マイケル・ハドソン『貿易・開発・対外債務』p. 5

本書の目的は、貿易理論と「発展」理論を再び統合することである。もし、ジェームズ・ステュアートなどのアダム・スミスの先人たちを「発展」理論と呼ぶことができるのであれば、初期の英国自由貿易戦略や外国保護主義者たちもそう呼ぶことができるだろう。今日の自由貿易の論理と同様に、国際通貨基金や世界銀行が採用するマネタリストの正統派理論(ケインズの所得理論を若干取り入れているが、移転問題に関するケインズの著作の示唆は一切ない)は、長期的な文脈を否定している。緊縮財政計画や比較優位の基礎となる価格形成や所得分配のモデルは、生産力を当然のものとしており、少なくとも、時間とともに国際的により類似してくると想定している。 今日の市場志向の貿易や金融(政府の介入によって強化されている)の力学が、国際的な生産力や所得の格差拡大の主な要因であるという認識に基づく、より生産力に重点を置いた理論体系に置き換える必要がある。このようなモデルは、なぜ後進国において物的生産性と国際収支の収益力が停滞し、国際収支が二極化する世界経済の中で構造的な赤字に陥っているのかを説明できるだろう。私がこの本を書いたのは、このような理論体系を築き、積極的な公共政策を擁護するためである。

私は、過去の経済理論家たちがこの問題をどのように概念化していたのかを文献を調査する過程でこの本を書いた。それゆえ、本書では貿易、開発、資本移転に関する学説の歴史を、その根底にある仮定に関する主要な考え方や議論に焦点を当てて論じている。自由貿易の正統派の系譜を英国のコーン法論争におけるリカード派の立場に、また今日のマネタリストの正統派の系譜をナポレオン戦争後の英国の金塊論争における「敗者」リカード派の立場にまで遡って辿っている。国際経済学とその多くのサブカテゴリーに関するすべての著述家を網羅的に調査するのではなく、私は重商主義の時代にこの学問が誕生して以来、その学問体系を形成してきた主要な概念に焦点を当てる。この2世紀半にわたる理論化に共通する問題は、国際経済が「自由市場」の原則に委ねられた場合、経済の収束を促進するのか、それとも先進国と後発国との間で経済の二極化を促進するのか、という点である。

1960年以降の貿易理論の精緻な説明に紙幅を割くつもりはない。文献は豊富にあるが、適用されるのは限られた範囲と概念のみである。このブームは一般的な原則を強調するものであり、その後の再表明ではない。現代の書籍の長さの制約も、この概略的な取り扱いを決定づけている。本講義ノートの目的は、政策上の利害から切り離された時代を超えた抽象的概念の集合体ではなく、歴史的文脈における国際貿易および金融理論の教授のためのシラバスを提供することである。