今年7月29日に発売された「ドラクエ」の新作『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が絶好調だ。
「ドラクエ」こと「ドラゴンクエスト」シリーズが、言わずとしれた国内RPGの大人気タイトルであることは強調するまでもない。本編としては11作目となる本作も、発売から10日後の8月7日には、国内出荷本数とDL販売数の合計が300万本を突破。まさに「王者」の貫禄を改めて見せつける数字を叩きだしている。
さて、そんな「ドラクエ」新作であるが、今回ほど発売前にメディアやネットでの期待感が薄かったナンバリングタイトルも、珍しいのではないだろうか。
それこそ近年の――特にディレクターに藤澤仁氏がクレジットされて以降の――「ドラクエ」シリーズは、次々に新しいプラットフォームへの挑戦を繰り返し、不安と期待で発売前から物議を醸してきた経緯がある。
『ドラクエVIII』での3Dマップへの本格移行、『ドラクエIX』での携帯ゲームへの挑戦、そして『ドラクエX』での誰もが驚いたオンラインゲーム化と、日本産RPGの「王者」が臆せずに全く新しいゲームプラットフォームへと挑んでいく光景は、常にメディアやゲーマーの注目を浴びてきた。
それに対して、今回の『ドラクエXI』で謳われたのは……「原点回帰」。しかもプレイしてみれば分かるように、非常にオーソドックスな日本的RPGを丁寧に仕上げてきた作品でもある。これが発売後、冷淡でさえあったメディアの反応をよそにファンから高い評価を受けた理由は、一体どこにあるのだろうか?
……というわけで、我々が向かったのは新宿にあるスクウェア・エニックス本社。その理由は、もちろんたった一つ。「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親・堀井雄二氏に会うために他ならない。
それでは、以下に電ファミでは初となる、堀井雄二氏インタビューをお届けする。生みの親とともにシリーズ30周年の歴史を振り返り、「原点回帰」を謳った本作の狙いと創作への想いを訊いた。
聞き手/TAITAI、稲葉ほたて、斉藤大地
文/稲葉ほたて
カメラマン/野口彈
『ドラクエXI』はオープンワールドも検討した!?
――今日は多忙な中、お時間をいただきありがとうございます。まず今回の『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』(以下、『ドラクエXI』)は、既にこのインタビュー時点で出荷本数300万本を突破していますが、これは予想されていましたか?
堀井雄二氏(以下、堀井氏):
おかげさまで、好評みたいですね。反応が温かくて、嬉しいですよ。
今回の作品は30周年ということで、昔からのユーザーさんと新しいユーザーさんの両方を楽しませようと思いました。だから、導入を分かりやすくしてOPムービーを入れて、攻略サイトなしでも解ける作りを目指しました。
一方で、オーブを集めたり、姉妹のネタを入れたり、兄弟の店が競い合っていて、交互に話しかけると値段がどんどん安くなる、みたいな懐かしいイベントも入っていたり……(笑)。
――実のところ、今回の作品には驚きました。近作、特に『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』(以下、『ドラクエVIII』)【※】以降、DVD-ROMでの3Dゲーム、携帯機、オンライン……と、常にプラットフォームレベルでの挑戦を重ねてきた「ドラクエ」が、ここに来て非常にオーソドックスな「王道RPG」を提示してきたのですから。これはなぜでしょうか?
※ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
スクウェア・エニックスより2004年に発売された、PlayStation 2用ソフト。従来の作品とは異なり、後方視点の3Dグラフィックが採用されたことが特徴。
堀井氏:
やはり、30周年だったからです。30年というのは、とてつもなく長い時間です。そこで集大成的に色々なものを詰め込んで、30年の歴史を感じるような、時間をテーマにしたストーリー作品を作ってみたいなあ、と思ったんですね。
まあ、本当は最初「オープンワールド」への挑戦も考えたんですけどね。
――えっ! オープンワールドですか。今年出た『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』なんて、まさにその挑戦で大成功を収めましたが、「ドラクエ」でも構想はあったんですね。
堀井氏:
いやあ、『ゼルダ』の新作は楽しかったですね。もう徹底的にやり込みました。近年では『キャンディークラッシュ』【※】と並んで、ハマったゲームでした(笑)。
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ただ、「ドラクエ」の30周年という節目を考えると、僕たちが作るものはレールをある程度敷いた物語で、その脇道でオープンワールド的な楽しみも味わってもらう程度でいくべきだろう、と判断しました。
オープンワールドは自由度が高い反面、諸刃の剣の面もありますね。ユーザーが何をしたらいいか分からなくなる難しさも、ありますからね。あと、最初からどこでも自由にいけてしまう世界は、大きな物語の導線を作りづらいと思いました。
※キャンディークラッシュ
キング・デジタル・エンターテインメントが2012年にリリースしたFacebookアプリ。その後iOS版、Android版が続いてリリースされた。同じ色のキャンディーを3つ添えて消していくパズルゲーム。Facebookと連動させることなどにより生まれる「適度なソーシャル性」が、人気の理由のひとつ。
――レールを一本引いたストーリーの優しいゲームで、日本人にRPGをゼロから啓蒙した堀井さんらしい言葉ですね。ドラクエ以前の時代には『Wizardry』【※1】や『Ultima』【※2】のような、初心者がそのまま遊ぶには難しいRPGしかなかったですから。
堀井氏:
ええ、僕が「ドラクエ」を最初に作ったとき、RPGに物語というレールを敷いて「レールの上で安心させた上で、いくらでも寄り道できるようにする」ことを考えたんです。
僕は早い時期からRPGをプレイしていて、「なんて面白いシステムなんだ!」と思った一方で、「ゲームの目的が与えられていないから、普通の人には何をしていいのか分からないのも事実だな……」と、残念にもなったんですね。そこで僕は、「お話のレールを一本引いてみよう」と考えました。それで作ったのが、最初の『ドラゴンクエスト』(以下、『ドラクエI』)【※】です。
でもね、そのレールは「なんとなく」であるべきなんですね。逸れたくなったら、逸れていいんです。「こっちに行ってみようかな」と思ったら、どんどんレールから外れていい。
※ドラゴンクエスト
1986年にエニックス(当時)より発売されたファミリーコンピュータ用ゲームソフトであり、家庭用ゲーム機におけるRPGの代名詞。第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストで出会った堀井雄二と中村光一が、当時アメリカでブームだったRPGを元に制作。シナリオを堀井雄二、ディレクターを中村光一氏、音楽をすぎやまこういち氏、イラストを鳥山明氏が手がけた。
――でも、いきなり自由な荒野にポーンと投げ出されるより、実は敷かれたレールの上から「お前らの言うことなんて聞いてやるもんか!」と逸脱していくときの方が、人間は自由を感じられるかもしれないですから(笑)。
堀井氏:
人間には「寄り道の楽しさ」ってあるでしょう。だから今回のゲームも、寄り道の要素はふんだんにあります。ストーリーも素材集めもふしぎな鍛冶も、あるいはマジックスロット(マジスロ)【※】もメダルも、全部ね。色んな要素を入れましたから。
ただ、一つ言うと――「寄り道」で大事なのは、ユーザーが「安心してレールから外れていける」ことなんですね。そこは大事にしています。
※ちなみに、過去に電ファミでは何度か『ドラゴンクエスト』の優れたゲームシステムをとりあげている。ゲーム開発者・岩崎啓眞氏の連載で語られているクリア保証のメカニズムへの指摘のほか、ゲームライター・多根清史氏の連載で語られている『Ultima』のフィールド画面と『Wizardry』の戦闘画面からインスピレーションを得ているという話などを参照されたい。(編集部注)
今、ドラクエの本編が果たすべき役割とは
――今回の取材では、ドラゴンクエストを通して「王道とは何か」を考えてみたいんです。今回も含めて、「ドラクエ」が何を守って、逆に何を新しくしてきたのか。それで言うと今作は、『ドラクエVIII』以降の次々に新しい手法に挑戦していく「ドラクエ」と比較すると、ある意味では保守的とも捉えられかねない気もするんです。例えば、スマホの選択肢はなかったのですか?
