トップ面談「比例候補への支援確認の場だった」 安倍氏、旧統一教会会長と面談か
安倍晋三首相(当時)が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会長らと面談した際のものとされる写真を、朝日新聞は入手した。時期は2013年参院選直前、場所は自民党本部の総裁応接室だ。自民党が組織的な関係性を否定してきた教団との間のトップ同士の面談。背景には何があるのか。(高島曜介、編集委員・沢伸也)▼1面参照
複数の写真が今年初め、朝日新聞の情報提供窓口に寄せられた。
1枚は、安倍晋三氏と共にスーツ姿の3人の男性が並んでいる。背後の壁には歴代の首相の肖像写真や、日本画が飾られているのが見える。
いつ、どこで撮影したものなのか。安倍氏と並ぶ3人は誰なのか。
関係資料などを調べると、3人の素性が判明した。旧統一教会の重鎮だった。1人は08~09年と12~20年に旧統一教会の会長を務めた徳野英治氏、もう1人は13~17年に教団友好団体で保守系の「国際勝共連合」の会長だった太田洪量(ひろかず)氏、そして日本の教団の関連団体トップで、現在は教団の世界会長でもある宋龍天(ソンヨンチョン)氏だった。
別の写真には8人が並んでいた。そのうち2人は自民党の萩生田光一・元経済産業相と岸信夫・元防衛相。写真の背景から、場所は自民党本部の総裁応接室だとわかった。
安倍氏が首相だった時期の首相動静を確認したところ、自民党本部で萩生田、岸両氏と面会していたのは13年6月30日だけだった。「午後1時9分」となっていた。この日は日曜日だった。
写真で安倍氏が左胸に着けていたバッジは東京五輪招致用のものだとわかった。当時の安倍氏の写真をたどると、安倍氏はこのバッジを13年2月ごろに着け始め、同年9月に五輪開催地が東京に決定するまで着けていた模様だと判明した。13年6月30日の面談日と矛盾はない。
この日午後に宋氏が教団系イベントに参加した際に撮影された写真を調べると、宋氏の服装は、安倍氏と並ぶ姿と酷似していた。
安倍氏は何のために教団の最高幹部と面談したのか。
安倍氏が自民党本部で教団幹部と一緒に写った写真の存在が明らかになったことは過去にない。関係者の口は重く、取材は難航した。
徐々に状況は判明した。複数の関係者が面談を認めた。そして、「参院選で自民党の比例区候補への教団の支援を確認する場だった」という複数の証言を得た。
■「ねじれ」の中
12年末の衆院選で民主党に大勝して発足した第2次安倍政権は、衆参で多数派が異なる「ねじれ」状態に直面していた。13年7月の参院選ではその解消を最大の目標に掲げ、過半数を得て安定した政治基盤を築き、長期政権となることを目指していた。
第1次安倍政権は、07年の参院選で大敗してねじれ状態に陥り、首相は退陣し、09年の民主党への政権交代につながった。安倍氏にとって13年7月の参院選は、その雪辱を期す選挙でもあった。
その安倍氏が参院選公示4日前の13年6月30日、自民党本部中枢の総裁応接室に迎えたのは、教団の当時の会長ら最高幹部一行だったという。
その場で、教団側が自民党の比例区に立候補予定の北村経夫氏を支援することを安倍氏らと確認し合ったと、関係者は取材に証言した。元産経新聞政治部長の北村氏は、安倍氏の選挙区がある山口県の出身で、長年親交もあったとされる。
比例区は各政党の得票総数に応じて当選議席数が配分され、党内で個人名得票が多い順に当選が決まる。初の国政選挑戦で、全国的な知名度に欠ける北村氏には、相当数の票の上積みが必要だったとされる。
関係者によると、教団の友好団体幹部だけでなく、教団本体の会長が政治家との会合に参加することは極めて異例という。教団側には、教団会長が安倍氏から直接、支援の依頼を受けることで全国の信者に強く投票を呼びかける狙いがあったという。教団票は6万票とも10万票とも言われる。
この参院選で、自民は改選121議席のうち65議席を得て大勝。「安倍一強」時代が始まった。比例区では18議席を獲得し、北村氏は15番目に入り、初当選を果たした。北村氏の個人名の得票は約14万2千票で、当落ラインは約7万7千票だった。
この13年7月参院選で、教団の組織票が参院選比例区で特に力を発揮することが示されたと関係者はみる。宮島喜文・前参院議員が朝日新聞の取材に、16年参院選で教団側の支援を受けたことを認めている。関係者によると、19年は再び北村氏が教団の支援を受けたという。いずれも当選し、「安倍一強体制」の一員となった。
