75
東京裁判における九カ国条約(柴田)
東京裁判における九カ国条約
一、序 論
二、九カ国条約
三、ワシントン会議における九カ国条約の成立
四、東京裁判における九カ国条約
五、結
論
一、序
論
1111
柴田徳文
満洲事変およびそれに続く満洲国の創設は、アメリカとの決定的な対立を招き、結果的に十年後の日
米戦争に連なった。
満州事変の発生およびその発展に際して、アメリカはスティムソン国務長官のもとで、①アメリカの
「政府が以前に加盟した啓蒙的条約の下での中国に対する責務を適切に全うすることによって同国との
76
訴因 第二
(~)
将来の関係を維持すること」と、②門戸開放政策というアメリカの外交政策の上に樹立された中国に関
する九か国条約、ケロッグ・ブリアン条約として知られるパリ条約、そして国際連盟規約など、「その内
のふたつにアメリカが参加している戦後(第一次世界大戦・筆者注)の多辺的条約の下で樹立されてきた
平和維持のための協力行動の体制の基礎を、破壊から防御する」というふたつの基本的な姿勢を示した。
そしてこの原則は「米国政府ハ茲ニ日本帝国政府及支那共和国政府/双方ニ対シ米国政府、支那共和国
ノ主権、独立又ハ領土的若クハ行政的保全及一般二門戸開放ノ名ニテ知ラルル支那ニ関スル国際的政策
ニ関スルモノヲ含ム米国又ハ其ノ人民ノ支那ニ於ケル条約上ノ権利ヲ侵害スルカ如キ一切事実上状
態!合法性ヲ容認シ得サルコト及日支両国政府若クハ其ノ代理者ノ締結スル一切ノ条約又ハ協定ニシテ
前記権利ヲ侵害スルモノハ之ヲ承認スル意思ナキコト並日支両国及米国カ当事者タル千九百二十八年八
月二十八日ノ巴里条約ノ約束及義務違反セル手段に依り成立セシメラルルコトアルヘキ一切ノ状態、
条約又ハ協定ヲ承認スルノ意思ナキコトヲ通告スルヲ以テ其ノ責務卜認ムルモノナリ」という、満洲に
おける事態の不承認宣言となった。
爾後アメリカは、満洲事変および満洲国に対し、パリ不戦条約、九カ国条約、そしてアメリカは加盟
していなかったが、国際連盟規約の違反であるとの認識を貫いた。そしてこの認識は東京裁判(極東国
際軍事裁判)での起訴および判決の根底となった。
同裁判の起訴状は次のように言う。
全被告は他の諸多の人々と共に千九百二十八年(昭和三年)一月一日より千九百四十五年(昭和二十年)
政教研紀要 21号(1997.1)
77
東京裁判における九カ国条約(柴田)
九月二日に至る迄の期間に於て共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に指導者、組織者、教唆者又
は共犯者として参画したるものにして前述の計画実行に付き本人自身により為されたると他の何人に
より為されたるとを問はず一切の行為に対し責任を有す。
斯かる計画又は共同謀議の目的は直接に又は日本の支配下に別個の一国家を建設することに依り日本
が中華民国の一部たる遼寧、吉林、黒竜江、及び熱河の各省に於ける軍事的、政治的及び経済的支配
を獲得するに在り。而して其の目的の為め中華民国に対し宣戦を布告せる又は布告せざる一回又は数
回の侵略戦争及び国際法、条約、協定及び保証に違反する一回又は数回の戦争を行ふにあり。
そして裁判所はこの告発を認定した。判決は言う。
日本が中国に対して遂行し、日本の指導者たちが 『支那事変』あるいは『支那事件』という欺瞞的な
呼び方をした戦争は、一九三一年九月十八日の依るに始まり、一九四五年九月二日に東京湾上におけ
る日本の降伏によって終った。この戦争の第一段階は、満洲として知られている中国のその部分及び
熱河省に対する日本の侵入、占領及び統一を内容としたものである。
(ers)
13
この認定が爾後の満洲事変に対する一般的認識の基礎となった。即ち、日本は侵略戦争を行い、国際
連盟規約、ケロッグ・ブリアン条約、そして九カ国条約に違反したというものである。しかしながら国
家の行動はこのような単純な一面的理解の枠組みに収まりきれるものではない。何らかの必然や当為が
必ず存在していることは、歴史の教えるところである。