堀井氏:
なかったですね。
そもそも、既にスマホで『星のドラゴンクエスト』【※1】や『ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード』【※2】が出ていますから、あえて本編でスマホに挑戦する必要はないです。むしろ、だからこそ本編はゲーム機で、どっしりと遊んでもらいたかった。
※1 星のドラゴンクエスト
2015年にスクウェア・エニックスよりリリースされた、基本無料のスマートフォン用ゲーム。移動や戦闘はオートで行われる。配信開始からわずか一週間で300万DLを記録し、人気を博した。
ストーリーをメインにしたのも、30周年の節目と同時に、そういう発想はありました。今や「ドラクエ」にはスピンオフがいっぱい生まれていて、“システム的な意味での挑戦”はそちらでたくさん行われていますよね。
古くは「ドラゴンクエストモンスターズ」【※3】がそうだし、最近では、ビルダーズ(『ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ』【※4】)や、ヒーローズ(「ドラゴンクエストヒーローズ」シリーズ【※5】)もそう。
だったら、逆にいま本編で取り組むなら、システム的な挑戦をするのではなくて、ストーリーメインで勝負してみるのがいいんじゃないかと思ったんです。
※2 ドラゴンクエスト どこでもモンスターパレード
元は2013年にリリースされた、Yahoo! JAPANおよびハンゲーム専用ブラウザゲーム。2015年6月にスマートフォン版がリリースされた。
※4 ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ
2016年にスクウェア・エニックスより発売されたサンドボックスタイプのゲーム。ストーリーモードとは別にフリービルドモードという、「知られざる島」で自由にモノづくりを楽しめるモードがある。対応ハードはPlayStation 4、PlayStation 3、PlayStation Vitaで、2018年春にはNintendo Switch版の発売も予定されている。
※5 「ドラゴンクエストヒーローズ」シリーズ
従来のようなターン制ではなく、リアルタイムでの戦闘が特徴のアクションRPG。歴代シリーズの仲間キャラクター達を個々に切り替えながら操作できる。第1作目は、2015年に発売されたPlayStation 3、PlayStation 4用ゲームソフト『ドラゴンクエストヒーローズ 闇竜と世界樹の城』。
――なるほど。「ドラクエ」って、ゲームという一ジャンルに留まらない日本の代表的な「IP」【※1】ですからね。本編以外にも様々に展開が広がり、いわばマーベル・シネマティック・ユニバース【※2】や「ガンダム」のような存在としてある。ナンバリングタイトルの役割も、その中で変わり始めている、という感じでしょうか。
※1 IP
Intellectual Property。知的創作物のこと。
※2 マーベル・シネマティック・ユニバース
マーベル・スタジオが製作するアメリカン・コミックヒーロー映画作品が共有する架空の世界、及び作品群。『アイアンマン』、『インクレディブル・ハルク』、『アベンジャーズ』などが代表作に挙げられる。1人のヒーローが主役を務めるもの、大勢で協力して悪に立ち向かうものまで、作品群が枝葉のように広がっていくことが特徴。
堀井氏:
僕としては、『ドラクエI』のロト伝説【※】のように、ここから色んな伝説が生まれるといいなと思って、作りました。プレイしていただければ分かりますが、集大成でもあると同時に、新しい出発点でもあるような作品になっているはずです。
ただね……「ドラクエ」って、僕的にはそもそも「ゆるい感じ」の作品なんですよ(笑)。だって、ファンタジーなのに現代的な要素も入ってるし、学園なんかも出てくる。面白ければ何でもいい、というノリでやってきた作品です。
※ロト伝説
初代『ドラゴンクエスト』に端を発する、シリーズ内で関連し合う世界における物語設定のこと。とりわけ『ドラゴンクエスト』、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が、それ以降のシリーズタイトルと区別されるかたちで「ロト三部作」と呼ばれている。
――その「ゆるい感じ」を堀井さんの口から聞いたのは、初めてという気がします。
堀井氏:
僕の中では、一種のテーマパークのようなイメージです。色んな「ドラクエ」の世界があって、その中で色んな遊び方があればいい。確かに最初は容量も少なくて、『ドラクエI』は簡素なものだったけど、どんどん世界が広がり、スピンオフも生まれ、路線が違うところでは「いただきストリート」【※】に「ドラクエ」のキャラが登場したり……(笑)。
※いただきストリート
1991年にアスキー(当時)より発売されたファミリーコンピュータ用ソフト『いただきストリート 〜私のお店によってって〜』を第1作目とする、ボードゲーム形式のゲーム。『モノポリー』のルールをベースに、株やギャンブル要素など、独自の要素を取り入れたゲームとなっている。
