現政権の政治のありかたに批判的な「リベラル」寄りとされる立場の人たちでも、SNSだと「これ1つを認めたらこんなに悲惨な未来がきてしまう」式の、よくいえば慎重に未来を見据えて、しかし悪く言えば針小棒大な表現によって「恐怖すべき未来」を派手に示すことで、意見の拡散を試みている人たちは少なくない。 その結果、たとえその因果関係が十分な合理性とともに提示されていないとしても、そうした「恐怖すべき未来」への恐怖へと、積極的に自分の身を投じる人も多くいる。味方が増えるならそれでいいのだろう。 しかし、そうした「恐怖すべき未来」を用いた政治扇動は、マイノリティの権利を剥奪し、差別を温存・強化するためにも簡単に使われてしまう。 移民を少しでも受け入れると治安が悪くなるとか、女性がレイプされるとか(飼い猫が食べられるとか)、トランスジェンダーの権利を少しでも認めると性犯罪が増えるとか。 そこに合理的な因果関係なんて存在しない。リベラルも保守も関係ない。針小棒大な表現によって「恐怖すべき未来」へのビジョンを無理やり共有させ、情動の渦に巻き込むようなSNSの政治は、政治的な左右を問わず、やるべきではない。