「テレビ、書籍、映画化まで…」日本〝最恐〟ビルの住人・横澤丈二氏に起こった「数奇な運命」

インタビュー中にホワイトボードは揺れ、時計が落下。ついに天井から伸びた〝白い手〟を本誌記者も目撃……

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3月には著書『日本一の幽霊物件』を上梓。映画『三茶のポルターガイスト』も全国公開された
3月には著書『日本一の幽霊物件』を上梓。映画『三茶のポルターガイスト』も全国公開された

「僕自身、実は小さいころから霊感があるというか、幽霊が見えたんです。記憶にある中で一番古いのは、3歳ころですかね。幼稚園に行っても、友達と一緒に走ったり、クレヨンで遊んでいるつもりが、周囲には1人でお絵描きしているように見られる。

私は友達と思って遊んでいるけど、周りの友達から〝なんで1人で走ったり、お絵描きしたりしているの?〟って何人からも言われるわけです。先生からは怒られるし……。そうなると、さすがに自分でも〝これはおかしい〟って気づきましたね。それで幼稚園に入って初めて〝幽霊が存在するんだ〟〝みんなと違うんだ〟て分かったんです」

先生から母親はたびたび呼び出され、先天的に脳に異常があるんじゃないかと都内の大病院に連れていかれたことも。もちろん、検査をしても身体には異常はない。

両親や周囲に理解されないまま、小学校に入って初めて、同じように〝見える〟友達に出会った。

「私が見えているところに、〝見えてる〟って子がいて。教室にいる幽霊が〝食べ物が欲しい〟っていうんで、私とその子が日替わりで給食の一部を幽霊が立っているところにお供えみたいにあげるんです。同じくらいの年齢の幽霊ですよ。

だけど、当然ですがパンとかは減らないわけです。そういうことしているのを見て、僕らは先生に怒られるわけですよ。そんな感じだから、同級生からは変に思われ、2人ともいじめられましたね」

だが、小学校高学年になると変化がおとずれる。

「5年生くらいになって、自分の中でうまくすみ分けが出来るようになったんです。見えてない人に幽霊の話をしても相手にされないんだなって。

それと、70年代に起こった第一次オカルトブームも、私にとっては救いだった。映画『エクソシスト』が大ヒットし、ユリゲラーも出てくる。世の中に霊的なものや悪魔みたいのが居るっていうのが、世間に認知されてきたし、私のような〝見える人〟が他にもたくさんいるんだって思えたのも大きかったですね」

そんな横澤氏は、大学3年生の秋に俳優の仲代達矢氏が主宰する無名塾を受けて合格。24歳で独立し、プロダクションを創設し劇団を旗揚げする。そして、3年後にこの物件に入居することになるのだが……。

「幽霊を見続けてきて、どこかで〝見ない〟人生があればいいなと思ったことはあります。見え出すと、それで1日ダメになっちゃうときがあって……。

どうしても飛び降りたり、轢かれたりした人を見ちゃうんでね。気分が悪くなったり、仕事に集中しなくてはいけないのに、気になってしまうこともありますからね」

エレベーターで出会ったお掃除おばさんだけでなく、スタジオにはレインコートを着た女性や全裸の子どもたち。はたまた、老婆の生首や巨大な下半身や白い大蛇まで……。30年間で数え上がればキリがないほど、幽霊を目撃したきたという。

ちなみに、スタジオで行われた今回のインタビュー中にも、ホワイトボードが2度揺れて、壁掛け時計は落下。炊いてもいない線香の香りが2度も流れてきて、最後には天井から白い手が出てきて戻るところを、今まで1度も幽霊を見たことのない〝霊感ナシ〟記者が目撃してしまった。

まさに〝最恐〟スポットと呼ばれることだけある怪奇現象の数々。だが、これまで注目されなかったのは、横澤氏が〝見える〟ため、スタジオで起こっている現象は大したことないと思っていたからだ。だが、ひょんなことがきっかけで、その存在がマスコミに知られることになる。