――確かに、「ドラクエ」はIPなんていう便利な言葉を僕たちが知る前から、ずっとそうですね(笑)。
ただ、その一方で気になることもあります。昔CEDEC【※】の基調講演で、堀井さんが手塚治虫と藤子不二雄を引き合いに出して語ったことがありますよね。そのとき、堀井さんは「読者と一緒に成長していった手塚治虫」と「いつまでも子供に向けて作って、いつもお客さんが入れ替わっていた藤子不二雄」なら、「ドラクエ」は藤子不二雄でありたい……と仰っていたんですね。
※CEDEC
Computer Entertainment Developers Conferenceの略。ゲーム会社からなる一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会 (CESA)が主催する、日本国内最大のゲーム開発者向け技術交流会のこと。1999年に第一回が開催されて以降、毎年開催されている。
堀井氏:
ああ、そういう話をしたことがありましたね。
――「ああ、これが堀井雄二という人なんだ」と、とても印象的だったんです。ただ、それを踏まえると、今回の『ドラクエXI』はちょっと手塚治虫的ではないですか? 現在の堀井さんにとっての「ドラクエ」を知りたいんです。
堀井氏:
僕の中でその気持ちは変わっていないですが、長く遊んでくれているユーザーさんもいますからね。確かに、今回は少し大人向けなところはあった気はします。ストーリーも、お子さんがやるには難しかった箇所もあるかもしれない。
でも、お子さんはお子さんなりの楽しみ方があると、僕は思いますよ。ただモンスターを倒してるだけで楽しいというのは、あるじゃないですか。分かんなくてもバンバン戦って、強くなっていって嬉しい……みたいなね。
――まあ、マジスロで何かに目覚めている子供もいると思いますからね(笑)。それに昔の作品でも、例えば『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』(以下、『ドラクエV』)【※】で、主人公の人生の“苦み”みたいなものを、本当に子供の頃の僕たちが理解できていたかと言えば……確かに、違ったと思います。
※ドラゴンクエストV 天空の花嫁
1992年にエニックス(当時)より発売された、スーパーファミコン用ソフト。スーパーファミコン用としてはシリーズ初。親子三代にわたるストーリーや結婚といったイベントがあることが特徴。後にPlayStation 2版やニンテンドーDS版、スマートフォン版が発売されている。
ドラクエが挑んだ、日本人への「RPG普及大作戦」
――お話を聞いて、やはりこの30年に「ドラクエ」は、本当に日本人とともに成長してきたことを感じました。そもそも「ドラクエ」が登場したとき、日本人はRPGなんて概念はほとんど知らなかったわけですよね。
堀井氏:
当時の話をすると、まず「ドラクエ」は「マニュアルを見なくても遊べる」というコンセプトを立てたんですよ。
――ユーザーが説明書なんて読まない前提で、ゲームの中での誘導やUIで感覚的に理解させていくというのは今や当然ですけど、相当に早い発想ですよね。しかも、それをRPGという概念さえ知らない人間たちに向けて、いわば堀井さんは「啓蒙活動」を始めたわけじゃないですか。
堀井氏:
まあ、僕自身がマニュアルを読まない人だったんでね(笑)。
だから、パッと見て「あ、そうか」で何となく分かるようにしたかったんです。コマンド名も「はなす」や「どうぐ」にするだけで、一目で分かるじゃないですか。こういう工夫をたくさん入れました。
『ドラクエI』で言うと、僕らは最初に7マス×7マスくらいの王様の部屋へ、プレイヤーを閉じ込めたんですよ。すると、当時はアクションゲームが主流の時代でしたから、一応「どうなるんだろう」と思って、プレイヤーがボタンを押してくれるんですね。
すると、コマンド画面が開きます。そこを見ると「はなす」とか「あける」とか「しらべる」があって、それを使ってると王様と話したり、カギを見つけたり、扉を開けたりして、もう下に降りる頃にはほとんどのコマンドが分かってしまう。
――『スーパーマリオブラザーズ』の1-1などと並んで、プレイヤーへの導入の教科書としてしばしば挙げられる、あの冒頭ですね。
堀井氏:
あと、僕が当時思っていたのは、温かみやワクワク、そして安心感があるゲームです。一言で言うと――「人間くさい」ゲームにしたかったんです。
あの頃のコンピューターって、冷たいイメージがあったんですよ。だから、まずは片仮名ではなくて平仮名の文字にして、セリフもなるべく人間味のあるものにした。そして、『Wizardry』みたいに一度死んだら取り返しのつかない内容にはしないで(笑)、ちゃんと安心して遊べるような温かいゲームを目指しました。
――堀井さんが日本人にRPGを普及させるために、人間くささが必要だと思ったのはなぜなんですか?
