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↑のつづき。
さて、
さらに徳島県美馬市をゆく。
倭大国魂神社を後にして
車でほんの数分。
ここは、美馬市美馬町中鳥。
めちゃくちゃ素敵なところである。
この道の向こうには、
広大な吉野川が流れている。
ポップな看板(笑)。
たどり着いた。
拝殿。
延喜式内社 阿波國美馬郡 伊射奈美神社 論社
『伊射奈美(イザナミ)神社』
鎮座地 徳島県美馬市美馬町中鳥
創建 不詳
神紋 十六菊紋
祭神 伊邪那美尊 速玉之男神 事解男神
合祀
天照大神 素戔嗚尊
大山祇神 猿田彦大神
美馬市ホームページには↓
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延喜式神名帳
(平安時代に編纂された官社一覧。
これに記載されている神社を式内社という)
を見ると、阿波国美馬郡所在の
式内社11社のうちの1社に
伊射奈美神社の名がみえます。
イザナミと対になるイザナギを
社名とする式内社は、淡路伊佐奈伎神社を
はじめとして7社ありますが、
イザナミを社名とする式内社は
阿波国美馬郡の1社のみです。
イザナギ神社にはイザナミも併せて
祀られることも多かったと考えられますが、
あえて女神のイザナミを社名とする
伊射奈美神社は、特殊な意味をもつもの
かもしれません。
式内社伊射奈美神社の比定地については、
延喜式には郡名以下の地名の
記述がないため確定はできませんが、
美馬町中鳥に鎮座していた伊射奈美神社は
比定地の有力な候補と考えられます。
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由緒書き↓
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神社の創祀は不詳、
神話時代の創建とされる淡路、
伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、
伊邪那美尊は国土産みを終え、
神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、
伊射奈美神社を建てられ。
阿波の神々の中で最も格式の高いのは、
貞観十一年(869)
阿波国伊射奈美神社正五位の神階を賜う。
伊邪那美尊を単独神として祀る
全国唯一の神社として、延喜式神名帳に
登載される最も格式の高い古社。
阿波の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、
古代の水の神として穀霊、穀神信仰、
母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。
渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を
中鳥に建立開基、奈良時代、
神社に付属の寺を聖武天皇勅命により
忌部神宮寺と寺号を改め、
文治三年(1189)神社再建した社殿戸扉に、
神代自古御鎮座、伊射奈美尊神社と記す、
本殿箱棟に神文十六菊御紋あり、
古昔最も盛大なる神詞にして
美馬、三好の総鎮守として伝える。
戦国動乱の時代、天文年間(1532)
三好長慶の祈願所として綾地の御先織を献納。
元和三年(1617)
蜂須賀候祈願の為黒昔織、甲冑二領奉納、
家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。
室町時代の後期、中鳥城主に、
元亀元年(1570)浅野但馬守。
安土桃山時代天正年間(1573)久米刑馬亮拠る。
後に前田京本入道が城主。
神社再興の、正徳三年(1713)
享保十六年(1731)棟札保存。
戦国から江戸時代、
天文(1532)から明暦(1655)年間に、
中鳥村三百有余の人家があったとされ、
享保十一年(1726)大洪水で
吉野川南岸から切り離され川中島となる。
明治五年九月官制による神社分類で
伊射奈美神社は村社に任ぜられ、
明治八年神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、
式内村社伊射奈美神社とあり、社殿に保存。
昭和九年六月一日中鳥は半田町から分離、
重清村へ合併。
昭和六十一年(1986)建設省が
吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、
西村中鳥堤防工事で用地買収、
六十三年に二十八戸移転、
神社は平成四年十月七日現在地に拝殿、
神殿を新築落成し御鎮座。
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古文書解説↓
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此の大神は古 天地初発し時
神代七代に到り伊射奈美尊
天神より天瓊戈を授かり天降りましまし
天の浮橋の上に立ち淡路島を生み賜う
其気直に生じ阿波国を生み賜うと
天の御柱国の御柱を立て
