哲学博士課程を修めあそばした方がご覧になれば工場労働者は何者でもない歯車で自分というものがないように見えるのでしょうが、わたくしめのような生まれながらのナッパ服からすれば同じ職場にこんな人いたらいやだな、いや今は無職だけど、大好きなかつての同僚たちが同じ職場になりませんように。
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関野哲也『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた 哲学、挫折博士を救う』(CCCメディアハウス)
@sekino0008
約4年ぶりの工場労働。やはり工場という環境は独特で、お客様からの「ありがとう」はもちろんない。黙々と働くのみ。すると、自分は何者でもないと感ぜずにはいられない。無名の労働者の一人、工場の歯車と化す。だが、それはよい意味で、肥大化しようとする自分というものを粉々に粉砕してもくれる。