Defending the weeklies, as well as Connell and his collaborators, is the unflagging media critic and campaigner for human rights Debito Arudou, who wrote that WaiWai was an essential guide to Japanese attitudes and editorial directives. "Too many Japanese believe that they can say whatever they like in Japanese ('that statement was for a domestic audience' is very often an excuse for public gaffes), as though Japanese is some secret code," he wrote.Justin Norrie
July 5, 2008(The Sydney Morning Herald)
waiwai記事や、コーネルそして、その仲間を擁護するのは、メディア批判や人権活動にたゆまぬ努力をしておられる有道出人さんである。WaiWaiは日本人の態度やや編集方針を知るには絶好の指針になるだろう、という。
「日本語なら何言ってもいい、と思っている日本人が多すぎますね(へますると「いやあれは国内向けの発言でして」といって誤魔化すことが多い)日本語は暗号じゃないんだからねええ、」と書いておられます。
おねえたんと戯れる風俗店を外国人に開放し、外人用に芸者と遊ぶ割引チケットを獲得し、日本に関する嘘コメントも訂正することを拒絶し、根拠の薄弱な発言をたびたびされる「人権活動家」有道さん、ならではの変態記事に関するご発言ですね。
海外記者までこのような「人権活動家」有道くんの発言を堂々と引用するような偏った英語圏の状況にあるのです。
事実なんてどうでもいいのです。
ワイワイの場合と構造は同じでしょう?
それらしければOkay。
なみなみならぬ努力をしている「人権活動」がそんなことを言っていると言えば、それらしく聞こえる。80%の日本人がなんとでもセックスする、という風に%をだせばそれらしく聞こえるのと同じでしょ。
間違った方法で抗議すれば、飛んで日にいる夏の虫で、赤子の手をひねるように逆手に取られるのは目に見えています。
例えばの話、この記事書いた記者に、誰かが、「おい、お前、ちゃんと有道くんについて調べたんか?あんなことやっててお前の感覚では「人権活動家」なんか、あぁ?????、ちゃんと調べて記事書いてるのか?「空」さんのようにはじめからいきすぎを注意していたブログは記事にせんのか?」と身元調査して、詰め寄ってみたい気がする人がいない、とは・・・限らない・・・というか気持はわかる・・・といえばわかる。(^_-) しかし、それやっちまったら、すべておじゃんなわけです。おじゃんどころかそっちのほうがネタになって攻撃されちまうわけです。
そこらへん、お互いに注意しあっていきましょう。批判というのは非常な微妙なところでぎりぎりの線にとどまっていなくてはいけない。私のもいきすぎがあったら是非注意してください。
It's like a Korean paper is quoting from Kim Jong Il on a issue in Japan.
有道くんのコメントは的外れですが、しかし、英語圏ではやっぱり日本はまだ、そんな感じなんだろうな、ということで安心するのかもしれませんね。
私は誰が一番悪い、とは一概にはいえないかもしれない、とは思いますけど、日本人に責任の一端があることはたしかでしょうね。
馬鹿馬鹿しいけど、一つ一つ反論していく。
日本人の極端な言動も非難していく、そういった作業が必要かなとも思います。