ツイッターのエコーチェンバー
斎藤知事の問題で、わたしが斎藤知事を擁護するツイートをしていたら、似たような趣旨のツイートが流れてくる。こういうエコー(反響)が、いわゆるエコーチェンバーなのであろう。逆に言えば、斎藤知事を批判する側には、批判的なエコー(反響)ばかり聞こえてくる。まず、斎藤知事の問題に関して言えば、わたしは彼個人のモラルは軽視しており、公務員が一匹や二匹死んでも構わないと思っている。役人の利権にメスを入れるためには、害虫が何匹か死ぬのは当然であろう。斎藤知事は殺虫剤として機能すればいい。さて、ここでは圧倒的な分断がある。世間の多数派は、おねだりが悪いとか、そういうエコーが響く世界にいる。わたしは現在、兵庫県の闇が響く世界にいる。役人の外郭団体への再就職とか、何処にでもありそうな話である。そもそも、わたしは、斎藤知事の騒動の発端の頃は、わりと素朴に斎藤知事への怒りを持っていたように思う。おねだりとか、そういう些末な話がくだらないと思い始めて、(つまり意外とたいした話が出てこないので)だんだんと知事と役人の権力闘争として理解するようになった。また、パワハラを告発して自殺した人間よりは、オリックスの優勝パレードに関する自殺のほうが本当のスキャンダルに思えるが、そちらの報道が少ないのも、情報源の偏りに思えた。マスコミは超能力者ではないから、特定の誰かからのリークを元に報道している。要するに代筆屋である。役人の利権を守りたい勢力が情報源であるから、これはウソ臭い、とわたしは判断したのである。役人の利権に手を付けない知事であれば、決して悪い話は出ない。いずれにせよ、われわれは同じエコーが響いている世界にいるから、そこは自覚的でありたいものである。