満洲事変が侵略戦争であったか、諸条約違反であったかが、さらに検討されるべきであろう。本稿で
はそれを試みるが、前述の命題のすべてに当たるためには紙幅が限られているので、九カ国条約に関す
(~)
78
るもののみを取り扱うことにする。
二、九カ国条約
(6)
九カ国条約(支那に関する九カ国条約)は、ワシントン会議において一九二二年二月調印され、日本は
同年八月批准書寄託、実施された。原加盟国はアメリカ、ベルギー、イギリス、支那、フランス、イタ
リー、日本、オランダ、ポルトガルの九カ国で、条約の名称はこれに由来する。その後ルウェー、ボリ
ビア、スウェーデン、デンマーク、メキシコが加入した。
(5)
本条約は九カ条からなっているが、その主要なものは、①支那における一切の国民の商工業の門戸開
放・機会均等、および、 ②支那の主権、独立そしてその領土的・行政的保全の尊重、のふたつの原則で
ある。したがって、満洲事変およびその後の日本の行為が九カ国条約に抵触したか否かはこれらの原則
に照らして検証されなければならない。
九ヵ国条約は、門戸開放・機会均等主義に従前と異なった定義を与えたものではなかった。一八九九
年のジョン・ヘイ米国務長官の門戸開放宣言以来、各国が実行してきた主義を再確認したものであっ
た。即ちそれは、「一国が其の植民地、保護国、又は後進国の特定地域に於て、自国若くは自国民の為に、
(~~)
或種の独占或は優先的権益を享有せざる」ことである。
そこで、まずヘイがこの通牒で提案したものが何であったかを見てみよう。 それは、「清国に於て
保有することあるべき所謂利益の範囲又は借用地域内に於て条約港又は既得の利益には何等干渉するこ
ボイ
リタは
政教研紀要 21号(1997.1)
79
東京裁判における九ヵ国条約 (柴田)
となかるべきこと」、②「何れの時を問わず清国の条約税目は右利益範囲内の各港(自由港に非ざれば)陸
腸又は輸送されたる各商品に其の何れの国に属するを問わず之を適用せらるべし且つ之に依て賦課すべ
き関税は清国政府に於て徴集すべきものとす」 ること、③「右範囲内何れの港に航行する他国の船舶に
対しても各自国の船舶に対し徴収するより多額の港税を徴収せざるべく又該範囲内に於て布設し管理し
又は運転を司どる鉄道線路上他国の人民若は臣民に属する商品を輸送するも自国民に属する同種の商品
を同距離間輸送するより多額の運賃を徴集せざるべ」きことである。これは前記九カ国条約の1でいう
「支那における一切の国民の商工業の門戸開放・機会均等」を求めたものに他ならない。②の「支那の主
権、独立そしてその領土的・行政的保全の尊重」は、義和団事件の最中の一九〇〇年、ヘイの二度目の通
牒に現れる(9)
(9)
(8)
当時これらの通牒は、アメリカの要望もしくは希望に過ぎず、国際協定あるいは仮条約の性質を帯び
るものではなかったが、爾後列国はその趣旨を容認してきた。しかしアメリカは、なおそれを確実なも
のとすることを望み、ワシントン会議において九カ国条約の形で国際法化する事に成功したのである。
三、ワシントン会議における九カ国条約の成立
ワシントン会議の太平洋極東問題委員会において支那問題が討議の対象となった。支那全権施肇基の
十項目の原則の陳述の後、参加国によって確認が求められたもののうちで重要なものは、「支那」とはど
の地域を指すのか、そしてこの会議で決定されるべき取極は既存の権利を否定するものであるのか、と
80
いう点であった。
(12)
(11)
第一の「支那の範囲」については、会議では確たる結論は出なかった。ルートはフランス全権ブリア
ンの「支那とは何ぞや」との質問に「これを支那本部と解して、これに関する決議案を提出することが
できるなら、商議の進行上実際的な利便が多いであろう」と答えている。これに対して施全権は、「支那
領土は支那の憲法によって確定せるものであり、右憲法の規定に変更を加えるがごとき事項を商議する
ことは支那全権の困難とするところである。支那とは支那本部及び外藩を併称し、支那本部とは二十二
省を包含するものである」と異義を唱えた。しかしルートは「吾人は支那国民としてここに問題を論議
