遅くなりましたが、昨夜のNHKBS英雄たちの選択『信長は本当に天下を狙ったのか?』における織田信長の矮小化仮説に反論したいと思います!
■信長は中世の権威を尊重しており忠実だったという仮説について
朝廷・足利幕府等の既存の中世権威を破壊し、新たな価値観を生み出した革命児という従来の信長像は実は虚像であり、実際には足利幕府を非常に尊重するような保守的で堅実な実務家だったというものです。根拠としては、実際の京都上洛(足利義昭を15代将軍につける)の2年も前に義昭から要請を受けており、当時の信長の居城であった小牧山城・岐阜城でも義昭を迎える準備(近世風の石垣等)をしていたということでした。
たったこれだけの根拠で、信長像を180度転換させるような番組の持って行き方には、正直のところ疑問、不満、怒りでした。信長は足利幕府という中世権威を、自らの最終目的(近世的な合理的国家設立)のために巧妙に利用しただけです。いくら性急な信長でも、まだ尾張国・美濃国の2か国の領主だった時点では、それが必要だっというわけです。義昭を将軍に立てたこと以外にも、この頃の信長の粘り強さ(美濃・近江攻防戦等にける)は驚異的なものであったことを忘れてはいけません。力もないのに思うままに行動するのが革命家ではないのです。
これら信長の必死の努力を取り上げて、保守的な人物とするのは大きな間違いです。力を得た後の信長は、足利幕府を滅亡させ、さらに中世権威の象徴的存在であった宗教勢力(比叡山延暦寺・一向宗)を苛酷なまでに葬っているいるではありませんか。一説には朝廷さえ無用であると考えていたといいますし…。だいたいそんな保守的な人物が、兵農分離という画期的な軍事政策を考案し実行できるのでしょうか!
■信長が唱えた天下布武は畿内に限定されていたという仮説について
宣教師ルイス・フロイスの記録だけで、信長が唱えた天下布武の範囲が畿内(山城国・大和国・摂津国・和泉国・河内国)に限定されていて、決して全国統一の意志はなかったという仮説でした。本当にこの記録だけで、当時の『天下』という言葉の定義を決めつけたことは、あまりにも乱暴な仮説であると思わざるを得ません。スポット的な記録や史料を大げさに取り上げて視聴率を伸ばさねばならないほど、この番組はテーマが不足しているのでしょうか?
専門の歴史学者さんたちが、どんな気持ちでこの番組を見ていたかと想像すると……。
私は拙著において信長の人物像(キャラクター)をつくりあげるにあたり、彼の生い立ち・幼少時の家庭環境・地域環境・時代環境を検証し、また持って生まれた人間としての資質を徹底して追求したつもりです。このことから得た彼の本質は、とことんまでの合理性の追求であり、そのための凄まじい執念でした。