■点検対象外に
自民党と教団の関係は、22年7月の安倍氏銃撃事件を機に一変した。
事件で殺人などの罪に問われている山上徹也被告(44)は逮捕後の調べに、母親が教団に金を納めて生活が苦しくなり、「(教団を)恨む気持ちがあった」と供述。教団のトップを狙おうとしたが難しく、安倍氏が教団友好団体の行事に寄せたビデオメッセージを見て「つながりがあると思って狙った」という。
自民党議員を中心に政治家と教団側の接点が相次ぎ発覚する中、自民党の茂木敏充幹事長は事件直後から、「党として(教団との)組織的な関係はない」と繰り返した。岸田文雄首相も同様の認識を示し、教団との関係断絶を党の方針として徹底するよう指示した。
自民党は22年9月8日、党所属国会議員と教団側との関係についての点検結果を公表。379人中179人(のちに180人に)が選挙支援や教団関連団体の会合への出席などの接点を認めた。当時の萩生田光一・政調会長、岸信夫・前防衛相らも選挙のボランティア支援を受けたことなどを認めた。だが、茂木氏は「党として組織的な関係はない」との立場を崩さなかった。
安倍氏は亡くなったことを理由に点検の対象から外された。同日の国会の閉会中審査では、立憲民主党の泉健太代表が「安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないか」と岸田首相に迫り、事務所などを通じた調査を求めた。岸田氏は「実態を十分に把握することは限界がある」などと繰り返した。
点検はあくまで議員からの自己申告で、党が公表した後も報道などで新たな接点が次々と明るみに出た。その度に岸田氏は説明と関係断絶の徹底を各議員に求め、教団の韓鶴子(ハンハクチャ)総裁との面会写真が出回るなどした山際大志郎・経済再生相(当時)は22年10月、事実上更迭された。
岸田氏自身も党政調会長だった19年、元米下院議長と党本部で面談した際、教団友好団体トップらが同席していたことが23年12月、朝日新聞の報道で発覚した。面会は教団側が手配し、当初出席予定だった安倍氏の代わりに岸田氏が出席したと複数の関係者が証言した。だが、岸田氏が経緯を説明することはなかった。
昨年10月、文部科学省が教団の解散命令を東京地裁に請求。その文科省トップの盛山正仁・文科相が教団側と政策協定を交わし、21年衆院選で支援を受けていたことも朝日新聞の取材で24年2月に発覚した。野党から盛山氏の不信任決議案が出るなど辞任要求の声が高まったが、岸田氏は「未来に向けては関係を絶つ」と繰り返し、続投させた。「(過去の接点が)判明した場合にその都度、説明責任を果たす」と事後的な対応で十分との認識を示した。いまの自民党総裁選で、教団問題は論点となっていない。
■萩生田氏「写真は私」「記録ない」
萩生田氏は11日、議員会館で取材に応じた。秘書が同席した。
面談時とされる写真を示したところ、「私です」と写真の人物が自分であることを認めた。一方で、「事務所で当時の日程を確認したが、面会記録はなかった」とし、記憶もなく、北村氏の選挙支援について話をしたかも「わからない」と話した。
萩生田氏は当時、党総裁特別補佐で、総裁応接室近くに部屋があったという。来客の際、総裁の安倍氏から急きょ、写真撮影などのために短時間の「陪席」を求められることがあったと説明。そうした場合は日程表に記されず、誰と面会したかも記録されないと話した。
写真の教団側5人の中で知っている人物がいるか尋ねたところ、友好団体幹部1人を挙げた。安倍氏銃撃事件後、教団と自身の関係についての報道を巡って教団側に抗議した際に「連絡を取ったことがある」という。他の4人については「ない」と話した。
安倍氏は22年7月の銃撃事件で死亡。当時の公設秘書ら、連絡先が把握できた複数の秘書に面談や写真について尋ねたが、いずれも「知らない」と答えた。
岸信夫氏は23年に議員を退き、病気療養中。信夫氏の当時の公設秘書は現在、長男で衆院議員の信千世氏の事務所に在籍するといい、信千世氏の事務所は取材に、面談について「事務所に在籍する秘書たちに確認したが、いずれも確認ができなかった」と文書で回答した。
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