するものではなく、したがって支那憲法に拘束せられるものではない。」とこの主張を退けた。そして
「支那とは万人の認めて以て支那と為す地域」であるとして、いわゆるルート四原則を提案した。以後討
議はこの四原則に沿って進められた。したがって支那の範囲に関しては当然上記の了解に基いているの
である。すなわち「支那」が支那本部およびすべての外藩を意味しているものとは認められていなかっ
たのである。
(1)
(g)
つぎに既存の権利についてであるが、ルート四原則の討議に際し、加藤全権は、その第一項、すなわ
ち「中国の主権、独立、並に其の領土的及行政的保全を尊重すること」に関して「謂ゆる行政的保全な
る語は、過去に於て諸国が許与せられたる利権若くは特権に抵触するものとは考へない」と質したのに
対し、ルートは「支那の保全を尊重するという以上、独立国たる支那行政権の発動たる条約その他の行
政行為もまた尊重されねばならぬ」として「支那がすでに付与した特権のごときは、本決議によって何
らの影響を受けるものではない」と、これが従来の国際関係に変更を加えるものではないことを確言し
(1)
(12)
政教研紀要 21号 (1997.1)
81
東京裁判における九カ国条約(柴田)
(1)
(18)
た。また「友好国の臣民又は人民の権利を減殺すべき特別の権利又は特権を求むる為現状を利用するこ
とを、及右友好国の安寧に害ある行動を是認することを差控ふること」という第四項に関して英伊間に
応酬があったが、結局「支那が私人会社または一国に対してすでに付与した権利を減損せざるようにす
る」と解することに決定した。これも既存の権利関係を容認したものである。
さらにアメリカ全権ヒューズ議長は、第十九回会議に修正案を提出し、その第四項で次のように提案
した。すなわち「本会議に於て代表せらるる中国を含む列国は、他の譲与利権に関する規定若は前記の
約定又は宣言と抵触すと認めらるる現存譲与利権に関する一切の規定を、平衡なる条件を以て満足なる
調整に到達すべく努力するが為、諮議院の設立せられたる場合該院に提出することを得べき事に同意
す」というもので、既存の権利を再審査することを目論んだものである。これに対し、幣原全権は「素
より新たなる提議は遡及力を有すべきものではない。しかし本決議案第四項は右定義確定前に得た各国
人の許与が、この定義に適合するや否やについて審査に付することを得せしむるの趣旨に了解せらる。
よって同項を今後支那の許与する権利の審査の時に止むる趣旨に訂正したい」と修正を求めた。この提
議を承けて、カナダ全権ボーデン首相は、第四項には異義が存在しているのでむしろ削除すべきことを
(2)
(1)
提案し、日本全権もこれに賛同した。その結果この項は条約案からは削除されたのである。この一件に
よっても九カ国条約が既存の国際条約を否定したものではないことが窺える。
四、東京裁判における九カ国条約
東京裁判の審理において、検察側は満洲事変を次のように叙述した。
一九二七年に田中内閣が出現しますと軍は満洲に対しまして所謂積極政策なるものを採るやう政府を
動かすことが出来ました。簡単に云ひますと、この政策は、日本が満洲全体に其の権利を最高度に拡
張し又安寧秩序に対する任務を確保しなければならぬとするものでありました。(中略)これは軍が通
常の協定手段とか構成された根拠によることがもどかしく堪へきれなくなったと云ふ裏面があるから
であります。或る一計画が一事件を惹起しこれが満洲を占領する為めの武装兵力の行使に口実を作り
日本の便宜となる傀儡政府の樹立までに進展しました。
そしてこの行為は国際条約違反であるとして次のように述べる。
満洲占領のため又もっと進んだ侵略行動のために武装兵力を借りやうとする有触れた計画や共同謀議
の援助に於ける是等の明白な行動が日本が署名国の一勢力たる所の国際条約の厳粛なる保証に違反し
て行はれました。この条約中には一八九九年七月及一九〇七年十月の「ヘーグ」条約、一九一九年六
月の「ベルサイユ」条約、一九二二年二月の九箇国条約及一九二八年の「パリ」同盟等があり......
