慶應義塾で毎年新入生に配布される(今は知らないが)『福翁自伝』(福沢諭吉自伝)には、福澤が傘を刀に見立て「おいそこの百姓、ここの地名は?」と横柄な態度で聞くと百姓は丁寧親切に答え、 次に紳士的かつ丁重に「恐れ入りますがここの地名をお教えください」と言うと百姓は福澤を馬鹿にして答えない、というエピソードが収録されている。 これは田舎(特に西日本)の公務員では現代も同じで、こちらが丁寧に言えば舐めたことをし出し、横柄な言動をとれば誠実に仕事をする。 私が以前、鹿児島県奄美市に旅行したとき、最初普通に丁寧に接していたら、島民は民間から公務員に至るまで最悪の態度を示したが、とある有識者に「あそこでそんな丁寧な態度しちゃダメですよ!」とアドバイスを受け、「そこの土人、ちょっとこい」と変えたところ、ホテル従業員から警察官にいたるまで皆親切で素晴らしい人になった。 ところがこの傾向は東京だと逆転する。横柄な態度をとれば反感を買い門前払いされるが、丁寧に話せば誠実に対応してくれる。 もちろん東京でも、知的な訓練を一切必要としない職業の人々にはこの傾向にあり、試しに夫を同伴させ、喜平ネックレスをつけ、派手なシャツと蛇革靴をはかせたところ、あらゆる「知的能力を必要としない職業の方々」のサービスが向上し、素晴らしい仕事振りに満足させられたことがある。 さて問題は、そうした人々が民主主義によって選出した議員だ。 当然、横柄な態度が産業の合理化を産むと錯誤し、周囲の同意を得るという民主国家の議員としての基本的な仕事を忘れているパーソナリティーとなる。 その結果が、国民の同意なくすすめらた再生エネルギーや、先のLGBT法として具現化された。 田舎から出てきた議員が東京で横柄な態度をとる。悪循環だ。 突き詰めていくと、自国を守る軍隊に督戦隊が必要になる過程だ。 民主国家では同意による統治が前提のため兵士も同意により国を守るが、そうではない国々では督戦隊といい、立ち止まった自軍の兵士を背後から数名射殺する。それをみた味方兵士が軍務を頑張るという構図がある。 まさに、「横柄な態度が誠実さを産む」の最終形態がこれであろう。 本当にそれでいいのか。 恐怖でしか自分を律せない人々は、多くの場合、経済力もない。 経済力とは自律により成るものだからだ。 他律しかない者に大金を稼ぐこと出来ない。 民主主義が正常化するには、単に国籍や居住地だけでその参加資格を得るのではなく、 国籍と居住地に加えて直税を必要とすべきではないのか。 すでに多くの国民は支払うよりも受け取る税金が多い。 なればこそ、直税制限が今こそ必要なのではないか。 代表無くして課税なしではない。 課税なくして代表なしなのだ。