「関西のラジオ番組に出演したときに、夏ということもあって、たまたま幽霊の話をすることになったんですね。そうしたら、機材にトラブルが起きて収録が止まっちゃたんです。それが局内でウワサになって、別の番組である『怪談ラヂオ~怖い水曜日』(関西ラジオ)に出演することになったんです。

怪談集『新耳袋』の著者である木原浩勝さんがMCを務める番組で、それまでスタジオで起こった話や動画などを見せると〝すごい! 本物だ!〟と驚かれた。プロの研究家である木原さんから認められたのは、ちょっと誇らしかったですね(笑)」

そこから数々のメディアに日本〝最恐〟スポットとして取り上げられるのに時間は掛からなかった。そして3月9日に横澤氏は『日本一の幽霊物件 三茶のポルターガイスト』(幻冬舎)を上梓。24日には映画『三茶のポルターガイスト』が全国で公開された。

「このビルの話を本や映画に残したかったのは、そろそろ壊される可能性が高くなってきたからです。築56年経ってますからね。

ウチで起こっている現象は大したことないと思っていたら、実は〝最恐〟って言われるようになった。映画撮影のためにカメラを入れたときは、10人を超えるくらいの霊が壁を〝バンバンバンバンバン……〟と敵意むき出しで激しく叩いてきた。初めての現象だったので、さすがに怖かったですね」

最後に横澤氏に

「こんなに怪奇現象が起こるビルから引っ越したいと思ったことは?」

と質問すると、

「引っ越そうと思ったことは1度もないですね」

と優しい笑顔をのぞかせる。

「小さいころの心の傷って大きいじゃない。だから、イジメられた記憶って、今でも鮮明によみがえるんですよね。〝見えてる〟だけでなんでこんなに差別されるんだろうって。でも、今では見えることが自分のアイデンティティなんじゃなかなって。

だからこそ、このビルに入ってから、なぜか一度も金運が落ちなかった。90年代半ばにある問題が起こって辞めようと思ったとき、スタジオ前の廊下から数人の子どもの声で『大丈夫だよ、大丈夫だよ』って笑い声とともに聞こえてきた。それで頑張って続けたら、盛り返すことができました。ピンチのたびにスポンサーさんが現れたりもした。コロナ禍で公演ができずに、生徒数が減ったりしましたが、そのタイミングでこのビルが注目されて、映画化や書籍の話が出てきた。私の演劇人生はこのビルと共にあると言っても過言じゃないでしょうね」

数々の怪奇現象が巻き起こる〝三茶のポルターガイスト〟ビル。住人にとっては、決して怖いだけではないようだ――。

 

横澤 丈二(ヨコザワ・プロダクション代表、脚本家、演出家)

’64年、東京都生まれ。日本大学芸術学部を経て、’86年に無名塾に入塾。俳優として活躍後、’90年に株式会社ヨコザワ・プロダクションを設立。脚本家、演出家として、テレビ、舞台、映画などで活躍

 

ヨコザワ・プロダクションのスタジオに出てきた白い手…①
ヨコザワ・プロダクションのスタジオに出てきた白い手…①
徐々に伸びてくる…②
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何かをつかむような動きを見せて…③
何かをつかむような動きを見せて…③
また天井の方に戻っていく…④
また天井の方に戻っていく…④
最後には消えてしまった…⑤
最後には消えてしまった…⑤
スタジオでのレッスン中にたまたま撮られた白い手
スタジオでのレッスン中にたまたま撮られた白い手
レインコートを着た女性の幽霊も出現…
レインコートを着た女性の幽霊も出現…
24日から全国公開された映画『三茶のポルターガイスト』。舞台あいさつに上がる横澤氏(左から2人目)
24日から全国公開された映画『三茶のポルターガイスト』。舞台あいさつに上がる横澤氏(左から2人目)
  • 取材・文荒木田 範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)

荒木田 範文

FRIDAYデジタル芸能デスク

埼玉県さいたま市出身。明治大学経営学部卒。夕刊紙、女性週刊誌を経て現職。テレビやラジオなどにも出演中

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