堀井氏:
なんでだろう……(笑)。
でも、僕は人間くさいものが好きだったんですよ。一番最初に作った『ラブマッチテニス』【※】も、テニスゲームなのにキャラクター性を入れて、人間らしい台詞を入れています。「いただきストリート」もそうでした。だって、対戦相手が人間くさい方が、負けたときや勝ったときに感情が湧くでしょう。
僕はコンピューターに、どこかほのぼのしているところや、ダサいところを入れてあげたいんです。僕の中では「ドラクエ」らしさとして、そういうワクワクした感情が湧いてくる要素は常にあるんです。
※ラブマッチテニス
1983年にエニックス(当時)から発売されたテニスゲーム。エニックスが開催した、第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストに際し、すでに週刊少年ジャンプでライターとして活動していた堀井雄二が、PC-6001でマシン語によってプログラム。コンテスト取材をすると同時に、自身の開発した本作が入選したというエピソードは有名。ゲームとしては、のちのテニスゲームに連なる手前側のコートが幅広の斜め視点で、対戦相手の選択時や、ゲームオーバー時などに、ちょっとした堀井節の効いたテキストが読める。
――そこで言うと、やはり堀井さんが「ドラクエ」を作る前に、出版業界で漫画原作者をされていたのは大きいのではないでしょうか。
堀井氏:
そうですね。でも大きかったのは、むしろ頭が完全に理科系だったのに、仕事としてはライターをしていて、なんだかファジーな話が好きだったことかもしれませんね。
もちろん、漫画の原作者をしていたことも、とても役にたっています。例えば、「ドラクエ」には基本的に地の文がなくて、セリフだけでストーリーを進めますよね。そこはかなり意識してやった部分ですが、それは漫画が吹き出しだけでストーリーを全て語るのと同じですよね。やっぱり、人間は地の文より、2、3行のセリフで語られた方が読みやすいと思います。
――確かに。ちなみに、漫画家で影響を受けた方はいるのですか? 漫研だったので、きっと一通り読んでいるとは思いますが。
堀井氏:
そうですね、結構います。手塚治虫さん、『あしたのジョー』のちばてつやさん、本宮ひろ志さん【※1】、川崎のぼるさん【※2】、永井豪さん【※3】……当時は、ほとんどの漫画を読んでましたから。もちろん、「ガロ」【※4】なんかも好きでしたよ。つげ義春さんに林静一さんに……もう色々と。
※1 本宮ひろ志
1947年生まれ。日本の漫画家。『サラリーマン金太郎』、『男一匹ガキ大将』などの代表作で、1970〜80年代の週刊少年ジャンプを支えた作家のひとり。
※2 川崎のぼる
1941年生まれ。日本の漫画家。『巨人の星』、『いなかっぺ大将』などの作品で知られる。
※4 ガロ
1964年から2002年まで青林堂が刊行していた漫画雑誌の名称。青林堂創業者の長井勝一が初代編集長を務めた。商業的な流行漫画とは一味違う、実験的な作品や、作家性の強い作品を中止に構成されていた。不条理なタッチで人間の情念を描き出す漫画家、随筆家・つげ義春や、日本的な叙情をたたえた繊細な画風で人気を集めるイラストレーター、漫画家、アニメーション作家・林静一をはじめ、60〜90年代半ばまでのサブカルチャーの下支えとなるような、個性的な作家を続々と輩出した。
あと、漫画ではないけど影響を受けたのは、司馬遼太郎さん【※5】。学校の年号や事実を覚える歴史の授業は苦手だったけど、彼の書く『国盗り物語』などの小説は大好きでした。それから、星新一さん【※6】のショートショートも好きですね。淡々とした世界観で意表を突いてくるあの感じが好きで、だいぶ読みました。
※5 司馬遼太郎
1923〜1996年。日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』、『国盗り物語』などの作品で知られる。