部がボロを着るということではなくても、何らかの手段でボロを着るというスタイルを残していってほしい。

やはり生徒やOBには、応援団幹部がボロを着なくなると寂しい、やめてほしくない、
という意見が多いようだ。しかし、一番大切なのは外見ではなく、中身なのではないだろうか。生徒の意見にもあったが、外見を変えたのといっしょに、中身まで軟派になったなどと言われないような応援をしていってほしいと思う。 』


この次の年、平成八年度応援団長らの手によりバンカラ応援は復活しました。
そして現在も関高はバンカラ応援を行なっています。しかしバンカラが一人あるきするような状況は避けなければなりません。関高のシンボル、伝統は応援団幹部のものではなく関高生全体のものです。バンカラも全体のつくりあげている一つの事物です。その事実を忘れずに全体集合としての関高の文化を作り上げてかなければなりません。


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