ご近所だった羽生選手の思いやり 五輪終え、伝えたい「ありがとう」

藤野隆晃

 北京冬季五輪が20日夜、閉幕する。努力を重ね大舞台に立った選手たちの姿は、多くの人の心に刻まれた。

 「スケートをやっている近所の子」が、世界の舞台でも変わらない姿を見せてくれた――。

 金沢市の自営業坂田俊明さん(62)は、フィギュア男子に出場した羽生結弦選手(27)を応援した。自閉症で特別支援学級に通っていた長男裕熙(ゆうき)さん(27)の小中学校時代の友達だ。いつも気にかけてくれ、学校のスケート教室では優しく滑り方を教えてくれた。

 2011年3月、東日本大震災に見舞われた。当時16歳の羽生選手は仙台市のスケートリンクで練習中に被災し、各地を転々とすることに。坂田さん一家は金沢市へ避難した。同年6月、アイスショーで金沢市を訪れた羽生選手と再会した時、思わず「大丈夫?」と口をついて出た。ふるさとの大変な状況は知っている。「大丈夫なわけないだろう」と罪悪感を抱いた。

 すると羽生選手は見越したように「大丈夫ですよ」と軽くうなずいて応じてくれた。

 「裕熙のことを覚えていますか?」

 「忘れるわけないじゃないですか」

 変わらない笑顔が返ってきた。羽生選手が仲良くしてくれていたことは知っていた。ただ、裕熙さんは落ち着きがない時もあり、迷惑をかけていないかと心配に思っていた。けれど、その答えが不安を和らげてくれた。

 親同士で再会の会話に花を咲かせている間、1人でスケートリンクの氷をつついていた裕熙さんの妹を見つけると、羽生選手はそっと近づき、氷の仕組みを説明していた。

 スター選手として注目を浴びるようになってからも「裕熙君のお父さん」として接し方は変わらなかった。

 坂田さんは、各地を飛び回る羽生選手を応援する会を作り、11年10月から会報「羽NEWS(ニューズ)」を発行。今月15日に100号を迎え、北京での活躍を取り上げた。

 3連覇に期待が集まる中、氷上の穴に引っかかったショートプログラム。世界初のクワッドアクセル(4回転半)に挑んだフリー。結果は4位。「ご苦労様。ありがとう」との思いを込めた。

 周囲からの期待を一身に背負いながらも、他のスケーターに気を配る。五輪でも、他の選手と和やかに接し、拍手を送っていた。

 リンクの上でも外でも変わらない羽生選手の姿に思う。応援するだけではなく「自分たちも、羽生選手のように思いやりの輪を広げていきたい」。(藤野隆晃)

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