続いてダルシー検察官は、日本は、満洲に於いて軍事的侵略の予定行動を積極的に続行しながら平和
的意向であることを世界に向って確言していたこと、一九三一年の九月に満洲を占領する意志もないし
(2)
政教研紀要 21号(1997.1)
8868
83
東京裁判における九カ国条約 (柴田)
又支那に於いて領土的野心もないことを米国に向って確言したこと、錦州を爆撃したこと、斎々哈爾を
占領したこと、一九三一年十一月二十四日に米国に対して関東軍が錦州の西方に進撃したと云う報道は
真実でないと確言したこと、一九三二年一月に錦州を占領したこと、一九三一年十二月二十二日に支那
の統治権は侵害されないことを米国に対して確言したこと、一九三一年と一九三二年に数々の類似の証
言が日本から国際連盟に向って成されたこと、一九三二年二月には哈爾賓が奪取されたこと、三月に満
洲の占領が確立され、傀儡政府が樹立されたこと、を条約違反の具体例として挙げた
(2)
これらの行為は九カ国条約の原則のうち、「支那の主権、独立そしてその領土的・行政的保全の尊重」
に関するものである。検察官の挙げる事実は「支那における一切の国民の商工業の門戸開放・機会均等」
の侵害については何ら言及していない。
(25)
(2)
(2)
これに対して弁護側は最終弁論、『満洲段階一般弁論』において、事変発生前の背景として、当時中国
本部が「万華鏡の如く支離滅裂状態」を呈し統一されておらず、「通常の整頓された国家として、国際交
渉の常道を適用し得るとは看做し難い」こと、その結果として「外国人の生命財産が常に」不安定状態
に曝されていたこと、学校等における排外宣伝やボイコットのごとき排外思想の強烈な表現があり、こ
れが「中国憲法に基く正規の国家機関である」国民党によって「外国をして其の条約上の権利を抛棄せ
しめんとする国策遂行の手段として用ひられ」たことを挙げ、満洲事変は日本の自衛行為であると主張
した。
(2)
(2)
中国が統一された国家でなかった点に関して弁護側は、「歴史的事実として約二百五十年に亘り満洲
が中国を征服して居たのに対し中国は主権者として一度も満洲を統治した例」がなく、南京「政府が満
(8)
(2)
84
(8)
(3)
(3)
洲の如き戦て其の実権に服したことのない地方に対してまで権力を及ぼしたこと」にはならないこと、
そして「一九一六年以来、中国の全部に対し実際に権力を行使した政府は存在したことがない」ことを
指摘した。九カ国条約では前述のとおり支那とはどの地域を指すのかの定義がなされていなかった。弁
護側のこの主張はこの点を指摘し、九カ国条約が満洲に適用されるか否かを問うたのであった。
日本が満洲に持っていた権益については弁護側は次のように主張した。
(1)
日本は満洲に「特殊地位」を獲得した。満洲に於ける日本の「特殊地位」は「同地方に於ける日本の
条約上の特殊諸権利の総和に、其の隣接状態及び地理的地位並に歴史的交渉より生ずる自然の結果を加
へたもの」であり、そして「特殊、緊密且重大」なものであった。「日本の満洲に於ける権益は絶対であ
り、且日本の領土は之と境を接し、然も日本は満洲の地方軍事力のみに依存することが出来なかった。」
したがってそれは「軍事的攻撃を受けた場合、異常な力を以て自己を防御せざるを得ないところの地位」
であった。そしてこの地位は、「中国の全権に由来するもの」であって「中国の主権と抵触するものでは
ない」ことを主張した。
弁護側は、これらの権利が頻繁に侵害されてきたことを次のように主張した。
東支鉄道の満洲に於ける地位に対する張作霖元帥の執拗なる攻撃及び日本の主張する或種の権利に対
する無視は、満洲に於て既に国民党との合体以前より『進取政策』の採用せられてゐたことを示すも
のであるが、国民党との合体後は満洲は巧に組織せられ、且系統的なる同党の宣伝に開放せられた。
同党は其の正規印刷物に於て、又同党と関係深き多数の機関紙に於て常に喪失主権の回復及び不平等
条約の廃棄の極めて重要なること並に帝国主義の邪悪を強調することを止めなかった。 中国領土に於
(3)
(3)
(36)
政教研紀要 21号 (1997.1)
85
