小学校のかけ算の順序問題における対立の構造
小学校のかけ算の順序は、かけ算の定義に起因している。したがって先に定義を確認し、その批判と反論についてまとめ、なぜ対立が起きるのかを思案した。
かける順序はどこから来るのか?
小学校でかけ算は、九九、整列したモノの個数、同数累加、面積といった問題で現れる。
かける順序が問われるのは、九九と同数累加である。
実は、小学校のかけ算は、同数累加として定義されている。
(理由は、九九との相性が考えられる。)
ある教科書におけるかけ算の説明
教科書を手掛けている新興出版社啓林館のサイトによると、同数累加とは、
同じ数を何回も加えることを同数累加といいます。例えば,4+4+4 は4の累加です。
抽象的にいえば,自然数倍は,同数累加に他なりません。しかし,実際的な意味からいうと,まったく同一のものではありません。例えば,兄は80円の鉛筆を,弟は80円のノートを,妹は80円の消しゴムを買ったとき,買い物全体の値段は,80+80+80(円)です。これは,80×3 として計算することができますが,事柄自体はたし算であって,かけ算ではありません。だから,同数累加すなわちかけ算と考えるのはよくないのです。
また順序について、直接触れられているわけではないが、
かけ算の指導では,上のように,「1だいに4人ずつ3だい分」と考え,4×3と式にかけることを理解させます。
としている。
かける順序は、かけ算の定義にあり
つまりかけ算とは、同数累加であり、
「1つ分の数」と「いくつ分」が与えられ、その総数を求めるとき、
と回答せよという文章問題である。
批判と反論
wikipediaのかけ算の順序問題において、大きく2つの批判がされている。
何を「1つ分の数」、「いくつ分」とするかは、ひとそれぞれ
かけ算に順序は存在しない
この反論を見ていく。
1. 何を1つ分の数、いくつ分とするかは、人それぞれ
数学者の遠山啓が、「カード式配り」という問題を提起している。
例えば、「カードを3人に4枚ずつ配るとき、合計何枚?」という問題は、
「カードを1枚ずつ3人に配ることを4回繰り返すとき、合計何枚?」と考えても同じという主張である。
前者は
しかし「1つ分の数」や「いくつ分」は文章問題によって客観的に与える事ができる。
カード式配りにおいては、前者が出題されて、
また割り算には、「等分除」と「包含除」があり、前者は「1つ分の数」、後者は「いくつ分」を求めるとしている。
ただこの時、文章を読み解く力だけでなく、言葉の意味を知っておく必要がある。
例として、「きじは」による距離の導出問題において、「はやさ」という言葉が、時間を1つあたりとしていることを知っておかなければ、何が1つ分になるのかが分からない。
2. かけ算に順序は存在しない
これは、かけ算が代数的構造において、交換法則が成り立つからである。
私達はこれを公理(大前提)として受け入れ、具体的な数式を使って確認しているに過ぎない。
論文(PDF)「環と加群についての知識は算数を教えるのに必要な最小限の数学的素養か」
では、「算数教師たるもの環と加群ぐらい最低限の素養である」という批判に対し、
環と加群について知っていることが「最小限の素養として要求される」のであるから、「環と加群についての知識なしには、算数は教えられない」と主張していることになる。しかし、その根拠は全く示されていない。
と指摘している。
対立の構造
かける順序の存在は、かけ算を同数累加と定義しているからであり、「かけ算に順序なんか存在しない」、「環と加群を勉強するべき」といった批判は、かけ算を代数問題として見ているからである。
つまり対立の構造は、まず最初にかけ算が、同数累加として定義されているという前提を知らず、算数や数学の勉強は、具体性を一般化していくことの繰り返しであるという認識の欠如も見うけられ、意外と根深い物となっている。
一旦、九九との相性が良い同数累加として学び、そこからかけ算には、順序が存在しないんだなと学ぶステップアップ(ここに驚きがあるはず)こそ、算数や数学の醍醐味であると考える。
参照
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