【私の失敗(2)】小早川毅彦、全国のスポーツ紙1面飾った「赤痢感染」

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 本音をいえば、こんなことで「有名人」になりたくなかった。中国地方どころか、全国のスポーツ紙の1面を飾ったのが『小早川、赤痢感染!!』だった。

 かつての法定伝染病。いまの時代に症例を報じられることはめったにないが、私はその病に襲われた。今でも「あれはなんだったの?」という感じで振り返るしかない。

 広島に入団して5年目の1988年、沖縄・具志川市(現うるま市)で自主トレを行っていた。何となく体調がおかしくなり、熱が出てきた。やがて40度近くに達し、下痢も併発。「やばい…」。汚い話で大変申し訳ないが、15分おきにトイレへ駆け込むような状況だった。

 病院での診断は、衝撃の「赤痢」。その後、大騒動に発展した。病院はすぐに閉鎖され、私は隔離病棟に収容された。白衣を着た市の職員がやってきて、具合が悪い私に「どこで、何を食べたのか?」などと事情聴取が始まった。

 それだけではない。沖縄入りする前に自主トレを行っていた広島市の職員まで空路、沖縄入り。「あんた、なにをやっとるんじゃあ!!」と激しく責め立てられ、治るものも治らないような状況に追い込まれた。

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