東京裁判における九カ国条約 (柴田)
(4)
ける外国の利益、裁判所、警察、警備兵又は軍隊の実体が明白にされてゐる満洲に於て、斯様な宣伝
が深い印象を与へたことは必然である。国民党の宣伝は同党の教科書に依り学校に侵入し、又遼寧
民外交協会の如き団体が出現して国民主義的感情を鼓吹強調すると共に抗日煽動を実行し又中国人家
主及び地主に対しては日本人及び朝鮮人たる賃借人への賃貸料引上又は契約更新拒絶を強要した。朝
鮮人移民は組織的迫害を蒙った。 諸種の抗日的命令及び訓令が発せられ軋轢の事例は推積し、危険な
る緊迫度は増加した。一九三一年三月、各省首都に国民党省党部が設立せられ、次て其他の都市及び
地方に支部の設置を見た。党の宣伝員にして中国より北上し来る者は次第に其の数を加へ、日本側は
抗日運動の日に激化するを訴へざるを得なかった。一九三一年四月奉天に於て人民外交協会主催の下
に五日間の会議開催せられ、満洲各地よりの代表者三百余名之に参加し、満洲に於ける日本の地位一
掃の可能性に付討議した。其の決議の中には南満洲鉄道回収の一項を含んでゐたのである
そしてこれらの事実から得られる「結論」は、「中国側が日本の在?権益を殲滅する企図を以て条約及
び其他の協定を侵害し破棄せんとの政策を故意に遂行したと云ふことである」と主張した。
(=)
(9)
このような権利侵害を鑑みて、弁護側は「カロライン」号事件を挙げ、地域の接壌関係並びに重要性、
そして地域の混乱状態が自衛権行使を正当なものにすることを指摘した。そして「凡そ自衛行動が正当
なりや否やは擁護せらるべき権益の重要性、危害の急迫及び該自衛行為の必要性に依り決定せらるべき
もの」であり、「日本の満洲に於ける権益は絶対であり、且日本の領土は之と境を接し、然も日本は満洲
(4)
の地方軍事力のみに依存することが出来なかった」ことを主張したのである。
また弁護側は、九カ国条約第一条および第三条の規定は中国には適用されないが、しかしそれは「該
(8)
86
(+55)
協定唯一の基礎である機会均等門戸開放の原則に中国が違反してもよいと云ふ意味でない」ことを主張
した。中国はこの条項においては条約の客体であるが、すべての当事者に対して「平等且公然なる態度」
を採らなければならないのである。弁護側は、「中国が条約の客体と為ったために当事者以上の責任を
負った」と述べ、九カ国条約を維持する責任が中国にもあることを指摘した。そして「中国が該責任を
無視すること又は該責任を負担する能力を完全に喪失して居る」ことは、ワシントン会議当時、当事者
には予見が出来なかった「欠陥」であると述べ、「中国が日本に対し採りたる陰険にして不平等な手段」
その他は、「九国条約の根底を覆すに充分」であると主張した。
五、結
論
1111
(0090)
(50)
(1)
(4)
東京裁判の判決は、前述のように満洲事変を侵略と断定している。そして満洲事変の端緒となった奉
天事件が計画的なものであり、その目的は「関東軍による満洲占領の口実を設けるためであり、また日
本の意のままになる『王道』新国家の建設であった」と断定している。そしてリットン委員会報告を引
用して満洲国の建国が九カ国条約の違反であるとし、そのことを日本は「充分に承知していた」と述べ
ている。
(3)
この判決は検察側の主張する共同謀議の存在を無条件に是認し、その上で各事実を当て嵌めていった
ものである。
日本の在?権益についてはリットン委員会の報告に「全然同意する」として、「武力を使用して、ある
(g)
(4)
(5)
政教研紀要 21 号(1997. 1)
87
東京裁判における九カ国条約(柴田)
(g)
いは武力を使用するという威嚇によって、日本は中国の国力が弱かった時代に中国から種々の利権を獲
得した」とし、中国が「自由に希望」し「受諾」したものではなかったので、「必然的に摩擦を生じた」
と述べて、中国の侵害を容認した。 そして「すでに獲得した権益に満足できなくなった日本が、最後に
は満洲の征服を引き起すほどの規模で、その権益の拡大を計ろうとした時」に「摩擦を生み出す決定的
な要因が現われ始めた」と述べて、日本がすでに持っていた権益のみでは満足しなかったので侵略に向
