渡瀬康英。斎藤知事。
連日メディアを賑わせている兵庫県の斎藤知事問題。わたしは、てっきり、自殺者(渡瀬康英)が出たから百条委員会が開かれたと誤解していたのだが、昔の記事を読んで時系列をたどると、実はそうではない。渡瀬康英が生きているときに、その希望を汲んで、議会主導で開こうとしていたのである。そうしたら、不思議なことに肝心の渡瀬康英が自殺してしまった。そして匿名報道に切り替わり、話の流れがわからなくなった。まず結論的に言えば、2021年の兵庫知事選挙は、井戸知事(当時)が推した金沢和夫副知事(当時)と斎藤元彦の対決であった。そして自殺した渡瀬康英は落選した金沢和夫とかなり親しいようである。それがゆえに冷や飯を食っていただけのことである。その逆恨みでパワハラとかおねだりとか怪文書を書いていただけだ。斎藤知事はこれだけバッシングされてもたいしたスキャンダルが出てこないし、今となっては、渡瀬康英が自殺したことへの責任を問われているだけ、という変な話である。かなりの部分は虚偽告発であろうし、おそらく斎藤知事も(渡瀬が生きている間は)百条委員会で勝てるつもりだったはずだ。井戸派に恥をかかせる機会くらいに考えていたかもしれない。渡瀬の自殺で論点が変更されて窮地に追い込まれたのである。それにしても、渡瀬康英が自殺した瞬間から匿名扱いになったことには疑問を覚える。というより、自殺するまでは、誰も知らないレベルの話題であった。一連の経緯はリアルタイムで実名で報じられていたのに、そこと繋がっていないのである。もちろん「死因が自殺」というのは知られたくないことだし、プライバシーという言い分はあるだろう。とはいえ、今回は、「一死をもって抗議をする」として死んだようだし、死因を秘密にすべき案件とは思えない。斎藤知事によって自殺に追い込まれた、という猛アピールであろうから、いきなり名前を隠されても困る。そもそも怪文書で嫌がらせをしようとしたら大事になってしまったわけで、恥ずかしいだけで正義はない。では斎藤知事が正義かと言うと、嫌がらせをする政敵を追い詰めたら自殺したという問題はあるわけで、まあ悪とはいえないが、あまり胸を張れることでもないので、これはうまく物語るしかないのである。ここまで事態が悪化しているのは、マスコミの無軌道な報道もあるが、物語る力で斎藤知事が負けているからである。横山英幸という大阪市長がこんなことを書いていて、わたしはとても共感した。「だからこそ、熱量もって事実の発信をしなければなりません。会見だけでは足りない。会見の場を毎日もつ、そして切り取りにならぬようパネルを使用して説明する。ブログSNSで強烈に発信する。申し訳ないですが、こういったフォローは私にはできません。ご自身のことは斉藤さんご自身でなければ分かりませんし、そもそも膨大な調査の状況を逐一チェックして把握することなどできません。ご自身がやるしかないんです」。まさにこういうことであり、自らを語れないのであれば政治家としての資質が低いと言えるし、どっちみち駄目だという話である。