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心的外傷後ストレス障害、あるいはPTSDの治療薬として[米国で]正式に認可されている薬品は2種類のみだが、いずれもあらゆる人に効くわけではない。従来どおりの薬物治療やセラピーでは効果が見られない場合もあり、症状の緩和のためにサイケデリックドラッグとして知られるMDMAの使用を求める患者たちもいる。
米国では、MDMAをはじめとするサイケデリクス医療の合法化に向けた機運が高まっている。6月は、MDMAと心理療法との併用について臨床試験を重ねてきたライコス・セラピューティクス(Lykos Therapeutics)にとって、併用の効果を証明する絶好のチャンスだった。だが6月4日に開かれた米国食品医薬品局(FDA)の諮問委員会では、MDMAの認可を進めるための根拠がまだ十分に整っていないという意見が大勢を占めた。その治療法の有効性を認めたのは11名の委員のうちわずか2名に留まり、さらにその利点がリスクを上回るとしたのは1名だけだった。
臨床試験の示す結果は概ねポジティブなものだが、ライコスのデータには多くの問題点があるいう指摘がFDAのアドバイザーから出された。サイケデリクス薬の作用を自覚するのは難しくないため、投与された薬品がMDMAかプラセボかを被験者が気づいていた可能性があり、それがバイアスとなって試験結果に影響したかもしれないというのだ。試験で行なわれた心理療法が施術者間で標準化されていなかったことも不当な結果を導くものとして懸念視された。また、被験者の多くが過去にMDMAを使用したことがあり、そのことによってポジティブな報告が促された可能性があるという指摘もあった。症状の緩和がどれくらい持続するのか、また薬の副作用について十分な観察がなされたのかといった点についても専門家たちから疑問視する声があがった。
PTSD治療におけるMDMAと心理療法との併用について、FDAは8月11日までになんらかの決定を下すとしていた。諮問委員会の勧告に従うのが通例だが、それは絶対ではない。米国ではまだ医療用のサイケデリクス薬が認可されていないため、もしFDAがそれを承認すれば、1970年代から禁止されてきた薬物にとっては大きなマイルストーンになる[編注:FDAは患者の安全性やデータの信頼性への懸念からMDMAを用いたPTSD治療の承認を拒否。ライコスに新たな第3相臨床試験の実施を求めた]。
「非盲検」の問題
国立PTSDセンター(National Center for PTSD)の研究チームを率いるポール・ホルツハイマーは、メンバーとして加わった諮問委員会の会合で次のように述べている。「PTSDに対する新しく効果的な治療法が求められているのは間違いありません。しかし、不用意に導入を急げば、そのことでかえって開発や実施が抑制されてしまいかねないのも事実です。また、安全性や有効性に疑問の残る治療法、あるいは最適な運用法の確立されていない治療法が安易に実施されるといった事態も招きかねません」
MDMA補助療法の支持者たちにとっては、これは絶望的な提言だ。PTSDを抱えた退役軍人を対象としたMDMA補助療法の推進活動に従事する非営利団体ヒーリング・ブレイクスルー(Healing Breakthrough)でディレクターを務めるジュリアナ・マーサーは、「わたしの命はサイケデリック補助療法によって救われた」と打ち明ける。「なぜこの治療法が必要とされているのか、委員会はその全体像を見失っているのではないでしょうか。退役軍人に蔓延する自殺問題に対して、ほかの解決策がない状況なのです」
委員会の判断は、200名におよぶPTSD患者を対象とした2種類の臨床試験データに基づいて下されている。臨床試験を行なったライコスは、カリフォルニア州サンノゼに本部を置く非営利団体、幻覚剤学際研究学会(Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies:MAPS)の関連団体として、1986年の設立以来MDMA合法化に向けた取り組みを続けてきた。MDMA補助療法を受けた被験者の67%がPTSDの基準から外れたのに対し、プラセボを用いた心理療法を受けた被験者ではそれが32%に留まったという結果を示す研究データがある。MDMA補助療法を受けた被験者の71%がPTSDの基準から外れたのに対し、プラセボ群では48%という研究結果もある。
期待の持てそうな結果だが、スタンフォード大学で精神医学と行動科学の教授を務めるマイケル・オスタチャーは、そこには大きな落とし穴があると言う。ちなみにオスタチャーはライコスの関係者ではなく、また今回のFDAパネルにも加わっていない。「このような研究に被験者として参加することや、その効果を期待することが、薬物のおよぼす影響よりも人々にとって有益であるかどうか、まだはっきりしたことは言えません」
医学研究においては、二重盲検試験──被験者と治験スタッフの両者とも、参加者が治験薬と対照薬のどちらを投与されているかが分からないようにして行なう治験──が鉄則とされている。しかし、サイケデリクス薬の作用は広く知られているため、被験者の側も臨床医の側もそれがサイケデリクス薬であったかどうかを簡単に推測できてしまう。サイケデリクスがますます過大評価されている現状も手伝い、この種の研究への参加者にはサイケデリック体験への期待が生じやすいとオスタチャーは指摘する。