かったのだと断定している。
(88)
(5)
この判決は九カ国条約成立の過程を無視するものである。既述したようにワシントン会議でこの条約
が討議の議題となったとき、その適用範囲、そして既存の条約による権益の存続性が問題となったので
ある。弁護側は、満洲が九カ国条約が適用される「支那」の範囲にあるか否かを問うた。判決はこの点
についての検討をまったく行っていない。
(999)
また日本の在満権益についての上述の断定は、九カ国条約を成立させるための努力をまったく蔑ろに
したものであり、さらに国際条約の有効性を否定するものですらある。現存する国際条約のすべてが
「双方により自由に希望され、かつ受諾」されたものではない。むしろ国力の違いを背景に一方の意に染
まぬ条約を強制する場合が多々ある。 判決の論旨は条約に対する完全な同意がないことをもって義務の
履行を免除する道を開くもので、国際体系の崩壊を招来するものである。ちなみにパル判事は少数意見
判決で「本裁判の訴追国である西方の列強が、中国を含む東半球において主張する権益は、かような侵
略的手段によって獲得されたものであり、かれらがパリ条約の署名時において、東半球におけるおのお
のの権益に関して、留保条件を付したさいには、これらの列強は、かような権益にたいしても自衛およ
(g)
88
(g)
び自己保全の権利が及ぶものと考えていたことは確実である」と述べて弁護側の主張の正当性を支持し
た。
(6)
中国は、前述したように九カ国条約における義務の履行を怠っていた。また「外蒙を蘇連勢力に与へ」
「中国の心臓部に共産主義政府を樹立し」て九カ国条約の存立基盤を崩した。このことを指摘して、弁護
側はウェストレークを引用し「多くの条約には黙示の事情変更条件が付随してゐることに付て、学者の
殆ど全部は同意してゐる。其等の条約は特定の状況の下に締結せられたのであるから、其の状況が消滅
すれば条約を取消す権利が発生する」と主張した。 これについても判決はなんらの検討も加えてはいな
いのである。
(3)
以上見たように、九カ国条約はワシントン会議会議以前に列国が中国に持っていた権益に何らの変更
を加えていなかった。また支那がどの地域を指すのかについても定義を与えていなかった。 この条約は、
ヘイの門戸開放宣言という一方的な希望表明に法的地位を与えたものではあるが、中国からすべての外
国の影響をを排除するというアメリカの真の意図を実現したものではなかった。九カ国条約が成立した
後も、中国においては従前の国際関係が持続していたのである。
満洲事変および満洲国建国の後、日本は満洲国における門戸開放・機会均等を尊重し、それの実現につ
とめた。したがってここで問題となるのは、満洲が中国本部から離れて独立国となったことである。
満洲国の独立は満洲事変の結果である。そして満洲事変は、満洲における権益保護のためのもので
あった。国家が保有する条約上の権利が他国によって侵害された際、国家は武力の行使を含むあらゆる
手段を採ることが出来る。もちろんそれは侵害の度合いと採用される手段が整合性がとれていなければ
政教研紀要 21号(1997.1)
89
東京裁判における九カ国条約(柴田)
注
ならないのであるが。弁護側が満洲における日本の権益は日本にとって「絶対」であったと主張したこ
とは単なる言い逃れではなかった。日本は独立国家として、この権利を自己の力で守らなければならな
かったのである。
九カ国条約が既存の権益を容認している以上、それの保護のために適当な手段が採られることを禁止
しているものではない。したがって中国が、日本の在満権益を保護せず、 これの非常手段による廃棄の
日本の在?権益を保護せず、これの非常手段による廃棄の
試みに対してついには武力的手段が採られたことは、一概に本条約違反であると断じ得ないのである。
Stimson Henry L., The Far Eastern Crisis: Recollections and Observations, Harper, New York and London, 1936, p. 23
3.)