天地の道に随ひ君臣父子夫婦兄弟朋友並に
万物の道を正して教を末の代まで置き給ひ
天地開闢本立を開き給う
是阿波国伊射奈美尊 御鎮座を申し伝え
祭所伊射奈美神社祭り奉ると
神名記にも相見え候
中鳥
初め島中に稲を負う鳥止り給う
島中故 中は尊き故上にそなへ置き
中を内へゝへとしめよせ 神社となり給う
中の字は君徳にそなへ鳥の字は下臣の行に
そなへ置き給う上下和合の徳にて中鳥と定む
興玉伝記
第十一代垂仁天皇二十五年
皇紀六五六年 紀元前BC四年
皇大神宮が造られ 太田姫命は
八十の末社を造った
伊射奈美神社は末社となっている
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扁額。
海亀の甲羅があった。
穴が空いているのは、
漁で捕った記しだろうか。
いずれにせよ、
神聖なものとされているのだろう。
横から本殿。
奥には境内社『掃部神社・加門神社』
式内社伊射奈美神社の論社は下記の通り↓
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伊射奈美神社(ここ)
徳島県美馬市美馬町中鳥
伊射奈美神社
徳島県美馬市穴吹町三島字舞中島
高越神社
徳島県吉野川市山川町木綿麻山
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二社の伊射奈美神社は
実は遥拝所だった。
拝んでいる場所こは、高越山山頂。
何故、
伊射奈美神社が高越神社なのかというと、
高越山こそがイザナミの眠る
『比婆山』だと云われているからである↓
江戸時代の阿波の歴史書『阿波志』には、
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伊射奈美神社小社美馬郡拝村山之絶頂にあり
俗に高越大権現、祭神一座、伊射奈美尊
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
と記載されている。
阿波の古代史のバイブル
『道は阿波より始まる』を元に
まとめられた『甦る皇都阿波への旅』では↓
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「伊邪那美神(志良夜麻神)は、
出雲国と伯伎(ハハキ)の国との境の
比婆の山に葬りき」とありますが、
この場所は
「黄泉比良坂は今出雲の伊賦夜坂といふ」
と記され、
その伊賦夜坂(いふやざか)とは、
木綿麻(いふや)山(高越山とも西山ともいう)
の坂のことで、
伊邪那美神は木綿麻(いふや)山々頂に
葬られています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
美万城口山村(現 美馬市穴吹町口山)の
上流を端々(はは)山、
穴吹川に接するを端々岐(ははき)と称し
端々岐のふる川(現 吉野川)の対岸、
現在の倭岐(わき、現 脇町)より下流地方を
以津毛(いづも)と称します。
現在の岩津の渡し(現 岩津橋辺り)が
その境目と考えて下さい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、
式内社伊射奈美神社の元宮と
考えられている高越山の高越神社には、
後に祭神として
阿波忌部の祖天日鷲命(アメノヒワシ)が
追加されたため、『日鷲山(ヒワシヤマ)』
と呼ばれるようになった。
そして、伝承過程で『比婆山(ヒバヤマ)』
に転化していったのだそうな。
『岐(き)』とは「わかれみち」を
意味する言葉。
出雲国と伯伎(ハハキ)の国との境は
『日本を生んだ母』との
別れの道が今もなお、阿波に残っている。
この地からイザナミの眠る山を
拝んでいた。
雪帽子をかぶる狛犬が、
鳥居の向こうのアノ山の方を見ていた。
イザナミの名を冠する
全国唯一の神社
『伊射奈美神社』。
阿波徳島の神社は、
やはりとんでもないですよ皆さん❗
つづく。
ではまた❗
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リブログ(1)
”『伊射奈美神社』出張の合間の神社巡り阿波徳島編~全国一社の日本の母を祀る神社~”
onezerozero fiatさんのリブログ記事です。沖縄から出張の度に、古い神社を巡り記事にされておられる。すごく詳しく書かれています。今回は徳島の美馬市にある伊射奈美神社。伊射奈美→イザナミ古事記で日本を創ったイザナギとイザナミの奥さんの方、イザナミを祀る神社です。男のイザナギを祀る神社は淡路伊佐奈伎神社など全国で7社ほどあるが、イザナミを祀る伊射奈美神社は阿波徳島にだけ存在する。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載された延喜式内社だ。徳島にしかないのは、なぜ?神紋は、十六菊紋。近くには、記事の中にも書かれているが倭大国魂神社もある。詳しくは下記、リブログ記事をご覧ください。
2024-07-26 12:00:00
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