「MDMAを投与されなかった被験者がそのことで失望を覚え、それが症状に関する証言になんらかの大きな影響をおよぼしたのではないかというのが、わたしの懸念するところです」とオスタチャーは言う。「同様に、推進派によって劇的な効果を喧伝されているMDMAを投与された被験者であれば、その体験について肯定的に捉える傾向が生じるでしょう」
この「非盲検」の問題はライコスのみならずサイケデリック薬研究のあらゆる分野における共通の難問であるため、その潜在的バイアスを踏まえた新たな治験方法の確立を目指し、研究者たちは試行錯誤を重ねている。
「改善の余地が多い」
この治験セッションのなかで行なわれた心理療法、あるいはトークセラピー(対話型心理療法)について問題視する声もある。MDMAかプラセボのどちらかを服用した被験者たちは、その後8時間のセッションで、それぞれ2名のセラピストによって記憶や感情の変化を観測される。ライコスはこのセラピーについて「パーソナライズ化された体験」と説明しているが、個々のアプローチに差があることや、被験者の報告がどの程度薬物に依拠し、またどの程度セラピーに起因するものであるのかについて疑問が残るとFDAの委員会は懸念を示す。
サイケデリクス医療を研究するコロンビア大学精神医学助教授のナタリー・グカシャンは、ライコスのセラピーセッション用マニュアルには「改善の余地が多い」と指摘する。「薬物支援を用いた心理療法としては、投与される薬の量がやや少なすぎるかもしれない」と言うのだ。
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FDAはMDMA補助療法の規格化にも、そのための心理療法士の資格認定にも関与していいないことから、このセラピーをいかにして標準化すべきかという問題も生じる。ライコスが自らセラピストのトレーニングを行なえば利益相反になりかねないとグカシャンは懸念する。
6月の諮問委員会で証言を述べた被験者や、また書面での報告を行なった被験者のなかには、セッションの効果や持続性について肯定的な報告をした者もあれば、否定的な意見を示した者もあった。過去にはセラピスト夫妻によってベッドに押さえつけられたうえ、身体を撫で回されたり抱き締められたりしたという証言を行なったミーガン・ビュイッソンという被験者もいて、この一件は特に問題視された(ビュイッソンの一件は2年前に『New York Magazine』によって報じられ、ビデオ映像も公開された)。
サラ・マクナミーという被験者はMDMAセッションの最中、「とある運動の支持者」を自称するセラピストから「歴史を変えようとしている」と言われたと報告書に記している。治験の経過や結果次第でMDMA合法化への道が断たれてしまう恐れがあることから、肯定的な報告をするようにセラピストたちから促されたとマクナミーは述べている。途中、精神症状が悪化した際には、6カ月もすれば快方に向かうと言われたという。
また、肝機能へのMDMAの影響を示すデータや治験後の被験者たちがMDMAを乱用するようになったか否かについてのデータがライコスの研究報告には不足しているという指摘も、委員会メンバーよってなされている。
エピソードよりもデータを
6月の諮問委員会で取り上げられた要点の多くは、非営利の医療技術評価機関である米臨床経済評価研究所(Institute for Clinical and Economic Review:ICER)が今年に入って発表した報告書においても同様の指摘がなされていたものだ。
自社の調査研究を支持するライコスの代表は6月に行なわれた会見の席で、治験に参加した患者の多くがMDMA支援治療から有意な恩恵を得ていると述べた。ニューヨーク大学ランゴン医療センター/サイケデリック医療部門で臨床研修ディレクターを務めるケリー・オドネルもまた、「治療を通じて目に見えて快方に向かう」患者がいたと語っている。
ライコスCEOのエイミー・エマーソンは、諮問委員会後に出したステイトメントのなかで、同社としてMDMA支援療法の実現に向けて引き続き努力し、問題点についてはFDAとの協力によって解決していくと述べた。
被験者たちの肯定的な思いを否定することはできないが、FDAにとって意味をもつのはエピソードよりもデータだろう。FDAの決定は、まったく新たな抗精神病薬への道を開くか、あるいはライコスやその他の企業の取り組みを振り出しに戻し、サイケデリクス薬の効能を証明するためのよりよい方法を模索させるかのどちらかだ。
ライコスのシニア・メディカルディレクター、アリア・リリエンシュタインは火曜の会合の席で、「多くの意味において、わたしたちは新たな医学の領域を切り開こうとしています」と語った。ただし、患者がその恩恵を受けるためには、ライコスほか企業はまず、MDMA支援療法の実際の効果を証明して見せなければならない。
(Originally published on wired.com, translated by Eiji Iijima/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)
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