2.『極東国際軍事裁判起訴状』、五頁
3.『極東国際軍事裁判所判決』、B部、第五章、「日本の中国に対する侵略」一頁
4.中国、当時の日本における呼称は「支那」であったので、本稿においてはこれを用いる。
5.支那に関する九カ国条約の九カ条は以下の通り
第一条 支那国以外/締約国ハ左ノ通約定ス
(一) 支那ノ主権、独立並其ノ領土的及行政的保全ヲ尊重スルコト
(二) 支那カ自ラ有力且安固ナル政府ヲ確率維持スル為最完全ニシテ且最障礙ナキ機会ヲ之ニ供与スルコト
(三) 支那ノ領土ヲ通シテ一切ノ国民/商業及工業ニ対スル機会均等主義ヲ有効樹立維持スル為各尽力スルコト
(四) 友好国ノ臣民人民ノ権利ヲ減殺スヘキ特別ノ権利又ハ特権ヲ求ムル為支那ニ於ケル情勢ヲ利用スルコトヲ及右友
好国ノ安寧害アル行動ヲ是認スルコト ヲ差控フルコト
第二条締約国ハ第一条二記載スル原則違背シ又ハ之ヲ害スヘキ如何ナル条約、協定、取極又ハ了解ヲモ相互ノ間ニ又ハ
各別=若ハ協同シテ他ノ一国又ハ数国トノ間ニ締結セサルベキコトヲ約定ス
(g)
90
第三条 一切ノ国民ノ商業及工業ニ対シ支那ニ於ケル門戸開放又い機会均等ノ主義ヲ一層有効ニ適用スルノ目的ヲ以テ支那
国以外/締約国ハ左ヲ要求セサルヘク又各自国民/左ヲ要求スルコトヲ支持セサルヘキコトヲ約定ス
(イ) 支那ノ何レカノ特定地域ニ於テ商業上又経済発展ニ関シ自己利益為為パン的優越権利ヲ設定スルニ至ルコ
トアルヘキ取極
(口) 支那ニ於テ適法ナル商業若ハ工業ヲ営ムノ権利又ハ公共企業ヲ其ノ種類/如何ヲ問ハス支那国政府若い地方官憲ト共
同経営スルノ権利ヲ他国ノ国民ヨリ奪フカ如キ独占権又優先権或ハ其ノ範囲、期間又ハ地理的限界ノ関係上機会均等主
義ノ実際的適用ヲ無効ニ帰セシムルモノト認メラルルカ如キ独占権又ハ優先権
本条ノ前記規定 特定商業上、工業上若い金融業上/企業/経営又発明及研究奨励ニ必要ナルヘキ財産権利!
取得ヲ禁スルモノト解釈スヘカラサルモノトス
支那国ハ本条約ノ当事国タルト否トヲ問ハス一切外国政府及国民ヨリノ経済上ノ権利及特権ニ関スル出願ヲ処理スル
ニ付本条ノ前記規定記載スル主義ニ遵由スヘキコトヲ約ス
第四条 締約国の各自国民相互間ノ協定ニシテ支那領土/特定地方ニ於テ勢力範囲ヲ創設セムトシ又ハ相互間/独占的機会
ヲ享有スルコトヲ定メムトスルモノヲ支持セサルコトヲ約定ス
第五条 支那国ハ支那ニ於ケル全鉄道ヲ通シ如何ナル種類/不公平ナル差別ヲモ行ヒ又ハ許容セサルヘキコトヲ約定ス殊ニ
旅客ノ国籍、其ノ出発国若ハ到達国、貨物/原産地若い所有者、其ノ積出国若ハ仕向国又前記/旅客若い貨物カ支那鉄
道ニ依リ輸送セラルル前若い後ニ於テ之ヲ運搬スル船舶其ノ他輸送機関ノ国籍若ハ所有者ノ如何ニ依リ料金又ハ便宜ニ
付直接間接ニ何等/差別ヲ設ケサルヘシ
支那国以外ノ締約国ハ前記鉄道中自国又ハ自国民カ特許条件、特殊協定其ノ他二基キ管理ヲ為シ得ル地位ニ在ルモノニ関シ
前項ト同趣旨ノ義務ヲ負担スペシ
第六条 支那国以外/締約国ハ支那国ノ参加セサル戦争ニ於テ支那国ノ中立国トシテノ権利ヲ完全ニ尊重スルコトヲ約定シ
支那国ハ中立国タル場合ニ中立ノ義務ヲ遵守スルコトヲ声明ス
第七条締約国ハ其ノ何レカノ一国カ本条約/規定/適用問題ヲ包含シ且右適用問題/討議ヲ為スヲ望マシト認ムル事態発
生シタルトキハ何時ニテモ関係締約国間充分ニシテ且隔意ナキ交渉ヲ為スベキコトヲ約定ス
政教研紀要 21号(1997.1)
91
東京裁判における九カ国条約(柴田)
15. 14. 13. 12. 11. 10.
