2024.09.17

悠仁さまの「筑附」で落ちこぼれ、20歳で親から勘当→池袋のキャバクラの黒服に…元AKB48劇場支配人が告白する「激動の半生」

2005年、秋元康氏のプロデュースにより「会いに行けるアイドル」をコンセプトとして誕生したAKB48。大規模な握手会、選抜総選挙など画期的な手法で一時代を築いたこの国民的アイドルグループの黎明期から最前線で戦い続けた男がいた。元AKB48劇場支配人・戸賀崎智信氏が初めて明かす、激動と奮闘の記録。

あのときの考えは正しかった

〈どうも戸賀崎です〉

いまでもよく覚えている。2005年の7月14日、AKB48オフィシャルブログはこの一文から始まった。当時は僕が管理人をしていたので、ファンからは「トガブロ」と呼ばれていた。久しぶりに読んでみると懐かしい。そして、笑っちゃうくらいに熱っぽい。

AKB48劇場があるドン・キホーテ秋葉原店 photo by istock

〈今日は例の秋葉原48劇場の候補地のとあるビルに面接に行って来ました。まだ、契約はしていないのですが多分ここでやることになるでしょう!早く皆さんに場所を教えたいです!!〉

 

このブログを投稿した当時、メンバーはおろか劇場の場所すらまだ正式に決まっていなかった。でも僕は確信していた——このアイドル育成システムは必ず成功する、と。

その後、AKB48劇場の支配人として約8年間、メンバーらを間近で見続け、あのときの考えは正しかったとより強く思うようになった。何者でもなかった女の子たちは「会いに行けるアイドル」として一世を風靡し、いまもさまざまな分野で活躍している。

関連記事