1988年に撮影した叡山電鉄の写真をお見せしよう。
1978年まで京都市電と平面交差していた。
デオ300形が連結運転をしたのは1回だけだった。
1951年に製造されたデオ200形は
当初からパンタ台を有し、弱め界磁付き(使用せず)自動進段カム軸制御、叡山線では初となった電動発電機の搭載、制動装置にAMMを用いるなど、鴨東線建設による京阪線直通を意識して作られていた。
この車両から車体の塗装が緑1色から上半分はベージュ、下半分はそれまでより少し明るい緑となり、順次全営業車に普及している。
この年にデオ200、デオ300形はデオ700形への代替新造で形式消滅した。