第八条 本条約ニ署名セサル諸国ニシテ署名国ノ承認シタル政府ヲ有シ且支那国ト条約関係ヲ有スルモノハ本条約二加入ス
ヘキコトヲ招請セラルヘシ右目的ノ為合衆国政府、非署名国ニ必要ナル通牒ヲ為シ且其ノ受領シタル回答ヲ締約国ニ通告
スペシ別国ノ加入ハ合衆国政府カ其ノ通告ヲ受領シタル時ヨリ効力ヲ生スペシ
第九条 本条約締約国ニ依リ各自ノ憲法上ノ手続ニ従と批准セラルヘク且批准書全部ノ寄託/日ョリ実施セラルヘシ右ノ
寄託ハ成ルヘク速ニ華盛頓ニ於テ之ヲ行フヘシ合衆国政府批准書寄託/調書ノ認証謄本ヲ他ノ締約国ニ送付スペシ
本条約ハ仏蘭西語及英吉利語/本文ヲ以テ正文トシ合衆国政府/記録寄託保存セラルヘク其ノ認証謄本ハ同政府ヨリ他ノ
各締約国ニ送付スペシ(外務省編、『日本外交年表竝主要文書』下巻、 昭和四〇年、原書房、一五二九頁)
6. ワシントン会議において、アメリカ全権ヒューズは一九二二年一月の極東問題総委員会第十九回会議において新決議案の
説明に際し、「今回の決議は何ら新原則を設けんとするものではなくして、二十年来各国の実行し来たった主義を再びここ
に確認し、単にその適用に関して一層これを明確ならしめんとしたものに過ぎない」と述べている。(鹿島守之助、『日本
外交史』第十三巻、鹿島平和研究所、昭和四六年、一一二頁)
英修道 『門戸開放機会均等主義』 日本国際協会、昭和十四年一頁
8. 外務省編、『日本外交年表竝主要文書』上巻、昭和四〇年、原書房、一九一頁)
9.
ヘイは通牒において次の通り述べている。
「合衆国政府の政策は、清国をして永遠の安寧と平和とを得せしめ、清国の領土および行政を保全し、条約および国際法に
より列強に対して保証せる権利を保障し、かつ清国各地における世界各国の均等公正なる通商政策を保護すべきなんらか
の解決を求めんとするに在り」(植田捷雄、『東洋外交史』上巻、一九六九年、東京大学出版会、 一九七頁)
植田捷雄、『東洋外交史』上巻、一九六九年、東京大学出版会、一八一頁
鹿島守之助、前掲書、九二頁
前掲書、九二九三頁
前掲書、九三頁
英修道、前掲書、一六六頁
前掲書
221
92
38. 37. 36. 35. 34. 33. 32. 31. 30. 29. 28. 27. 26. 25. 24. 23. 22. 21. 20. 19. 18. 17. 16.
6. 鹿島守之助、前?書、九四頁
7. 前?書、九五頁
英修道、前?書、一七三頁
9.
鹿島守之助、前?書、一三三頁
20. 前?書、一三五頁
-檢察官陳述、『極東国際軍事裁判速記?』、第二二号、一〇頁)
22.
前?速記?、一一頁
23.
前?速記?
DefDoc #3071
弁護側最終弁論、『満洲段階一般弁論』、三頁
26. 前?弁論、七頁
前?弁論、一四頁
前?弁論、一〇頁
29. 前?弁論、一〇頁
30. 前?弁論、一七頁
31. 前?弁論、一七頁
前?弁論、一九頁
前?弁論、二二頁
34 前?弁論、二二頁
前?弁論、二三頁
前?弁論、二三頁
前?弁論、二四頁
88. 前?弁論、二四頁
政教研紀要 21 号(1997.1)
333
東京裁判における九カ国条約(柴田)
前?弁論、三五頁
前?弁論、三六頁
39. 前?弁論、二六?二八頁
45.
6.
61. 60. 59. 58. 57. 56. 55. 54. 53. 52. 51. 50. 49. 48. 47. 46. 45. 44. 43. 42. 41. 40. 39.
40.
前?弁論、二九頁
11.
前?弁論、二二頁
2. 前?弁論、二三百
前?弁論、二三頁
前?弁論、三五頁
前?弁論、三五頁
前?弁論、三五頁
前?弁論、三五頁
前?弁論、三六頁
前?判決書、三四頁
前?書、九五頁
前?書、九一頁
前?書、二頁
前?書、二-三頁
前?書、二頁
前?書、三頁
前?書、三頁
59. 前?書、二頁
東京裁判研究会編、『共同研究 永判決書』上卷、講談社学術文庫、昭和五九年、六八一?六八二百
61. 弁護側最終弁論、三六頁
94
3 前掲弁論、二三頁
2 前掲弁論、三七頁
政教研紀要 21号 (1997.1)